The Number 23


ジョエル・シューマッカー監督の『ナンバー23』(2007)*1、気になっていたので、DVDが販売されたので、すぐに購入した。


シューマッカーはいろいろな映画を撮っているので、またどれも基本的にはよくできていて、また前作『オペラ座の怪人』をみて、このミュージッkカルは、ゲイ・ミュージッカルだったのかとあらためて納得したという経緯はあるが、そんなに見たい監督ではなかったし、ジム・キャリーは、最近は、コメディ以外の映画に出ているのだが、たとえシリアスな演技でも、ジム・キャリーはいつでもジム・キャリーで、そんなにファンでもない私は、特に見たい映画でもなかったのだが、内容には関心をもった。


ジム・キャリー演ずる主人公は、ある日、手にした本(タイプ印刷の私家版のような本)を読むと、みずからの生い立ちに酷似した内容の、まるで自分の人生を読みこんでいるような本の内容に呪縛されていく。そのとき「23」という数字が、不思議な暗示的・魔術的な力をともなって彼の前に立ちはだかる。2と3と23と、その逆数32。さらに2+3で5という数字も意味をもちはじめる。悪夢なのか現実なのか。本の出来事は虚構なのか現実なのか、いつしかそれも不分明になりながらも、主人公は、自分が殺人犯ではないかという疑念にとりつかれてゆく。23という数字の符号に呪縛されながら。


数学者好みの素数でもある23という数字は、歴史的にいろいろみつけることができる。暗殺されたジュリアス・シーザーの体に残された切り傷は23個。広島に原爆が投下された時間は午前8時15分(数字を加えると23になる)。人間の性を決定する遺伝子は第23番遺伝子。ユークリッド幾何学の定義の数は23。その他、23という数は、不思議な符合とともに現われる。23という数は祝福か呪いか。天使的な数か、悪魔的な数か。


主人公も、主人公の息子も、この数に呪縛される。またさらに、主人公以前にも23という数字に取り付かれて、破滅した人間があらわれる。しかし同時に物語りは、主人公の運命を予言しているかのような本の存在が、決して偶然ではないことを解き明かし、主人公と、ある犯罪との関係を解き明かしてゆく。あとはネタバレなので書かないが、最終的に23という数字の神秘は、謎の解明の前に、置き去りにされてゆく。謎自体、数字に劣らず神秘的な解決をみるのだが、23問題は、主人公を謎の解明へとつなげたあと置き去りにされる消滅する媒介者vanishing mediatorである。


映画が、たとえば西洋でいうラッキー7とか、あるいは不吉な6とか13といった特定の数に関して、誰もがもっているパラノイア的こだわりをバネにして迫力アルミステリーをつくっていることは、誰の目にも明らかである。だから問題は23という数と関係のないかたちで解決しても、疑念は残る。DVDを購入して特典映像を見てみると、監督は、数字のパラノイアには懐疑的で、あくまでもミステリーの道具立てにしかみていないし、最近アメリカで流行っている日本語(の誤訳)を使えば偶然だぞとして処理している。しかし、23にとりつかれている人間がいる。主役を演じたジム・キャリーである。彼は、神秘数23信奉が無根拠であることを認めつつ、にもかかわらず23に頻繁に出会うのなはぜかと考え、わからないまま23という数字を使った会社も立ち上げている。ジム・キャリーにとって23という数は、お気に入りの数のようだ。


DVDには特典映像として、専門家のインタヴューがいくつか収録されていて、数学者の、わかりきった話とか、あるいは心理学者の見解−−すなわち「見つけようとすれば必ず見つかる」という原理からすれば23の神秘性は、まやかしにすぎないし、またそうした数に呪縛されるパラノイア人間は多い(日常的に誰もが数に呪縛されている)−−も、予想通りなもので、どれも正論で、そのぶんたいして感銘を受けないが、おそらくインタヴューのなかでいちばんいかがわしい数秘学者numerologist(数占い師とでも訳しておくほうがいいかもしれないが)のインタヴューが、そのいかがしさもふくめて、大いに楽しむことのできるものだった。


数占いで、自分の誕生日の西暦と月日の数を合計して出た数をさらに足す(たとえば23という数字になったら、これを2+3として5という数字を得る。これが誕生数となり、DVDの特典映像では、誕生数によって相性まで説明していた。ちなみに5の数は、人生を謳歌して楽しく過ごそうとしていて、パーティなどでも、最後まで残っているタイプだと説明されていた。だがパーティ大嫌いな私はO型じゃないぞい。おっと、話を先走りすぎた。なぜ私が5に反応するのか?それは……。あ、それから5の人は早婚すると失敗するから、よい人が現われるまで待っていたほうがいいとも説明していた。う〜んとういほかはない。しまった、また反応してしまった。


だが誕生占いを離れても、5の意味はいろいろあって、3が魔法数、4が安定した数であるとすれば、5は安定したものを崩す、カオスと破壊をもたらすものとなる。しかしそれは破壊による創造も意味し、まさに境界的な数字でもある。


同じことは23にもいえる。カバラではヘブライ文字の数22(!)に相当する22の相で世界を分割する。世界は22のどれかに分類される。となると23は何か。それは世界の破壊である。容器の破壊breaking the vesselであり、その破壊によって新たな世界が立ち上がるのである。ちなみに黙示録の章の数も22である。22の後に最後の審判がくる。23HAKAISHAであり、疫病神なのである。安定した秩序には耐えられないのだ。


シェイクスピアは4月26日に洗礼を受けた記録が残っていて、当時は、出産後、2,3日たってから洗礼を受けさせたので、誕生日は4月23日か、24日くらいとされているが、伝統的には23日とされてきた。というものシェイクスピア1616年4月23日に死亡していて、そうなると誕生日に死んだことにもなり不思議な偶然の一致となるからかもしれない。シェイクスピアは、23男である。


だが私がこの映画にこだわって、DVDも買ってのには、わけがある。このブログをみればわかるように、また、先ほどの私の反応からもわかるように、私の数は23である。誕生日は11月12日と、このブログのプロフィールに明記してある。ほんとうは誕生日は隠したほうがいいのだが、わざわざ明記したのは、私が23という数を、無意識のうちに誇示したかったのかもしれない。無意識のうちに――もちろんそれはこの映画を見る前のことだからだ。映画のなかでデジタルの置時計の大きな発光文字が11:12(11時12分)になると不吉なことがおこる。私はそれをみて、はじめて自分の誕生日が23数であることを知った。


いやそれだけではない。私の生年月日の数を西暦で表記して、その数をすべて足すと23なのである。1と1と1と2を足すと5になる。5というのは2+3で、私の誕生日数である。そして西暦を足すと18になる。あわせて23。破壊とカオスの数字、破滅の数字である。


私の誕生日は映画俳優でいうと女優のアン・ハザウェイ*2と同じである。アン・ハザウェイというのはシェイクスピアの妻の名前で*3、馬鹿な芸名をつけたものだと思っていたが、芸名ではなくて実名だった。だったらどうして実名のままにするのかともいえるのだが、アン・ハザウェイと誕生日がいっしょということで、とくになんの感慨もわかなかったのだのだが、もうひとりの23男のシェイクスピアと多少は縁があるのだろうか。


DVDの特典映像で、ジム・キャリーが私と同じ誕生日の人物を知らせてくれた。チャールズ・マンソン*4である。こっちのほうは、かなり気に入っている。


付記:
ちなみに今上演中の映画『コントロール』は伝説のバンド、ジョイ・ディヴィジョンのヴォーカリスト、イアン・カーティスの短い生涯を扱った映画だが、イアン・カーティスは1980年5月18日に23歳で死亡している。5+18で2323歳で死んだ彼は、あきらかに23男である。ちなみに死亡した年月日の数字を合計すると、32になる。23の逆数である。

*1:The Number 23, dir. Joel Schumacher

*2:Anne (Jacqueline) Hathaway 1962.11.12-。

*3:Anne Hathaway 1556-1623.8.6.ここにも 23が存在している。

*4:Charles Manson 1934.11.12−. まだ存命中とは知らなかった。