After 20 Years

宮藤官九郎脚本の『未来教師』がはじまった。


第1回の最後のシーンをみて、う〜んとうなってしまった。


塾講師の深田恭子が、ある男子生徒の20年後の幸せになった姿を超能力で見たあと、教室での授業で、その生徒に黒板に書いてある英文を解きなさいと指名する。


その中学生は、チョークをもって黒板の前で考えるのだが、できませんとあきらめる。親が医者なのだが、その子は、そんなに勉強ができないという設定で、その問題が解けないのもしかたがないと思われる。


ただ、それにしても、そのシーンの前では、塾の看板を取替えにきた黒人の作業員と偶然、英語で話すことになって、英語を褒められ、英語でのコミュニケーションの面白さに目覚めたわりには、そんな英文もわからないのかとあきれる。


でも教師の深田恭子は、その子の明るい未来が確認できて、幸せな気分でいて、微笑んでいる。エンディングは彼女が問題として黒板に書いた英文が大写しになる。

He will be happy after 20 years. (20は数字ではなく、英語だったかな)。
そして字幕があらわれる――「彼は20年後に幸せになるでしょう」

このとき、ああそうかと思った。しかし、このままだと、この男の子、英語で黒人と話せたくせにこんな簡単な英語も日本語にできないのかと視聴者の多くがはあきれるだけで終わってしまわないか。そもそも日本語で意味を言わせるだけだったら、わざわざ黒板の前まで来させる必要はなく、自分の席で口頭で答えさせればいいのである。しかも、この子は、「できません」と答えている。へんなこたえかたである。わかりませんではなく、できません。


実は、この黒板の英文のすぐ上に、日本語で、この文を正しい英語にしなさいというよな問題が日本語で書いてある。事実、上の英文はまちがっている。それを黒板の上で訂正させようとしたのである。残念ながら、その中学生には、訂正「できなかった」のである。たしかに問題としてはちょっと高度な部類に入るかもしれない。


しかし、このことは視聴者にわかるのだろうか。しかも、意図的にまちがえてある英文に「彼は20年後に幸せになるでしょう」と日本語の字幕が入る。視聴者はこれがまちがった英文と気づかないのではないか。


つまりこれは何をしたかったのだろうということになる。


もちろんドラマの流れが、まちがった未来の姿を、彼女が、間接的にではあれ、修正・訂正するものだと解せば、最後のシーンの寓意性はよくわかる(まあ、それだと、この前のドラマ『モップガール』と同じようなものになってしまうが)。タイムトラベル物は、結局、正誤問題である。まちがった文章を正しいものに直す問題。


ただそれにしても、これが正誤問題の課題文だとわからなければ、どうしようもない。大文字の他者にはわかっても、小文字の他者たる多くの視聴者にはわからいのでは。いったい何をするつもりだったのだろう。



まちがった英文。ただそれが、まちがったままと説明されずにすぎてしまうこと。


思い出すのは、ポランスキーの古典的映画『チャイナタウン』である。あの映画では、まちがったり壊れたものがいろいろ出てくる。探偵のジャック・ニコルソンが、車で外出するフェイ・ダナウェイの後を追うシーンを思い出してもいい。ニコルソンは、彼女に気づかれずに、彼女の車のテールライトの一つを、たしか蹴って壊すのである。それとは知らぬ彼女は、夜の道(車がけっこう多い)を片方のテールライトだけをつけて走る。そのため、後ろで追跡している者は、見失わずにすむ。


あのテールライトを片方、壊すというのは確かに意表をついたやり方だった。と同時に、なにかが壊れているという、この映画に散見される特徴と連動していて、きわめて印象的だった。


たとえばあの映画のなかで、田舎の道で、地名が書いてある手製の道路標識の綴りが違う場面がある。英語が分かる人には、その地名の綴りミスがわかる。それは片方のテールライトしかつけずに走る車の後姿と同様である。しかも、このことは、日本語の字幕では伝えられない。私が見た記憶では日本語の字幕は、ただカタカナで地名を出しただけで、「この地名は、つづりが違う」というような説明はなかった(まあ、説明されれば観客は逆にに混乱して、説明が説明でなくなってしまうだろうが)。


また人物たちも、この綴り違いを問題にしないのだが、しかし、綴り違いは違いであって、そこからいろいろな情報が観客に伝えられる。もの言わぬ文字(あるいは間違い綴り)が、実に雄弁なのである。そしてそのことは、日本人の観客に、字幕では伝わらない。


年末にみた松本人志監督・主演の『大日本人』でも、大佐藤が大日本人になるため、自衛隊の電変所に車で行くとき、施設の入口に近づくにつれ、立て看板や落書きがふえてきて、それを読むと、大日本人や、大日本人の活動が、近隣住民に迷惑がられ、嫌われていることが、実によくわかる。物言わぬ立て看や落書きの文字が状況を雄弁に物語っていて、笑える。しかし外国人の観客は、落書きの文字の意味はわからないだろうから、監督の笑いのたくらみも、必ずしも奏効しないと思われるのだが。