Beautiful Mind


本日は、ある大学の研究会で話をすることになった。研究グループのゲスト講師としての講演だが、そんなにりっぱなものではなく、会議室の一室を借りての講演で、メンバーも研究会メンバーしかいないから10名足らずである。


宣伝はしてくれるな。刺客が来ると嫌だからと、小さなA4(と聞いたが)のポスターを学内の貼ってもらっただけだから、基本的に誰も気づかない。しかし、気づいた人もいて、かつては毎日のように会っていたのだが、就職もして職場も異なるために会う機会もなくなったX氏が、私の講演に参加することになった。


X氏に最後に会ったのは、X氏が夫妻でイギリス滞在中に、こちらが日本から遊びに行って以来というから、かれこれ15年も会っていない(ちなみに、その時、X氏夫妻が滞在していたのは、ユダヤ人未亡人の家で、私も空き室を寝室としてあてがわれた。通りに面しているその寝室で寝ていた私は、カーテンと窓越しに、酔っ払ったイギリスの若者が通りにたむろしている気配を察したが、そのうちの一人が、私の寝室の窓にむかって、通りからJewと破棄捨てるように言って去っていったことを覚えている。ロンドン郊外のユダヤ人が多い町だが、ユダヤ人たちは、日々、差別にさらされていることがわかった。もっとも心無いひとりの酔っ払いの言動から、イギリス人全体がそうだとは言い切れないとしても)。


当日、話の内容の希薄さを補うためにコピーを多く用意したが(話の前に急いで、コピーをするのだが)、コピー中に、私のほうに近づいてくる老先生がいた。私のしょうもない話を、わざわざ聞きに来ていただき、恐縮していたが、その老先生が私に声をかけた。X氏であった。わたしよりもX氏のほうが5ヶ月若い。まあ同年齢といってもいい。事実4月からはX氏と私は年齢が同じになる。


しかし、そのX氏をみていると、私自身、年取ったのだろうと思う。X氏は頭こそ白くなったのだが、体型はかわっていなくて、そのぶん私よりもまだ若さを保っているのかもしれないが、まあ、年をとったのだからしかたがない。


本題にはいると――


その講演会の会場となった会議室は、窓の外に足場が組んであって、工事中なのである。しかも土曜日に工事。まあ年度内に工事を終了させねばならないというから、たいへんなのだろう。冬だから、窓は閉めてあるのだが、窓のすぐ外の足場で、工事をされては、うるさくてたまらない。結局、私の話も、最後のほうは、工事の音でかき消された。話のあとの質疑応答も、かなりの部分、工事の音で中断せざるをえなかった。


これはしかたないことである。後で聞いたが、なんの工事かというと、耐震強度不足が発覚して、新学期までに補強工事をするとのこと。土曜も日曜日も工事をするらしく、そうなると、いま研究会をしているから、終わるまで静かにしてくれないかと頼むわけにはいかない。そもそも工事現場(とはいえ窓ガラス一枚隔てた外だが)と教育現場は、互いに不干渉を原則としているから、工事作業員が、授業を聞いたり、授業に口をさしはさんだり、研究成果を質問したりしないのと同様に、教育研究者が工事に注文をつけるときは、大学の事務局のようなところを通さないと、直接交渉はできない。まあ、そんな暗黙の了解事項のようなものがある。


ところが奇跡は時々起こる。私は、工事を止めさせた奇跡を、これまで二度目撃したことがある。ひとつは現実の場で。もうひとつは映画の中で。


イギリスの学者へレン・ガードナーが来日して、東京大学(本郷)で講演をしたとき、大学院生であった私は、講演を聞きに行った。大教室での講演で、聴衆もかなりたくさんいたと記憶している。ところが、あいにく、講演がはじまってから、外で工事がはじまった。工事の場所は、講演会場の教室から見えるのだが、すぐ外というわけではない。ある程度、離れているのだが、やはりその工事の音で、マイクを通しても声が聞きづらいことはたしかであった。


すると、その時、駒場のY*1先生が、会場から姿を消して、数分後、工事の音が止まったのである。そして、講演の最後まで、工事の音は聞こえなかった。工事が中断したのである。しかし、その時、会場にいた誰もが、Y先生が工事を中断させたのだということは察しがついた。事実、そのとおりだったのである。


工事と言っても一人の作業員が掘削機で地面を掘っているというような工事でなく、ブルドーザーやパワーショベルなど大型の工事機械での工事である。まあ「外国から偉い先生が来ていて講演しているか、**時まで工事をやめてもらえないか」というようなことでお願いしたのかもしれないが、それにしても大型工事機械群を前にして、どうしてよいか、私なら途方にくれる。その頃は、大学院生だった私は、Y先生に、どうやって中断させたのですかなどと聞ける立場ではなかったのだが、しかし、Y先生は偉い、あの工事を中断させたのだからと、ほかの先生方が感心していたのを私は覚えている。私はそのことで(もちろんほかのことも含め)、いまでもY先生を尊敬している。私には絶対に真似ができないことだから。


もうひとつは、映画の中。プリンストン大学。夏。のちにノーベル賞をとり、頭がおかしくなる数学学者が若い講師だった頃、教室(とはいえ演習室といってもいいくらい小さな部屋だが)で授業を行なっているときに、工事の音がする。


ラッセル・クロウRussell Croweが演ずるその若い講師は、夏だからシャツの腕をまくっているのだが、数学の先生が、あんな筋骨隆々のたくましい腕をしているかいと、悪口もいわれた映画のなかで*2、この場面に遭遇した私は、緊張した。工事現場の音で、授業ができないのである。いや正確にいうと、窓を閉めれば音は遮断できる。事実、その場でラッセル・クロウは窓を閉める。しかし1950年代の大学、冷房設備はなくて、窓を閉めると教室は蒸し風呂のようになって、授業ができなくなる。私はたぶんこの場面を、おそらくどの観客よりも緊張してみていたはずである。


すると、おもむろに女子学生が立ち上がって、窓のところへ行き、窓をあけ、窓から身を乗り出して、工事中の作業員たちに声をかける。なんて言ったのか、覚えていない。手元にDVDがあれば、確認できるのだが、それもないので、どうしようもないが。とにかく彼女が声をかけると、工事は中断するのである。そして彼女は教室の先生のほうに向き直って、ほこらしげに自分の席につく。度胸があるとか勇気があるとはいえないかもしれないが、とにかく、誰もが我慢するしかないという状況のなかで、奇跡をなしとげたのである。


彼女はジェニファー・コノリーJennifer Connollyが演じていて、やがてこの女子学生と、ラッセル・クロウは結ばれ夫婦となる(映画のなかではそうだが、現実には、この映画が契機でジェニファー・コノリーと、ポール・ベタニーPaul Betany(ラッセル・クロウの虚構のソウルメイト役)が結婚する)――いやあ、同じ状況だったら、私だって、この奇跡を起こす女性と結婚したくなる。工事現場と教室。このまじわることのない二つの世界も、ときどき交錯し、奇跡が起こる。

*1:これはXの次に使っている記号で、Yで始まるイニシャルの人物を示しているのではない。

*2:ビューティフル・マインドA Beautiful Mind (2001) dir. by Ron Howard.それにしても、この映画、クィアな映画だったと私は記憶している。