日記



マンションのエレヴェーターに乗ったら、途中から、おばあさんと男の子が入ってきたので、後ろのほうに下がった。二人を後ろから何気なくみて
いると、おばあさんのほうが、「ごめんね、せっかく遊びにきてくれたのに」と、男の子をやさしくなぐさめている。


学校がはじまっているウィークデーだから、小学生以下の男の子だろうか。なにかの事情で学校が早く終わったか、休みかもしれないのだが、幼稚園か、小学校の低学年であることはまちがいない。


男の子の後姿を観ると、泣いている。「だって、遊んでくれないんだもの。食べられなかったし」と静かに泣きながら、訴えている。おばあさんは、しきりに、ごめんねとあやまっている。


二人とは、歩く方向がちがったので、反対方向に去っている、二人の後姿をみながら、いったいなにがあったのだろうかといぶかった。なにがあったかは、想像することもできないが、せっかく一人で遊びに来た男の子の孫を、泣きながら帰してしまうとは、なんてかわいそうなのことをと、胸がいたんだ。


親と一緒にきているわけでもなく、いやいやきているわけでもなく、ひとりで遊びにきた男の子と、どうしていっしょに遊んでやったり、おかしでも食べさせたやらなかったのだろうか。孫が遊びに来てくれるなんてことは、これから先、そんなにないのに。何が起こったのか知らないが、そこはかとなく悲しくなった。


ずんだもち

結局、本日は、どうしても明日までに見なければいけないゲラがあって、ゆっくり食事をつくっている暇がない。食事を作れば、時間もかかるし、どうしてつくりすぎ、たべすぎて食休みの時間がひつようになり、作る時間もあわせれば倍、時間がかかる。


夕食は近所のスーパーの弁当を調達するしかない。コンビニには行かない。コンビニの弁当は添加物の山だし、それに高い。スーパーの弁当もほうがやすい。こちらも添加物がいっぱいなのだが、それでも添加物を押さえている弁当もある。油物、揚げ物を入れていないことをうたっている弁当もある。


弁当コーナーに、ずんだもちがあった。以前、ずんだもちは、まるで抹茶のような鮮やかな緑色の餡でもち米がくるんであったのだが、さすがに、その鮮やかな緑色は、おいしそうというよりも、ひるんだ。みるとやはり緑色**号というような、人工着色料を使っていた。ところが今日見たら、なにかくすんだ色の緑色のずんだ餅があった。色はよくない。しかし、みてみると緑色**号ではなく、植物系の色素を使っている。くすんだ緑色であるが、これなら安全である。またそういう安全なずんだ餅を作ったり、売ったりしているスーパーは好感度が高い(近くのイトーヨーカドーには、無添加の食品はほとんどなかった)。とくに買うつもりもなかった、そのずんだ餅を買った。


電気ごたつ

テレビの雑学クイズで、日本で始めて電気やぐらごたつが発売されたのは昭和32年東芝が売り出したのだが、当初は、ほとんど売れなかったが、しばらくして、ある工夫をしたらヒット商品になった。その工夫とはというのが問題。


答えを先にいってしまえば、熱の出るヒーターの部分を、暖かさを演出するために、それまでの無色から、赤い色のにしたために、またたくまに人気が出たとのことだった。


しかし私が注目したのは、テレビに映し出された東芝の初代のやぐらごたつ。あのスイッチの感じ。あれはたしかに私の家にあったのと同じだ。


父親が東芝関連の会社で働いていたため、家電の新製品、とりわけ東芝の電化製品は、すぐに我が家に登場した。べつにもらったわけではなかったのだが、たぶん、多少、安く買えたのかもしれない。父親は家電の新製品を好んだという理由もある。


父親は血液型がA型で、とても几帳面な性格だったので、電化製品の扱いをおろそかにすると叱られた。そのため電化製品は、扱いが丁寧だったせいで、長持ちした。で、東芝のやぐらごたつ。私の幼年時代の冬には必需品であり、思い出の冬の品であったそれが、テレビをみていたらあざやかに蘇った。


たしかにヒーターが赤くない、あの東芝の初代か二代目くらいの電気ごたつを、私の家族はつかっていた。重宝していた。英国のブルーフレームの石油ストーヴとともに、昭和の冬の思い出である。