イチゴのハンカチ

『中国の植物学者の娘たち』2

******さま

昨年の12月28日にダイ・シージエ監督の映画『中国の植物学者の娘たち』を見ましたよね。あのとき映画のなかで疑問に思ったので、聞こうと思っていたことがあって、残念ながら聞けなかったことがあったのですが。


松下さんに似ているというミレーヌ・ジャンパノワ(松下さんって、誰だ?)が、植物学者の先生の長男(プロレスラーの小川真也にそっくりな)と新婚旅行に出かけるでしょう。で、新婚初夜を迎えるのですが、その時、小川真也(名前を忘れたので、これで代行、お許しを)は、ジャンパノワが処女ではないとわかり、ほかに男を愛してるのかと誤解して、男の名前を言わせようとし、口を割らないと、天井からロープで吊るすじゃない。


あそこで、どうして処女じゃないって、わかったのですか?


べつに映画を観たあとで、この質問をしたかったのですが、また、ほんとうに素朴な質問なので、エッチな話でもりあがろうとか、意地悪な話をしようとかいうことはまったくなくて、ほんとうに素朴な質問だったのですが、ただ、まわりに人がいて、こいつらエログループかと思われるのは恥ずかしかったので、ひかえていたのですが。


女性が処女かそうでないかは、女性がごまかせば、わからないでしょう。


そうそう思い出した。『花の谷』という、まあちんけな映画のなかで、ジャン・パノワ(ダイ・シージエ監督の映画で彼女はどうみても西洋人なのだが、この映画のなかで彼女は、どうみてもアジア系である)はネパールあたりの盗賊の首領を誘惑する悪魔というか魔女なのですが、その彼女は、夜、首領のテントにもぐりこんでセックスをして、翌日、私が処女だということは昨夜のセックスでわかったでしょうとかなんとか言うところがある。映画の物語の中で、エロティックな妖艶さをたたえる彼女が処女とはとても思えないのだが、処女かそうでないか、いくら相手が娼婦ぶっていても、わかるらしい。


初めてのセックスで出血するというのが処女の証しとして長い間言われてきて、たとえばシェイクスピアの『オセロー』に出てくるイチゴの模様のハンカチーフも、セックスのあとの出血を連想させ、処女の証しをシンボライズしているという見解もある。新婚初夜があけたあと、血のついたシーツを公開して、処女の証しとするという儀式があったらしい。


そういえば思い出した。私の専門の英国初期近代演劇ではミドルトンの『チェンジリング』のなかで、処女かどうかをためす薬があったような気がする。ということは、処女かどうかは男性がセックスしただけでは、わからないということじゃないか。逆に、女性がはじらいをみせたり、痛がったりしたら、処女ということになる。つまりはごまかせる。


私は、処女膜というものを見たことがないので、それがどんなものかわからないが、ただ女性の性器をじっくり調べたら、処女膜の損傷で、相手が処女かそうでないかわかるということなのだろうか。しかし損傷とはどのようなものか、それはわからないのでは。


そう、かりにジャン・パノワ松下(松下って誰だ?)の膣口を小川真也(すみません。似ているので)が懐中電灯かなにかで照らしてじっくり調べて(変態やね)、処女じゃないことを確認したというのなら、でも、そこからが疑問なのですよ。


なぜならジャン・パノワ松下(誰だ?)の相手は女性だから。


女性が女性とセックスしていて、いつ処女膜を失う、損傷するのでしょうか。ディルドウを使った? 指でも入れた? 舐めると損傷する? どうしたなのでしょうか。


ほんとうに、よくわからない。