4, 3, 2

今月の映画会は、ルーマニアの映画『4ヶ月、3週と2日*1。最初は、あんまり期待はしていなかった。2007年カンヌ映画祭パルムドール(最高賞)受賞の映画である。ルーマニアチャウシェスク政権下で、禁止されている中絶をする女友達のために奔走する若い女性の一日を描く映画。まあ、ヒューマンな映画だろう、女の子必見ということらしいから、女性映画でもあるのだろうと、そんな軽い気持ちで、そしてリアルなのだろうが、あまい痛い映画でないほうがいいな、と、その程度の期待でみにいった。結果からいうと、映画が終わる頃には、銀座テアトルシネマの座席から、ころげ落ちそうなほど、私は笑っていた――心の中で。周囲に笑っている人はいなかったので、笑い声はあげなかったが、ほんとうにおかしかったのだ。馬鹿にしているのではない。ほんとにおかしい映画だったのだ。


ルーマニアブカレストの大学(だろう)の学生寮の一室。朝、最初は何がおこっているのかわからないのだが、女子学生ふたりがいて、これからどこかに泊まりにでかけるらしいとわかる。それは町のホテルに泊まって、非合法の中絶処置を受けるためだとわかってくるのだが、その処置をうける女子学生のほうが、朝、電熱器であたためたなにかを脚に刷毛で塗っている。私は彼女が何をしているのか、わからなかった。あとで映画会にいっしょに行った女子会員に尋ねたら、あれは脱毛ワックスだということだった。脚の脱毛をする。でも、なんで? 身だしなみ? なんの? 中絶の処置をするから? このあたりからすでにへんなのだが、最初はわからなかった。この脱毛女子学生は、試験勉強のためのノートをもってゆくべきかどうか、気にしている。しかし、ホテルに着いたときには、医者からビニールシートを忘れるなと念を押されたのに、それを忘れている。なんなんだこの女は? と違和感といらいら感がつのる。それは彼女のために奔走するルームメイト(この映画の主人公)が抱くいらいら感でもあるのだが。


その脱毛ルームメイトは、ホテルの予約を正しくとっていないことがわかるし、女性の医者ではなくて、あまり信用のおけない友人から紹介された(おそらく割安の)男性の闇医者に処置を求めるのだが、それがまちがいだとあとでわかる。すべて脱毛ルームメイトのすることは、ドジで、中途半端で、いい加減なのである。彼女は妊娠5ヶ月になろうとするのに、2ヶ月と医者には偽っている。いや、その他、こまごましたところで、この脱毛ルームメイトのやっていることは、抜けている。そもそも妊娠したこと自体、考えが甘いということがわかる。


脱毛女のいい加減なぶん、姉御肌のやり手のルームメイトの女の子に負担というか後始末が全部のしかかってくる。まさにおんぶにだっこ状態。今回の映画会の女性会員たちは、映画のリアルさに見終わったあと、脱力状態だったようだが、私が、あんなおかしいな映画はなかったと、予想外の反応をするものだから、それにつられて、女性会員たちも、映画を冷静にふり返ってみると、あの脱毛女の身勝手さに、むかつきを覚えはじめたようだ。そのため脱毛女についたあだ名が「口半開き系の女」。こういう一見あどけなく、無垢で、自然態で男にこび、自然態で女友達に依存するような「口半開き系の女」には、女性会員たちはこれまでけっこう痛い目にあった経験をもっているようで、驚かされた。また口半開き系の女の話題でかなり盛り上がった。


この映画は、困ったルームメイトのために、けなげに奔走する女性のヒューマンなドラマというのとはちょっと違ってくる。なぜ彼女がルームメイトのためにそこまでするのかわからないというのが多くの観客の感想のようだが、映画をみるかぎり、好むと好まざるとに関わらず、彼女の立場ならそうせざるをえないのではないかと思えてくるのだが、要は、彼女の奔走は、そんなに意味があるのだろうか、そこまでしても意味がないのではないかという気持ちが観客にわきあがるということだろう。なにしろこの救いがたい「口半開き系の女」なのだから。


リアルに展開する映画は、高級ホテルの一室で、医者と二人の女子学生が処置前の説明を受け、謝礼の交渉をするあたりから、俄然、緊迫感がましてくる。それはまるで良質のテンションの高い演劇をみているようだ。ホテルの一室、そこに二人の女子学生、非合法の中絶をする医者、この三人だけで事件が展開する舞台。さらにお金が不足しているので、体で払えということをにおわす医者の悪辣なほのめかしが入ると、映画の内と外(観客)で、緊張感がマックスに達する。脱毛・口半開き系の女は自分が体で相手をするというのだが、結局は、ふたりとも医者に犯されることになる。


長たらしい説明と、注意のわりには、中絶の処置は、意外と簡単で、以前、同じ映画館でみた『ヴェラ・ドレイク』の頃と、ほとんどかわらない。『ヴェラ・ドレイク』では石鹸水を膣に入れていたのだが、今回は、水を入れるだけである。医者が去る。


そして画面の下半分に、ベッドに仰向けになる女性の両脚(脱毛済み)、ベッドの向こうの壁際のテーブルと両端のふたつの椅子。T字型の構図を、この映画の監督は好んでいる。中絶処置が終わって、これから胎児が出てくるのを待っている間、ふたりの女性は沈黙している。彼女たちにとっては大金を失い、そして二人とも医者に犯されて、言葉がない。椅子に座るルームメイトの女性の姿をT字型の構図で正面からカメラがとらえ、延々と長回しする。そしてこの長回しの時間は、ルームメイトの女性が徐々にむかついてくる時間となっている。やがて彼女は中絶した脱毛・口半開き系の女を責める。しかし、自分はなにもできない無能な女だからという、いいわけだけが返ってきて、それ以上、責められない。そればかりか、ベッドで仰向けになっているこの口半開き系の女は、逆切れし、また動けないから、煙草が欲しいという。むかついているルームメイトもしかなく、煙草を与え、灰皿まで側に置く始末。結局、彼女がいくらお姉さんぶって面倒見のよいところをみせてやっても、この脱毛・口半開き系の女に利用されているだけではないかという思いが見ている側につのる。口半開き系の女は、友達にはしたくないタイプだと、女性会員たちが怒りをぶつけた。


これから胎盤がでてくるまで、ひとりではたいへんだから、もうひとりが手伝ってやるようにという医者の注意にもかかわらず、ルームメイトのほうは、恋人の母親の誕生パーティにでかける。おそらく、彼女のむかつきが、膣に管をさした脱毛・口半開き系の女をホテルの一室に放置するという行動を生んだのであろう。そして私が壊れた誕生日の晩餐シーンがくる。


ここまでをまとめると、二人の女子学生は、まあ、悪人ではないにせよ、不良学生で、不良なら不良らしく頭をはたらせろと思うだが、理知的な行動をしない。それはそれで逆に真の悪人ではないから同情を誘ってしかるべきだが、むしろ考えの甘さと愚かさに、みていていらいらする。中絶処置をする医者も、困った女性を非合法ながら助けてやるというような善意の医者ではなくて、偉そうなお題目をならべながら、若い女性の肉体を食いものにしている度し難いスケベオヤジにすぎない。二人の女にも医者にもうんざりだ。どうにでもなれ、ばかたれという想いがわいてくる。中絶処置をした脱毛・口半開き系の女を一人残していくもうひとりの主人公については、むかつく気持ちは分かるけれども、また恋人(将来夫になるかもしれない)の母親の誕生日に顔を出すのは重要なことかもしれないけれども、やはり一人残して行くのはまずいぞ、なにか取り返しのつかないことが起こるのではないかという予感もする。


事実、ホテルに残してきた脱毛口半開き系の女のことが気になって、彼女も、恋人の家からホテルに電話しようとするが、そのチャンスがまわってこない。これもみていていらいらする。しかもこの誕生日の晩餐。横長の画面の中央に、若い恋人二人。その両側に両親と親戚の顔がうつしだされ、全部で6人ほどの顔が横一列にならんで、食事しながら、にぎやかに会話をする。この長回しが延々と続く。中央の若い二人のうち、男のほうは、晩餐のあと、部屋で彼女とセックスすることで頭がいっぱいであり、また彼女が浮かない顔をしていることを気にかけている。いっぽう女の方は、ホテルに残してきたルームメイトのことが気が気ではない。彼女は、ホテルに電話するチャンスを逸している。できるなら早く退散したいと思っている。


だが、浮かない顔をしている二人の若い男女のことなどおかまいなしに、騒々しい会話が途切れることなく延々とつづく。途中で電話の音がする(絶妙のタイミングである)。電話がかかってきているのだが、会話に夢中になっている中年や老人たちには、電話の音が耳に入らない。会話にかきけされて電話の音は、男にも聞こえなさそうだ。電話のかすかな音はすぐにやむが、それがなにか不吉な知らせかもしれないという思いがしてくる。彼女もいらいらする。観客もいらいらする。晩餐での会話は、おそらく、ある程度の段取りさえ決めたうえで、あとはアドリブではないかと思われるくらい(実際、あれをきちんとした台本に基づいて演ずるのは至難の業だろう)、激しいテンションでまくし立てているもので、とにかくうるさい。え〜い、うるさい。うるさい。ホテルの一室が気になる。ああ、うるさい。いらいらする。心配だ……。と、この騒々しいハイテンションの晩餐のどこかで、おそらく電話の音がしたあとあたりからか、私のいらいらも最高潮に達して、そして、私のなかで、なにかがプッツンと切れた。私の中で、なにかが壊れた……。


いらいらの極致で、私は、壊れた。映画のなかの出来事が、笑えてきたのである。もう笑うしかないではないかと思えてきた。


この晩餐で、彼女はようやく欲しがっていた煙草Kentにありつく。しかし、なんでKentなんだ。マルボローではそんなにだめなのか――あっはっはっは。しかもあんなに欲しがっていた煙草を一本もらったのに、火がつけられない、と、そのとき、どこの家族にもいる変なおじがいて、若い頃には、結婚する相手の家族の前では、煙草をすわなかったと、嫌味がはいり、彼女は煙草が吸えなくなる――あっはっはっは。そういえば、ルームメイトはいつでも煙草を吸っているのに、彼女は最後まで煙草が吸えない――あっはっはっは。


ホテルにもどってみると、玄関に救急車止まっている。ルームメイトを残してきた部屋に入る前に、彼女は一呼吸おく。わたしたちも、ひょっとしたら、電話に出なかったルームメイトがひどい状態になっているのではないかと予想する(救急車のことも気になる)。部屋では彼女が横たわっている。体に触れても起きない。死んだのかと、ぞっとする。すると口半開き系の女が目を覚ます。眠っていたのを起こされて不機嫌な様子。どうして電話に出なかったのかというと、電話がうるさいからバスルームに置いた、と。バスルームに行ってみると、そこにタオルにくるまれて胎児の死骸が無造作に床に置かれている……。あっはっはっは。トイレに流したらつまるからだめだといくら医者にいわれたからといって、無造作に、床に、4ヶ月をすぎた胎児をほうっておく? あっはっはっは。あっはっはっは。なに考えているんだ。あっはっはっは。結局、それを捨てに行かねばならない。ビニール袋に入りきらないので、結局、自分のバッグに入れる彼女。それをみていて、ビルの10階からダストシュートに入れて捨てるという医者の指示ににもかからず、埋葬してねと頼む脱毛女。だが、そのくせ、トイレの床に胎児を無造作に放置していたじゃないか、おまえ、あっはっはっは。そういえばホテルの前の救急車はなんだったんだ。あっはっはっは。あっはっはっは。


思い出すといろいろなことが笑えてくる。闇医者は、自分は自分の車できて、IDカードもホテルのフロントにあずけている、逃げ隠れできないと豪語しながら、IDカードをホテルのフロントから回収しわすれている――たぶん、最初から偽物のIDカードなんだ。あっはっはっは。医者だって本物かどうかわからない、あっはっはっは。そんないい加減な医者に金をふんだくられ、犯されるとは、あっはっはっは。


夜の街で、犬にほえられながら、へんな男に付回されそうになりながら、ようやく胎児を始末してホテルに帰ってくると、部屋に口半開き系の女の姿がいない。またも、ここで急に緊張する。どこへ行ったのか。フロントにもどり、聞こうとすると、お連れの方はレストランにいます、と。はあ? レストランで彼女は食事をしようとしている。彼女のテーブルの前に皿が置いてある。横から見ているので判然としないが、体力を消耗したので、スープかなにかを食べているのだろうと察する。ところがそこに給仕が料理をもってきて、空の皿の上に、料理の皿を重ねる。それは肉の盛り合わせ。ポークとマトンとビーフの肉料理の盛り合わせで、おいおい、か弱い体をして、こんな野菜もなにもない肉だけの茶色一色の料理を食べるのか。あっはっはっは。しかも自分の子宮から、胎児と胎盤を出したあと、肉の盛り合わせ料理を――あっはっはっは。「だって、お腹がすいたんだもの」と、口半開き系の女――あっはっはっは。しかも、あっはっはっは、料理をさらに追加しようと、あっはっはっは、メニューをみているぞ――あっはっはっは。心配していたもう一人の女は、夜の街での胎児処理の緊張と、ルームメイトの容体を心配して、しかもしっかり死んだ胎児と胎盤を手にとったあとだから、肉料理を食べられない――あっはっはっは。そのため水しか飲めない――あっはっはっは。肉料理を頼み、さらに追加しようとメニューを見ているルームメイトを、あっはっはっは、彼女は、呆然自失の態でみつめている――あっはっはっは。と、そこで映画は終わる――ここで終わっちゃうの、あっはっはっは、あっはっはっは、あっはっはっは。


こんな面白い映画はなかった。ヒューマンなドラマと思っていたら、この〈ポスト・ポストモダン映画〉の面白さ、すごさがわからなかった。壊れてからは、映画の〈ポスト・ポストモダン〉の世界に入っていけた。また女の子、必見かもしれない。こんな口半開き系の女友達をもったら、ほんとうに悲惨だと、心に銘記しておくために。

*1:4 Luni, 3 saptamani, si 2 zile (2007).日本ではR12, イギリスではR15, アメリカでは制限なし。