Liar Game


先週は、15年ぶりにX*1氏と会って、なつかしかったのだが、本日は、Z氏と久しぶりに会って、話をして、うんざりした。実はZ氏の勤める大学に所属する学生から、私に個人的にメールが来て、Z先生が不人気なのだが、どう思うかと問い合わせてきた。


そのメールの内容は、迷惑がかかるかもしれないので、とりあえず、そういう内容としか報告できないのだが、それだけなら、変なメールなので答える必要もないのだが、いろいろ書いてあって、そこから察するに真摯な学生だと思ったので、丁寧に対応することにした。その際、その大学の教員の悪口なり非難めいたことをメールに書くのは、書いた本人が逆に人間性を疑われる可能性があるので、まあ冷静に判断してくださいと、やや穏健なアドヴァイスになってしまったが、いまにして思うと、その学生には「あなたの大学にはいい先生がいっぱいる(これはほんとうである)。Z先生の不人気は、その人間性が見透かされているからでしょう。だからなにもZ先生のような、ひどいやつにかかずらうことはない。Z先生は避けたほうがいい」とこう語るべきであった。それは本日(15日)にZ氏にあって、つくづくそう思った。


以下のやりとりは、私の側の主観によるものである。つまり、Z氏本人は、そんな内容のことは言った覚えがないと言い張るかもしれない。しかし、たしかにZ氏は以下のような内容の話を私に語り、Z氏の情報をもとに、私を軽蔑したからである。私は軽蔑され傷ついたのであり、その原因はZ氏の話の内容からであった。つまり仮にZ氏は自分は暴力を振るったことはない、振るうつもりもなったと言い張っても、被害者の私の体にその傷が残っていれば、私が自分で自分を傷つけたのではないかぎり、その傷はZ氏の暴行によるものであるということになる。この理屈をふまえたうえで、以下のやりとりは、Z氏がなんといいはろうと真実である。そしてZ氏の話には、なにひとつ真実はないことがこれでわかるはずである。


Z氏は、私にこう絡んできた。今度、日本英文学会の新人賞をQ君がとることになったが、どう思うか、と。


私は、そのQという人は、新人賞をとらない。私は新人賞が誰で、どの分野の人か知っているので、まちがいないと語ると、


Z氏は、そうか、じゃあ佳作なのかと自分の記憶を訂正したうえで(というか、こういう人間にありがちの、迷惑な記憶違いなのだが)


Z氏はさらに、Qというのは英文学が専門じゃないのに、どうして新人賞をとるのだと問うてきた。たとえ佳作でも新人賞と同じとみていいだろうからという理由で。


私は、英文学が専門でなくても、新人賞には応募できると語った(実際にQ氏の論文は、源氏物語の研究とかいうのではなくて、りっぱに英米文学研究の範疇に入るものであった)。それから佳作であったかどうか、記憶があいまいになってしまった。佳作が2編あることは知っていた。そのうち1編の執筆者を私は知っている。新人賞受賞論文は、新人の論文らしからぬすばぬけた完成度を誇っているとのことで、もしその新人賞論文がなければ、佳作の二人は、どちらかが、あるいはどちらも新人賞をとってもおかしくないとは、言われていた。ただもうひとりの佳作論文がなんであったか思い出せなかった。


Z氏は、Q氏の論文を読んでいるらしく、またそれは『英文学研究』に佳作論文として掲載されているはずで、1)おまえが読んでないのはおかしいし、2)掲載されていることすら記憶していないのは、おかしいと、私を軽蔑したのである。実際、鼻でせせら笑ったのである。そしてそのうえで、3)ああいう論文を掲載していいのか、新人賞佳作にしていいのかと、ここでさらに、鼻でせせら笑ったのである。


そのQ氏の専門分野と私の専門分野は同じではない。だからQ氏の論文を私が読んでいなくても、なんら恥じ入るころはないし、おかしなことでもないのだが、Z氏の言い分では、彼の興味のある分野の論文を読んでいない人間は、人間の屑扱いである。また2)と3)については、2)は私が軽い責めを負うべきかもしれないし、3)は、真摯に対応すべきことかもしれない。そう思われてもしかたがないだろう……。


しかし、実際は、そうではないのだ。なぜなら後で調べたら、Q氏は佳作でもなんでもない。落選しているのである。Q氏の論文は『英文学研究』に掲載されていない。私が、Q氏の論文が掲載されていることを覚えていたら、それこそ、へんなのであって、憶えていないほうが正しいのである。そのためQ氏の論文は、佳作にもなっていないのだから、私には読めない。私は編集委員でもなんでもないのだから、応募論文を読む必要はないし、かりに編集委員だったとしても、専門外の論文は読む必要もない。ということで、Z氏は、完全に記憶違いをしていたのである。その記憶違いをもとに、Q氏の論文の掲載も知らず、中身も読んでない私をせせら笑ったのである。あとで怒り心頭に発したのはいうまでもない。偽りの記憶で私が軽蔑されたら、たまったものじゃない。


実際、このZ氏には過去にひどいめにあったことがある。


私は昔、関西の大学で行われた日本英文学会のシンポジウムにパネラーとして参加したことがある。柴田稔彦先生(べつに迷惑をかけるつもりはないので、実名にした)がオーガナイズしたシンポで、司会も柴田先生であった。


ただ、その頃、私は、基本的に言語障害者で話が下手にもかかわらず、シンポジウムに参加を求められ、学会というと、いつもなにか話さなければならなくて、緊張していた。たまには学会で、研究発表やシンポの聴衆となって、のんびり、勉強させてもらいたいと思っていたので、柴田先生からの依頼は断ることはできないので、喜んでお引き受けしたものの、これを最後にシンポからは足を洗うというか、今後は、依頼されても断ろうと考えていた。私は、そのことを周囲に話していた。これが私にとって最後のシンポになるかもしれないというように。


ただ、私としても、柴田先生の司会のシンポでひどいめにあったとか、うんざりしたということで、辞めるというふうに誤解されても困るし、それだった柴田先生にも迷惑がかかる。だからシンポが近づいたら、シンポを今後辞めるという話は一切しなかったし、シンポ後は、なおのこと、今後シンポには出ないというような話はいっさいしなかった。だが私の配慮など、簡単に打ち砕いたのがZ氏であった。


シンポが終わってしばらくしてから、Z氏に会う機会がって、Z氏いわく「最近、柴田先生に会ったのだけれど、その時、***【私のこと】が、『もうシンポには出ない』と言っていたと、柴田先生に話しておいた」というのである。私がシンポの1年前に話したことを、Z氏は覚えていて、それを私の最近の発言として、柴田先生に話したのである。それも何の説明も脈絡もなしに。そうなると私が柴田先生の司会のシンポに不満で、金輪際シンポには出ないというように、柴田先生に受け取られてもおかしくない。いや、柴田先生が、そうは受け取らないかもしれないのだが、Z氏の報告からすると(ただしほんとうかどうか知らないが)、柴田先生もそれを聞いて、やや気色ばんだとか困惑したとのことである。シンポは実際のところ、当事者からは判断しにくいのだが、無難というよりも一定の評価を得て終わったことはまちがいなく、私が辞めると考えるほどの問題など何一つ起こらなかった。私から柴田先生に事情を話そうかとも考えたし、私はシンポを金輪際しないということをシンポ後、誰にも言っていないこと、私の過ちは、シンポの一年前にZにシンポを金輪際辞めると話したことであると、柴田先生に訴えようかとも思ったが、逆効果になるかもしれないので、それはしなかった。


ただZ氏があちこちで言いふらしていると、柴田先生にもご迷惑をかけるかもしれないと思い、Z氏の話がいい加減なものであることを証明し、柴田先生にもご迷惑をかけないようにするため、それ以後、シンポの参加要請は、すべて受けることにした。ただ残念ながら、その後受注が減ったため、その後もシンポに出続けているという印象よりも、シンポに出なくなったという印象のほうが強くなったしまったかもしれないのだが。まあ、受注が少なくなったことまでZ氏のせいにするつもりはないが、それにしてもZ氏はひどいやつだ。学生が本能的にも、直感的にも、理論的にも、嫌うのは当然である。

*1:以下、ローマ字はイニシャルではないので、実名とは対応していない。