教育問題

この日、私は学生と卒論の内容について研究室で面談していた。メールでの報告だと、この学生は作品(これを明かすと誰かわかってしまう可能性があるので伏せておく)についてあれこれ語ることよりは、教育問題とか現代の親のあり方について論じたいらしい。


そもそも予定した卒論のタイトルの一部に “Monster Parent”という表現がある。これは英語じゃないと指摘した(ネットで検索するとこういう英語のフレーズが出てくるのだが、問題のある親という意味ではない)。するとこれは和製英語で教育評論家の向山洋一がつくった用語だという答えが帰ってきた。


あ、そうかと思い出しつつ、1)和製英語を使っていいのだったら、英語の卒論に和製英語を連発すればいいことになってしまうが、それでいいのか。2)洋一という名前の人物は頭が悪い人間の屑で、信用してはいけない。そもそも「Monster」という表現は、差別表現につながるので慎重にしなければいけないのに、平気で使うというのは、そのなんとか洋一というのがいかに頭が悪く性格も悪いかをよく象徴していると述べておいた。


ただメールでのやりとりはここまでにした。ちなみにメールを送ると2ヶ月か3ヶ月後に返事がかえってくるので「冥王星の住人」と私が呼んでいる人物(大学教員)は、メールで卒論指導すると、相手が目の前にいないことによって、面と向かってはいえないこともずけずけ書いてしまうから、注意しなければいけないと言っていた。まあその人物がメールでのやりとりを億劫に感じているというだけのことかもしれないが*1、しかし、一理ある。たしかにメールでの指導は、エスカレーションする可能性がある。


そこで直接面談して卒論の内容について相談した。


私としては、作品の内容から離れて教育関係のことについて書くのは、よくないから、やめさせるか軌道修正するかのいずれかと考えていたのだが、話をすると、そんなに書きたかったら、書けばいいのではと思えてきた。誰もが英文学が好きで英文科に入学・進学してきたのではない。文学について語るのは苦手だけれども、書きたいことがべつにあるというのは、それはそれでよいことではないか(書きたいことがないなにもない場合にくらべたら、はるかにすばらしいのだから)。


そこで私としても、むしろ寛容になって、もし現代の教育問題とか、親の問題、親子関係のありかたについて語りたければ、最初にわーっと書いてしまい、あとから作品と関係づけられるところは、ちょこちょと関係づけておけばいいのではとアドヴァイスした。もちろん、そういうことをすれば、卒論試問の時に、あなたの卒論は、作品についてではなく教育について語っていて、これでは教育学部に提出する卒論のようだと、教員から嫌味を言われるかもしれないが、そんなの関係ね〜の精神で押し切ればいいのでは。実際のところ、だからといって卒論が却下されて卒業できなくなることはないから、書きたいことを書けばいいじゃんと、むしろ応援する立場になった。


応援するのは、べつに嫌味でもなんでもなく、私の本心からことだったが、ただ、私が賛成して促す側にまわってしまったせいだろうか、最終的には、逆に、教育問題で暴走するのではなく、作品から導きだせる教育問題について考えるということになった。私としては肩透かしをくらったのだが、まあ、それで本人も納得すればそれでいいので、それ以上は何も言わなかった。もし私が、学生の反応も見込んで、あえて暴走することを促したのなら、私はすぐれた教師かもしれないが、そんなことをすれば、学生は馬鹿じゃないから、私の本心をすぐに見抜いただろう。私が本心から暴走するようにすすめたから、逆に、学生は中庸の道を選ぶことになったのかもしれない。


これはたとえば、私が子供の頃、勉強なんかしたくない、大学なんか行きたくないと親に反抗したら、だったら大学なんか行かなくてもいい、好きなことをすればいいと、本気で親からから言われて、逆に怖くなって勉強したことと関係があるかもしれない(私の両親は大学を出いていないし*2、子供は自分のすきなことをすべきだというのが親の教育方針だったから)。あるいは有名な逸話だが、画家が思うように描けず悩んで末に、自分に腹をたて絵筆をキャンバスに投げつけたところ、飛び散った絵の具の様子が、画家が求めていた効果そのものだったので、そこで図らずも思いどおりの絵が書けるようになったということ。意図しないところに、意図通りの結果が生まれるということか。


しかし、今回、それよりももっと重大な問題があった。


実は学生が扱う作品には、そんなひどい親は出てこない。それどころか、いま日本で問題化している、やたらと理不尽な要求なりクレイムをしてくる親つまり「モンスター・ペアレント」的な人物は作品のなかには登場しないのだ。まあ悪人というか悪役、あるいは権威的な人物は問題のある親の代理にもなりうるので、この悪役のことを、親の象徴と考えているのかと質問したところ、そこまでは考えていないという。では問題のある親が登場しないのに、「モンスター・ペアレント」的なタイトルをつけて親子のあり方を語ろうとするのはどうしてかと問うてみた。


すると学生いわく、自分の親は教員である。また現在つきあっている彼氏も教員(中学か高校の)だという。親が教員の家庭に生まれ、このまま結婚にまで行けば、みずから教員の家庭をつくる彼女にしてみれば、「教育」はつねに身近にあり、教育とか家族、親子関係などについて考えることは、日常生活のごくありきたりな一部と化しているということだろう。おそらくほんとうは教育学部に進学したかったのかもしれない。ひょっとしたら突如として教育問題にめざめたのかもしれない。


なので、そこまで関心があれば、本来なら教育問題を語りやすい作品を最初から選択すべきであった(私にはこの作品は教育問題には直結しないと思っているのだが)、いや、たぶん、あなたはそういう心積もりで最初からこの作品を選んだのかもしれないので、多少、思惑はずれても、教育問題で頑張るしないでしょう。となって私のアドヴァイスが生まれたのである。


しかし、違和感が残った。面談が終わってから私はある一つの事実を思い出して、頭をかかえた。


親が教員で、恋人も教員の学生が、なぜあんなにもいい加減なのか。卒論のことではない。彼女は私の英文学史の授業をとっていて、試験を受けなかったただ一人の学生なのだ。学期のはじめに、試験は9月の最終週の試験週間に行なうこと(授業と同じ曜日、同じ時間帯、おそらく同じ教室で)と通達しているのである。9月の最終週は、新学期も始まっている大学もあるし、もう日本中の多くの大学では夏休みではない。正規の試験週間であるし、理不尽な要求ではない。


もちろん試験日に病気、怪我、突発的な事態があって、試験を受けられない学生は出てくる。これは考え方にもよるのだが、試験日に出て来れなければ理由は何であれ、成績もつかず単位はないという立場がある。制度的にはこれが正しいのだろう。しかし、この場合、ある程度、教員の判断に任されているところもある(判断は司法の場で決めるので、勝手に現場の人間が決めるのはまちがっているということを述べたどこかの国の馬鹿大臣があるが、それはまちがっている。告訴するかしないかは、司法でなくても現場の当事者が決めることはできるのであり、それと同じことがあてはまる)。強硬派ではない私は、やむをえない場合、追加のレポートを課して、提出すれば単位を出すことにしている(成績をどうするかは秘密)。


ところがその学生は、最初から試験を受けられないと申し出てきた。海外旅行中で試験日には帰ってこれないという。繰り返すが、試験日は9月の最終週である。もう帰ってきて新学期の準備をすべきである(さらにいえば、試験期間中だから、他の授業の試験があったかもしれない)。そこをなとかしてくれという。


こういうことを書くと、大学の恥をさらしているのかもしれないが、誤解を避けるためにいうと、そういういい加減なことを言ってくる学生は、私の受講生のなかで彼女ただ一人である。例外中の例外である。そして私は憮然としながらも彼女に追加のレポートを課した。そして彼女が提出してきた追加のレポートは、前期の範囲から逸脱するものを対象としたレポートであった。これは彼女が授業に出席しておらず、授業範囲すら把握していなかったことを証明している(やむをえず彼女ひとりのために追試をした。ほんとうなら追試は制度的に認められていないのだが)。ほんとうに例外中の例外学生である。


その彼女が、教育問題を語る。あなた自身が教育問題そのものでしょう。そんないい加減なことでいいのか。自分のいい加減さを自覚していないのか。教員の忍耐力を試験するような行動をするあなただけは、偉そうに教育問題について語る資格はない。


教育問題の闇である。

*1:なぜ冥王星かといえば、メールを送っても、忘れた頃に、それこそ2ヶ月か3ヶ月後に返事がくるからだ。まあ誰でも忙しかったり、ついつい失念したりして、返信(とくに急用でもない場合)を怠ることはある。それはそれでいいのだが、ただ、ふつうは、返信を忘れたふりをする(まあ、忘れてもいいような内容のメールの場合であり、返事を急いでいるのでないかぎり、知らん顔をする)、あるいは「あの時は忙しくて、忘れてしまい、ごめんなさい」とか言い訳をするかのどちらかなのだが、その人物は、ごく自然に2ヶ月か3ヶ月前のメールに対して返信をしてくる。最初、この人は何の話をしているのか、わからないほどに。つまりまったくさりげなく、忘れたのでもなく、言い訳するのでもなく、ただ返事を書いてくる。まるで冥王星の住人で地球からのメールがたった今届き、すぐに返信したのだけれども、届くのに時間がかかったかのように。

*2:ちなみに私の父方の祖父は大学をでいている。いま私が勤めている大学の工学部を卒業しているのだが。