ダブル・ジェオパディ


中国産冷凍食品に薬物混入事件は、いまだ未解決なままだが、日本に調査にきた中国の調査団が帰国後、中国側から、日本の警察の非協力的な姿勢ならびに薬物が包装の外からも中に浸透できるという実験結果などをひきあいに出して、薬物は日本で混入したものであり、中国に非はないことを宣言したのだが、これに対する日本の警察や政府の反発からみても、中国側の調査が、公平性を欠いた国策調査であることは明らかで、ペキン・オリンピックもあって、海外に悪いイメージを与えたくないという中国側の思惑があるのではないかと、ある自民党政治家が発言していたが、たぶんそれは正しいのだろう。中国の警察が、国策警察であることは明白である。


警察が公平性を失い国家に加担すること(警察とは最初からそういうものではないかという批判もあるが、法を守らせる以上、みずからも法は守っているという前提で話をすると)、もちろんそれは今にはじまったわけではないが、その疑いがある場合は、常に眼を光らせていないといけない。


アメリカに拠る三浦和義逮捕も、おそらくアメリカの警察や司法当局が国策に加担した一例であろう。アメリカの尻の穴をなめているだけの日本政府や自民党が、アメリカに捜査協力するなどと売国奴的発言をしているのは許しがたいことだが、誰しも驚いたように、なぜいまこの時期になっての逮捕なのか。いうまでもなくそれは沖縄の米兵の暴行事件がからんでいる。


アメリカ兵が基地外で、沖縄の日本国民に害を加えたときに、日本の警察が犯人を逮捕して取調べができないことが問題となっている。法的な手続きや協定のことは知らないが、常識で考えると基地の外、日本国内でアメリカ人が日本人に対して危害を加えた場合、その犯人を日本の警察が逮捕取調べできないのはおかしい。沖縄の人たちが怒っているのは、アメリカの兵隊たちが暴行したことではない。アメリカの兵隊など、そもそも犯罪者なのだが、それを差し引いても、どうせ寄せ集めの屑ばっかりだから、彼らが犯罪に走るのを止めるのは至難のわざである。そもそも犯罪者は、どこにでもいる。問題は、犯罪者が出たときに、その犯罪者を逮捕し裁くことができない場合である。これが言語道断の事態である。それまた沖縄の現地が、まるでアメリカの植民地であるかのような扱いなのである。これもまた言語道断である。


アメリカ軍が犯人の兵隊を日本の警察に引き渡さない理由は存在する。これはつねにアメリカが日本を見下すときのステレオタイプなのだが、日本の警察は信用できないということである。捜査はずさんで、冤罪をはじめ、人権蹂躙もはなはだしい(実際、そんなことを、陪審制度などという愚劣な裁判制度を維持している馬鹿なアメリカ人に言われたくないのだが、アメリカの保守層エリートの馬鹿どもは、そう考えている)。そんな原始的原住民警察に、いくから犯人とはいえ、アメリカ人を引き渡せるかという理屈である。


いや現地のアメリカ軍では、犯人の兵隊を日本の警察に引き渡してもいいと考えているかもしれない(まあ、それはないだろう。軍隊が守るのは国民ではなく、軍隊それ自体であるから、そんな馬鹿なことは考えないだろうが、あくまでも仮定の話)。しかし、それは日本の警察や司法を、原住民の未開なそれと見くびっているアメリカの保守層の考え方に逆らい逆鱗に触れることになるから、絶対に容認されないだろう。原住民の警察は危ない。原住民の警察は無能である。原住民の警察は人権侵害を行う。この固定されたイメージを強化し、日本の警察に協力しないためにも、事件が一つ仕組まれた。三浦和義不当逮捕である。


ロス疑惑事件で三浦和義が犯人だとするなら、これはアメリカの地で、日本人が日本人を殺したか殺そうとした事件である。逮捕された容疑者の裁判を日本でおこなって全然おかしくない。たとえば沖縄で、米兵同士がけんかをして殺し合いをしたとき、日本人や日本の環境に害を加えなかった場合、まあアメリカ軍が基地内で、犯人の米兵を裁いても、一般常識としては批判はでない。ところがそのとき、もし日本の警察が、米兵同士の喧嘩さわぎの容疑者として基地内で裁かれ、無罪となった米兵が、基地の外に遊びに出てきたとき逮捕して、取り調べるというのは、法的には有効であっても、一般常識からはおかしい。これが今回の不当逮捕の不当たるゆえんである。そして重要なことは、いまのべたのはシミュレーションであって、米兵どうしで喧嘩して裁かれた無罪になった米兵を、日本の警察が日本の土地で逮捕したらアメリカは猛烈に抗議して大問題になるのに、今回、日本の政府は、なにも文句をいわないことだ。こういうのを真に自虐的な政府というのである。


日本の国内で無罪となった人物を、国外に出たところで、逮捕して、アメリカで裁くというのは、日本の司法をこけにしているとしか思えない。事実、そうなのだ。今回の逮捕は、沖縄の米兵事件とあわせて、日本の警察や司法の面子をなくさせて、その無能ぶり、その無効性を暗示し、米兵を日本の司法の手にゆだねない口実として、三浦和義が逮捕されたとしか思いえない。新証拠がでてきたわけでもないようだ。逮捕状は、88年の逮捕状であり、逮捕してから新たに逮捕状を作成したようだ。アメリカにしてみれば、起訴できなくても、証拠不十分で釈放されても、かまわない。一時的に沖縄問題での失点を、今回の(不当)逮捕で挽回できればということなのだろう。


私はロス事件の真犯人が誰か知るよしもない。しかしそのこととはべつに、今回の逮捕は、不当な国策逮捕である。あのジョン・ペネ事件で、鳴り物入りで犯人を逮捕したものの、結局、証拠不十分で釈放せざるをえなかったアメリカの無能警察の国策捜査である。日本の司法当局を相手取って数々の訴訟に勝訴した三浦和義氏が、今回も、その粘り強さと、冷静な判断で、日本の司法の名誉を汚したアメリカの司法当局の面子をまるつぶしにすることを期待する。もちろんそれは苛酷な戦いにもなるだろう。何度もくりかえせるものではないかもしれない。年齢からしても、おそらくこれが最後の戦いになるかもしれない。三浦和義氏の最後の戦いを、私は応援する。