180日間世界一周


現在、映画『シルク』を上映中だが、バリッコAlessandro Bariccoの原作Silkを英訳で読んでみた。大人の絵本のような(絵はないのだけれど)感じて、リアルな時代物というよりも、寓意的・幻想的・説話的な物語というべきなのだろう、活字は極端に少ないからすぐに読める。またそこはもうオリエンタリズムの噴出なので、どうのこうのといってもしかたがないが、原作を読んでみて、主人公が蚕の卵を買い求める相手の日本人の名主というかリーダーがいるのだけれど、映画では役所広司が演じている役、その名前がHara Keiとなっていて不思議な感じがした。これ、どちらがファミリーネームなのかわからない。日本の習慣を尊重して、ファミリーネームを先に出したとしたら、Haraが姓となる。


さらにフランスが舞台の原作では、主人公がフランスから日本に赴き、このHara Keiとフランス語で話すことになっている。幕末期に、フランス語が流暢な日本人。フランス語、Hara Keiとなると、これって「原敬」じゃないのか。180日間世界一周?


原敬(1856-1921)は、「平民宰相による最初の政党内閣」を組織し、1921年東京駅で刺殺された。読み方は「はら・たかし」だが、「はらけい」という略称(なのかな?)もよく知られていて、敬を「たかし」と読むのはむつかしいので、私も含め「はらけい」で憶えている人は多いし、事実「はらけい」のほうが呼称としては一般的になっている。


しかも原敬は、パリ公使館で4年間代理公使を務めたこともあるが、それ以前からフランス語が堪能だったようで、英語よりもフランス語でコミュニケーションするほうが得意だった数少ない日本の政治家である。


その原敬が、バリッコの小説のなかで、フランス語が話せる日本人の登場人物の名前に選ばれているのは、なにか関係があるのかもしれない。原作のHara Keiから原敬を思い浮かべたのは私だけではない。映画製作者側もそうであって、映画では役所広司の役名は、「原敬」ではなくて「原十兵衛」となっている。無難な名前を選択している。


原敬だが、1908年8月24日から1909年2月21日まで、世界一周の外遊に出かけている。180日間世界一周である。最初アメリカへ、アメリカからヨーロッパに渡り、さらにトルコに行って、北上、ロシアからシベリア経由で日本に帰ってきている。シベリア経由で日本へと向かう経路は、『シルク』の主人公の経路と一致する。あるいは原敬はフランス語圏やヨーロッパ・カナダなどでよく知られているのかもしれなくて、それで人物名として使われたのかもしれない。


ちなみに、180日間世界一周について知ったのは、原敬を主人公にした歴史ミステリー、松田十刻著『ダビデの星』(徳間書店)である――ダビデは、もちろん旧約聖書ダビデだが、キリスト者であった原敬の洗礼名でもある。2000年出版の小説で、なつかしいのだが、当時、面白く読んだ経験がある。松田十刻の本は、文庫本で、よくお目にかかるのだが、この小説は文庫本化されたのか、どうか、わからないが、書店では見かけない。絶版なのかもしれない。


もちろんこの小説にはへんなところもある。世界一周だから世界のすべての風俗習慣に通暁することなど誰にもできないので、風俗・習慣の点での違和感はやむをえぬものがあるし、それに全部気づく読者など、どこにもいないだろうから無視してもいいのだが、ただ1908年の時点で、ヴィクトリア女王も死んでから久しいのに「クィーンズ・イングリッシュ」ということはないだろう。フランス人が原敬のことを「ムシュー・ハラ」と呼ぶのもおかしい。Hの音が落ちて、「ムシュー・アラ」でしょう(もっとも固有名詞に関しては、原語の発音を尊重するのかもしれないが、そこはよくわからない。ちなみに『シルク』のフランス人主人公の名前はHervé Joncour。映画のなかでは誰一人、フランス語を話さず、英語で通していたが、映画では「エルヴェ・ジャンクール」と発音されていた)。あと「ムスリム」の語源は「ムーア人」という書いてあったが、これはまちがい。


ともあれ、原敬を日本の現実的なリベラル派の宰相と位置づけ、右翼団体を、世界破滅をたくらむ古代からの秘密結社の末裔として位置づける痛快な歴史ミステリー・冒険物だった(とはいえ政治的なミステリーではなく、伝記でもなく、伝奇物だが)。今年は原敬の180日間世界一周から1世紀後にあたるので復刻されてもいいのでは。