まちがいさがし

むかし、ある雑誌に、最近のテレビのアナウンサーはスポンサーの名前すら間違って発音している。インスタントコーヒーのネッスル社のことを、某局の某女子アナは「ネスレ」と発音していて唖然としたという、一般読者からの投稿が掲載されたことがある。その時は私は、なるほど、そうか。それはひどいと、同感したのだが、あとになってテレビ局からの回答もあり、掲載したその雑誌も、また私自身もみずからの不見識を反省することになった。


いまの私たちから見ると、なにが問題なのかと思うかもしれないが、スイスにあるネスレ社は、日本でインスタントコーヒーなどを発売しはじめた当初はネッスル社とカタカナ表記していて、けっこう長くその表記がつづいた。ある時点で、ネッスルからネスレに名称を変更したのである。その投稿者も、また雑誌も、そして私もこのことに気づかず、局アナが社名をまちがえたのだと判断したのである。


しかし冷静になってみれば、いや、冷静にならなくても、局アナが、スポンサーの社名をまちがえて発音するわけがない。ネッスルと思い込んでいた人間は、ネスレが正しいか、あるいはネスレに変更になったことを思い至って当然なのである。ところが最近のアナウンサーはだめだとか、女子アナはだめだとか、そういう偏見があって、相手がやることですこしでも自分の知識とか観点からずれることがあると、相手のまちがいだと勝手にきめつけてしまう。自己の無謬性など、ほんとうは理論的に皆無にもかかわらず、自分が間違わないと決めてしまう。


以前、ATMで暗証番号を打ち込んだとき、暗証番号が違うと機械が告げたので、私が間違えて入力したのかと、もう一度、同じ番号を間違いがないよう入力した。それでも暗証番号が違うということだったので、この機械はなんとういう馬鹿なのかと、もう一度、入力して、そのカードが使えなくなった。3度まちがった暗証番号を入力すると、使えなくなるのだ。その時、私は、自分の入力ミスかと判断したまではよかったが、暗証番号をそもそも勘違いしていることに気づかなかった。気づくべきだったのに。こういう場合、機械がミスするわけがないに、機械がまちがっているという妄想のなかに入った。


ネスレの場合も同じで、局アナが間違えるわけがないのに、間違えたと勘違いするようなことはよくあることかもしれない。恐ろしいのは、間違いを発見したという人間の判断は、いったんそれが表明されると、誰もが判断の適正さに思いをはせる前に、判断を受け入れてしまうという判断停止状態になってしまうことだ。局アナが間違えたという投稿した人間と、それを掲載した雑誌側は違う。一度判断が示されると、それが不正確な情報に基づいていたり、誤った前提に乗っかっているかもしれないということは考慮されずに、ただ受け入れられてしまう。最初に判断した投稿者と、それを掲載した雑誌(それに同意した私)とはまちがいの質が違う。裁判所の判断を鵜呑みにしないということは、なかなか難しいのである。


映画『ルネッサンス』をDVDで観ていたら「コーカサスで採用された」という字幕が出てきて、その時、コーケイジアンと聞こえたので、それって「白人種」という意味ではないのかと疑問に思った。いまでも白人というとき「コーケイジアン」というのはどうか定かではなかったのだが。


しかし前回の『クイーン』の件もあって、字幕作成者は、馬鹿だという偏見に陥っていた私は、ここで、第二のしょうもない誤訳をみつけたと一瞬、興奮した。ブログに書いてやろうと勢い込んだ。しかし念のためその箇所をもう一度見てみることにした。


誘拐された女性が落とした身分証から割り出した女性の身元と経歴を説明するところである。なおこの映画、フランスの未来のパリが舞台なのだが、台詞は全編英語、声は、声優ではなく(欧米に声優という職業があるのかどうか知らないが)、俳優が担当している。あのう、観ていない人のためにいうと、これはフランスのアニメ。ただし全編モノクロというよりも、白黒のアニメ(一箇所だけ色つきのところがあるが、それは観てのお楽しみ)。主人公の刑事役の声は、ダニエル・クレイグ、新007、ジェイムズ、ジェイムズ・ボンド役である。


フランス映画で台詞は英語なので、英語がまあ固いというか人工的で、そのぶん全編、聞き取りやすすぎる。問題の箇所もrecruited in Cauccasia at the age of 13と明確に聞こえる。コーカサスカフカスで採用というのは間違いなかった。その身分証も映像を止めてみたが、Stravopole(ROM)とある。あ、ほんとうにカフカス地方北部の地名だ。


ということで間違いを見つけたと書いて恥をかかずにすんだ。そして自分のなかにある差別意識を反省した。