Aim small, miss small. 贈る言葉

謝恩会に遅れ、お詫びします。なにか卒業証書授与式が終わってから、映画でもみていたんじゃないかという話がありそうですが、そういうことはありません。4時30分頃に研究室に顔を出したアリバイがあります。ただ池袋から地下鉄でやってきてから、ちょっと道に迷いました。


そこで何を話そうかと思い、映画に連想が行きました。2000年に『パトリオット』という映画が封切られました。ローランド・エメリッヒ監督の映画です。アメリカの独立戦争の南部での戦いを舞台にしたものです。あの映画のなかで、主役をつとめたハゲでゲイで変態のメル・ギブソンが、子供たち(10歳にもいっていない子供たち)に銃の撃ち方を教え、それを確認するために“Aim small, miss small.”と題目のように唱えるところがありました。


これはどういう意味なのか、映画のなかでとくに説明されていませんでした。映画を見終ったあとも、わかりませんでした。そういう決まった熟語なりフレーズがあるわけではないようです。“Aim high”という言い方があって、「目標を高くもて」という意味なのですが、それとの類推でわかるのかなとも思いましたが、よくわかりません。


しかしある資料にこれにつての説明がありました(映画撮影中にメル・ギブソンに銃の撃ち方を指導した人間の口癖であり、面白いからメル・ギブソンが映画のなかで使ったということだそうです)。たとえば人を撃つとき、ただ漠然とその相手を撃ったら、当たるか、はずれるかのどっちかですが、はずれたら終わりです。しかし、的を小さいものに絞る。たとえば衣服のボタンを的として、それを狙って撃った場合、はずれても、体のどこかに当たって相手を倒せるという意味のようです。


的を小さなものに限定し絞ると、当たらなくても損失は小さいということです。これは人を殺したり、戦争の撃ちあいの話で、それをメタファーに使うのは、やや気が引けるのですが、あえてそこから話を引き出すと、


皆さんも、これから大きな夢を抱いても、どんな夢もそうですが、実現しっこない。そうするとダメージとか挫折感が大きく、立ち直れなくなるかもしれません。大きな夢をいだいても、夢は実現しないは、ダメージも大きいということになります。


しかし小さな夢を抱いたらどうでしょう。まあ、私のような歳になると、へんにイリュージョンをもつこともなくなるのですが、どんな小さな夢でも、実現することはまれです。たいてい、夢は裏切られ、夢の達成へとさだめたねらいは、はずれます。でも小さな夢なら、はずれても、実現しなくてもいいのです。小さな夢を実現しようと努力するなかで、なにかが残ります。夢は実現できなくても、思いもよらない結果が生まれるかもしれません。そうすると、夢の実現への努力は、まったく無駄ではないことになります。損失も少ない。そうして、気がつくと、小さな夢をいっぱい失っても、その夢のために努力したことで、大きな夢を実現しているかもしれないのです。


小さな夢でも、実現はしません。でも小さな夢のために努力すれば、なにかが残ります。その残った何かが、人生をかえ、大きな夢を実現していくかもしれません。


Aim small, miss small.小市民的な、たわいもない安全策かもしれません。しかし、なにか有益な意味もこめられているように思うのです。


べつに大きな受けを狙ったことばではありません。ささやかなもので、受けなくても、すべってもダメージは少ないので、気にしないでください。ただ、記憶に残してもらえば、なにかの役にたつのかもしれないと思っただけです。小さな夢を抱き、小さな夢に裏切られながらも、裏切られた夢の蓄積が、なにかを残し実現してゆく人生。これを贈る言葉とさせてください。卒業、あらためて、おめでとうございます。