素朴な疑問


判決が出た件だが、素朴な疑問として、沖縄の住民に集団自決を命じたとされる元守備隊の隊長らが、もし、ほんとうに命令を出していないのなら、訴える対象となるべきは、命令を出したと報じた当時のマスコミであり、またそう証言した証言者たちのほうである。そうすることで、身の潔白を証明できるはずである。つまりたとえその主張が証明されなくても、身の潔白を主張する姿勢は心をうつ。


実際になにがあったかわからないし、戦後のマスコミは、まさに魔女狩り的に、軍人を犯罪者として扱ったかもしれない。もしそれによって無実の罪をきせられたのなら、名誉は回復されるべきである。もし自分はなにもしていないと確信していれば(たとえ証拠がなくとも)、訴えるべきは、自分を犯罪者扱いにしたマスコミであり、偽りの証言をした証言者であって、マスコミや証言者の記述をもとに何か判断したり意見を述べた人間ではないはずだ。


ところが、「命令を下した人間」と報道した記事や証言から、特定の判断を下し意見を述べた人間のほうを訴えるというのは、結局、身の潔白を証明するという、その潔白の証明の純粋性を汚すものとしか思えない。身振りが政治的で、心をうたない。


冤罪事件というのがある。裁判所で有罪判決を出した。その結果に基づいて、有罪になった人物を非難したり、意見を述べたとき、あとで冤罪事件とわかったとしても、有罪を出した裁判所の判断を信じ意見を述べた人間が、罰せられたり責任をとらされたら、たまったもじゃない。典型的な言論統制である。そうした場合、責任をとるべきは、詫びるべきは、裁判所であり、偽りの証言者であり、強引な捜査官である。


もし身の潔白を証明したうえで、つまりマスコミの捏造であり、また証言者の虚言であったことが証明されたうえで、それにもかかわらず、当事者を犯罪者扱いする者がいたら、そのときは名誉毀損にあたるだろう。だが、今回は、それではない。実際、今回のような訴えを裁判所が受け入れるということ自体、おかしなことである。また訴える側は、無実の罪を晴らそうという真摯な姿勢がみられない。素朴な疑問として、そういわざるを得ない。