ナンバー23


講演会というか小さな研究会での報告スピーチのようなものをすることになった。まあ大学の研究グループに招かれて話をするということなので、私的な会合とほとんどかわりはないと思ったら、簡単なポスターも作り、ネット上でも情報を公開したので、簡単な内輪の会合とはいかなくなった。


でもまあそれもしかたがないのかもしれない。大学からか公的機関なのか詳細は知らないのだが、研究費をもらっている以上、研究会合が一般にも公開されていることをアピールする必要があるのかもしれない。残念ながら私は知名度がないので、人寄せにはあまり貢献しないので申しわけなく思っている。


そもそも必要最小限の付き合いしかしないし、いろいろな会合とか学会とかパーティとかにでかける性分ではまったくないので、最小限の知名度を保っているのも奇跡に近い。というか昔、立候補しても何の選挙活動もせずに当選した人物がいたが、たとえその人物ほどの知名度はないとしても、なにもしなくても最小限度の知名度を保っているのは、おそらく反感を買っているだろうと思う。知名度など欲しくない人間でも、最小限の知名度はついてくるのだから不思議だ。というよりも、友人なり仲間なり弟子なりがやまのようにいて「天皇」化していると思われているかもしれないのだが、それは絶対にない。友人も仲間も弟子もいない。


それはともかくシェイクスピアの『テンペスト』の受容について話をした。キャリバンを革命戦士にするのはやめましょう。というかキャリバンこそゲイの革命戦士であって、マッチョなキャリバンさようならという話である。


司会者からは『テンペスト』という芝居そのものが、ドラァグ、ゲイ的要素があることを映画の例をとおして指摘してもらったが、これは私にとってありがたい指摘だった。この劇の、すでに誰もが気づいているが論じられていない要素がにわかに浮上したからである。


あといろいろ質問というかコメントをもらったなかに、***大学でイタリア史の教員という方(初対面)から質問があった。『テンペスト』で関係のあるミラノもナポリも、当時、スペインの植民地であって、『テンペスト』が植民地の話というのはおかしいというコメント。あと『テンペスト』には典拠となる物語がなく、オリジナルストーリーということだが、イタリア史には、登場人物と符号する歴史的事実があるという指摘だった。


こういう人が、なぜわざわざ専門とは異なる分野の研究会の講演に出てくるのか、それもなにかを学びたいという姿勢ではなく、批判するか、自分の知識を披露するという目的で貴重な時間を捨てるのか(まあ、貴重な時間を作りに来るのかもしれないが)。真意はわからないが、最初のコメントは、植民地読解に反対してやろうという批判的コメントだったのかもしれない(ちがうかもしれないのだが、いくらお人よしの人間でも、素朴な質問というほどのんき者ではない)。イタリアというと地中海の陽気な国というステレオタイプがあって、それを研究する者も、能天気とはいかなくても、陽気で明るい性格の人かというと、まあシェイクスピア時代に登場するイタリア人みたいに権謀術策をめぐらし、陰険で、権威主義的で、傲慢で変態な人間がけっこう多い(その人がそうだということでは決してない)。


そのコメントに対しては「ミラノもナポリもおっしゃるとおり当時スペインの植民地でした。だからこそ、シェイクスピアは『テンペスト』のテーマが植民地ですよと示唆しているのではないでしょうか」と答えておいた。まあ、ミラノとナポリが植民地だったという歴史的事実をつきつけられても、さも知っているかのようなふりをしているめげない奴だと思われたかもしれないが、べつに知ったかぶりをしているわけではない。私は昔、20世紀に書いた『テンペスト』論で、ミラノもナポリも当時植民地だったとはっきり書いているし、授業で『テンペスト』を扱うときには(そんなに頻繁にあるわけではないが)、このことは必ず言及する。


そもそもナポリの発端はギリシアの植民都市(ネオ・ポリス)だったし、『テンペスト』で言及のあるカルタゴも、もとはフェニキアの植民地。すべて出てくる地名は植民地つながりになっていて、なおかつ、『テンペスト』はナポリとかミラノが地中海の孤島を植民地化する話ではなく、ミラノを追われた元大公が孤島に自分の小さな王国というか公国を築く話であるが、それが植民地建設テーマにつらなるとシェイクスピアは信号を出しているのである。


もうひとつの指摘は、私は知らないかったことなのでイタリア史を勉強してみようという気になった。これはたとえ悪意に発したコメントだとしても、つまり俺は専門家であって、おまえのような素人に何がわかるかという侮蔑がこめられているとしても、貴重な歴史的事実のコメントとしてありがたく受け取ることにしたい。


とはいえ、たとえば兄を追放する弟が、どこどこの国で同じことをした同名の君主の名前と同じといわれても、たしかにシェイクスピアはそのようなことを耳にしたかもしれないし、それが当時に有名なことだったかもしれなくて、シェイクスピアもそこからアイディアを頂戴したかもしれないのだが、同時に、証明できないばかりか、あくまで歴史的事実であっても、それが符合しているのかどうかわからない。映画の『ナンバー23』ではないが、みつけようと思えば、そんな符号はいくつでも見つけることができるのである。それは作品が人工的に作られた虚構であるのに対して、歴史的事実は虚構ではないため、事実としての重みが増すと同時に符合としての真実性が偶然の一致にすぎないとして減少するかもしれないからである。


とはいえイタリアとシェイクスピアとの関係の研究は、近年再燃しているので、すでに調べが付いているのかもしれないが。