Heathcliff


日記のつづき。昨日の日記で書き忘れたが、昨日、週刊『新説 戦乱の日本史』創刊号「長篠の戦い 織田信長』のコマーシャルを見る。長篠の戦いでの信長の三段撃ちはなかった、ということをテレビで連呼しているのが、それっていまや常識ではないか。


三段撃ちがあったということを信じているほうが、いまや少数派でしょう。結局、この週刊なんとかは買っていないのだが、買って読んだ人のネット上の情報によると、三段撃ちはあったが、合戦の勝因は、馬防柵と、鉄砲の連射の音に馬が驚いたということのようだ。ただし未確認情報。もしこういうことがその週刊『新説』に書いてあったら、それは井沢元彦あたりが言っている珍説でしょう。鉄砲の音に馬が驚いた? まあ千丁の鉄砲が号令のもと一斉に火をふけばそういうこともあるかもしれないが、そもそもそも一千丁の先込式の火縄銃を号令のもと、一キロ以上も横に展開する兵士(一メートル間隔でということですが、実際、もっと間隔をあけないと、火縄銃は危なくて撃てない)が撃つなどいうことは考えられない。井沢元彦も焼きがまわったとしかいいようがないが、ただし、未確認情報なので、井沢元彦も、そこまで馬鹿ではないと思うので、これ以上は追及しない。


戦国史への視点は、宗教的なものと、外国の影響、そのふたつからのアプローチが決定的に不足している。日本国内の世俗的な権力闘争の歴史としか捉えられていないのでは。


たとえば信長の三段構えについては、太田牛一による『信長公記』には書いてなくて、『信長公記』をもとに書かれた『甫庵信長記』に記述があって、捏造に近いといわれている。しかし信長に関する第一級の当時の史料としての『信長公記』にしてからが、作者は太田牛一である。「牛」。まさに牛頭天王を崇拝していた信長にふさわしい名前で、よくてペンネームでしょう。悪くて、実在しない人物で、ほんとうの作者は複数いるとか。


長篠の戦いの、馬防柵と銃を活用し、野戦築城戦にもちこむのは、スペインの将軍ゴンザーロ・デ・ゴルトバの戦法の模倣であるというのは、おそらく正しいと思われる。信長の軍隊の外見は、平安時代の武者人形のような鎧兜の兵の軍隊ではなくて、スペイン、ポルトガルの軍隊と外見はそんなに変わらなかったはずだし、完全に欧州化していたはずであり、戦法もまた欧州化していたとみていいのかもしれない。


しかし鉄砲による2段、3段がまえの防御戦法というのは、鉄砲が、先込式の火縄銃から、後方からの銃弾装填によって、単発式でも装填が簡単になり、一斉射撃のための銃撃のタイミングが計れるようになると、現実化する。


『エリザベス ゴールデン・エイジ』(Elizabeth:The Golden Age, 2007)の監督シェカール・カプール(Shekhar Kapur)がつくった『サハラに舞う羽』(2002)では、反帝国闘争を展開する原住民の攻撃に対し、包囲されたイギリス軍が方形陣をとり、二段構えの防御戦法をとる戦闘シーンが、ひとつのクライマックスになっている。四角形の各辺に歩兵を配し、指揮官は中心に位置して指示を出す。歩兵は、一斉射撃をしたあと、後ろの歩兵と交代し、単発式の銃に弾をこめ、撃ち終わった歩兵と交代する。まさに二段撃ちである。


方形陣はローマ時代のファランクス以来(あるいはもっと前からか)存在していたが、その方形陣の人間の壁から銃を撃ち、全方位からの攻撃に対処するというのは、話には聞いていたが、映画のなかの戦闘シーンとしてみるのははじめてであり、かなり感銘を受けた。


もちろん歩兵が人間の壁となり、2段、3段がまえで銃を撃つ戦法というのは、ある意味、あまりに脆弱で、まあアフリカの砂漠で原住民相手にしか使えない戦法でもあった。しかも映画は、それが始めて破られるところをクライマックスとしている。


なお『サハラに舞う羽』(原題は「四つの羽」The Four Feathers――臆病者に送られる軽蔑のアイテム)は、これまで何度も映画化されているが、シャンカール監督の映画は、新たに原作から脚本を作り直した意欲作で、スペクタクル性も十分なうえ、植民地主義とその抵抗闘争というような、現代の視点を盛り込むものだった。しかし、それにしても、いくら新しい解釈を盛り込んでも、原作のもつ古さはいかんともしがたく、古い変な物語になってしまっている。ネタバレに注意しつつ、少し触れれば、終わりのほうの脱出場面、ジュリエットか、おまえはと思った*1


『サハラに舞う羽』を思い出したのは、信長の三段撃ちの話がはじまりだが、同時に、主役がヒース・レジャーであったからだ。今週、その突然の若すぎる死が伝えられたヒース・レジャーHeath Ledger(1979-2008)。彼の本名はヒースクリッフ。親が『嵐が丘』の主人公にちなんでつけた名前だった。合掌。

*1:あと、なぜ、優秀な士官が突然、臆病風にふかれてしまうのか、わからなかった。最初はクィアな原因かと思ったが、そうでもなくて、ただの臆病者でしかなかったのはがっかりした。