ダーガー/ダージャー

1 非現実の領域で
ドキュメンタリ映画『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』*1は、アウトサイダー・アートの草分け的存在ともいえるアメリカ人ヘンリー・ダーガー/ダージャーの生涯と作品を紹介するドキュメンタリー映画だが、不覚にも、いくつか気を失った瞬間があった。風邪が何度もぶりかえしていて、風邪薬を飲んでいたせいもあり(映画がはじまる直前に咳止めも飲んだ)、眠くなったしまっただけで、映画の内容のせいでもない。


といいたいのだが、ドキュメンタリー映画というのは、ドラマのある映画と異なり、話がみえてしまうと、平坦な一本調子になってしまって眠気をさそうものなのだ。思い出すのは昨年の10月頃、もうひとつの〈非現実の領域〉映画、『ブッシュ大統領暗殺』を見たときも、期待していた映画だったが、途中で寝てしまったことだ。『ブッシュ大統領暗殺』は、大統領が暗殺されたという設定で、その後の事件の流れを追う、テレビのドキュメンタリ番組さながらの映画であり、テレビのドキュメンタリ番組と違うのは、題材(ブッシュ大統領が暗殺された)がフィクションであるということでしかない。それ以外は、完全なドキュメンタリ映画である。もしこの時代の歴史にうとい未来人が、この映画をみたら、実際にこういう事件が起こったと信じてしまうにちがいない。というか、ほんとにドキュメンタリ番組のフォーマットに従ってつくられていて、拍手喝采ものではあった。


しかしドキュメント映画(とりわけテレビの報道番組的な)は、いくら映像が斬新で、構成に工夫が凝らされていても、基本的にインタヴューとナレーションでつないでゆくというフォーマットを守るほかはないとすればどうしても単調になってしまう。ブッシュ大統領暗殺が架空のものであるのでフィクションの面白さが生まれるが、同時に、ドキュメンタリの題材への関心は薄れる(どうせ作り話だろうから)。映画自体が強烈な風刺性をはらんでいるが、映画の映像とか構成は、ストレートなドキュメンタリ番組であって、風刺的ひねりはない。いきおい眠くなってしまって……ということになる。


ではこの『非現実の王国』はどうか。事実を丁寧に紹介しているが、しかし扱われてるヘンリー・ダーガーについては、詳しいことはわからないし、引きこもりのまま、小説と挿絵を描き続けた人生は、結局、単調で、変化のないものだった。彼は成長も成熟も拒み、紋切り型のイメージを再生産しつづけた。いかなる弁証法的意味をも付与することなく。そのためどう扱っても単調な映画になるほかはない題材、いや生涯をおくったダーガー。私がかりに居眠りをしても、それは単調な平板で一本調子の成熟も成長も知らない絵画を描きつづけたダーガーへのオマージュなのだが。


2 ダーガー/ダージャー
ヘンリー Henry Dargerの発音は、ダーガーなのかダージャーなのか、わからなかったので、映画のなかでどう発音されているのか、興味があった。それで問題が決着すると思っていた。決着しなかった。


ヘンリー・ダーガー(映画のタイトルにあわせて、とりあえずダーガーと表記しておく)について、Wikipediaにはこうある。

ヘンリー・ダーガー(Henry Darger, 1892年4月12日 - 1973年4月13日)は『非現実の王国で』の作者である。英語の発音はダージャーに近い。誰に見せることもなく半世紀以上自分の妄想を書き続けたが、死後にそれが発見され、のちにアウトサイダー・アートの代表的な作家として評価されるようになった。
[編集] 略歴
1892年4月12日シカゴで生まれる。
4歳になる直前に生母と死別、さらに8歳で父親とも死別し、少年期をカトリックの少年施設で過ごす。
12歳の頃、感情障害の兆候が現れたという理由で知的障害児の施設に移される。
16歳で施設を脱走、皿洗い兼掃除人として働き始める。
19歳の時『非現実の王国で』の執筆を開始。執筆はダーガーの死の半年前まで続けられた。
1973年4月13日死去。

おそらくこれだけしかない生涯で、特記すべきこともない。あとは1万5000ページにおよぶ、残された小説に、その生涯がシンボリックなかたちで溶け込んでいるというところだろうか。


発音に関しては、この映画でどちらが正解か確かめることができると喜んだが、しかし、この映画では、ダーガーとダージャーの2種類の発音が存在していて、がっかり。正解はないようだ。人によって発音がちがう。2種類の発音があって、どちらか決めがたいということだ。映画では、大家の日系の夫人の記憶に基づきダーガーとすると、最初に日本語の字幕が出た。


イギリスの作家John Bergerは「ジョン・バージャー」と一般に表記される。ちくま学芸文庫の翻訳『見るということ』(飯沢耕太郎笠原美智子訳)でもジョン・バージャー(ちなみに、これ以前の伊藤俊治訳の翻訳(訳題『イメージ』)は、翻訳がひどすぎたので、ちくま学芸文庫にまともな翻訳が入ってよかった)。ちなみにイギリス留学から帰ってた野田秀樹は「ジョン・バーガー」と表記していた。これは野田秀樹の無知を物語っているにすぎない。


3 イメージの社会的出自ダーガーのイメージは、素人が書いた素朴さ、あるいは稚拙さを横溢させながらも、意図的に平板であり、厚みも立体性もない。コラージュの技法を、ダーガーは、美術史の流れとは無関係に独自に開発したふしがあるが、既存のイメージの引用、横領、貼り付けは、たとえそれが手書きの描画についてもいえるのが面白い。すべてが引用であり、表層的で、深見も、深層も、歴史も、社会もなにもない。


以前、ダーガーは女の子にチンポコを書いているという説明を読んだし、この映画のなかでそう説明されていたが、映画で見る限り、それは男の子の姿ではないだろうか。物語と挿絵とを照合した結果、女の子にチンポコがあるとうことなのかもしれないが、絵だけを見る限り、裸体は、男の子だけで、女の子は着衣のままである――としか見えない。ダーガーの絵が基本的にディーセントだとすると、女の子のヌードは存在せず、男の子とだけが裸である。その証拠に、これは女の子の裸ではなありません。だってチンポコがついているから、男の子です、ということではないのか。


前に女の子にチンポコがついているということで、人間の想像力のなかではペニスは男女両方がもっているのだと面白がったのだが、それとは違うのではないかと思えてきた*2


とまれ、ダーガーの絵の特徴として、登場人物の限定化があげられる。女の子と、大人の男性、そして男の子だけである。大人の女性、あるいは母親的女性は存在しない。成人の男性も、父親的かどうかというと、そうでもない。父親と母親のいない世界。複数の少女たちが団結しあう世界。まさにここにあるのはフィリエーションではなくてアフィリエーションの水平的集団的団結と連帯の世界なのだ。ここには家族も家庭もない。また集団の構成員も個としての独自性は乏しく、どちらかというとクローン的複製人間たちであって、集団の維持も家族における母親の出産による再生産ではなく、まさにクローン的複製なのである。構成員は、個を、出自や系譜を、そして家族を欠いている。ここにあるのは純粋な集団性に到達した世界なのだ。


伝記的事実の紹介は、ダーガーの絵を本人の生い立ちから説明することになる。母親を知らなかったダーガー。父親と8歳の時に死別して、あとは孤児院のようなところで思春期までを過ごしたダーガーにとって、家庭は存在しない。あるのは集団生活だけである。あるのは監視する大人たちとの軋轢と闘争だけである。ダーガーの生涯、とりわけ小説と挿絵を描き始める前までの彼の人生は、彼の芸術をすべて説明しつくしてしまう。


だがそれはまたダーガーの絵画のもつ社会性を隠蔽することにもなろう。今風にいうと学習障害者であったダーガーはしかし、小学校に入学する以前から、新聞が読めた。彼はそのイメージを、当時の、紋切り型の絵本表現のようなところから採取している。つまりアメリカの大衆イメージから採取・引用するコラージュを試みているのだが、同時に、多くの児童文学や新聞記事からも取材していて、社会に、ちょっと古い言い方だが、アンテナを張っているのである。


さらに内容。それは奴隷化された少女たちをキリスト教軍が解放するため戦争を延々とつづけるという物語である。それはまたまさに20世紀におけるアメリカの歴史、とりわけモンロー主義を廃して、「帝国」への道を歩むなかで、いまなお繰り返してやまない解放戦争の歴史をまさに直に反映しているといってもいいのである。ダーガーの個人的な幻想には社会的・歴史的出自がある。


またダーガーの小説と挿絵で描かれる戦争は、少女たちを奴隷状態から解放するという点で、また描かれる軍服などからして、アメリカの歴史に詳しい人からみると、もろ、アメリカの南北戦争をモデルにしているとのことである。ただダーガーの絵画には肌の色が黒い人間は存在しない。となると少女たちは、黒人奴隷をメタモルフォーゼしたものなのか、あるいはメタファーなのか。少女=黒人奴隷とするなら、白人の少女たちはまた黒人奴隷にも等しい貧乏白人とも重なる。少女=貧乏白人=黒人奴隷。そしたダーガーそのものが、黒人にも等しい貧困の中を生きた貧乏白人であり、みずからを黒人奴隷と同一視していた可能性もある。ダーガー=貧乏白人=黒人奴隷とくると帰結は決まっている。少女たちはダーガーの分身であり、ダーガーその人でもあった。


描かれる戦争は、1)伝記的にはダーガーが過ごした少年院と看守たちとの敵対関係と闘争である。2)心理的レヴェルでは、戦争は、多くの場合、サイコマキアの形象化、外在化である。すなわち私たちが体験する心的葛藤は、戦争として表象されるということだろう。3)近代文化的にみると、それはまた子供帝国と大人帝国の、決して簡単に消えそうにない、まさに永遠の闘争状態の表象である。4)歴史的にみると、それは奴隷解放を名目とした南北戦争の拡大版――20世紀における解放と民主化を口実としてのアメリカの軍事的介入と世界戦略――のメタフォリカルな表現ともいえる。と同時に、それはまた「帝国」と「マルチチュード*3との闘争状態を表象しているともいえるのである。


4 ダーガーと晩年のスタイル
映画によると、ダーガーの小説には、結末がふたつあるらしい。ひとつはキリスト教軍と少女たちが勝利を収めるというもの。だがもうひとつの結末があって、そこではキリスト教軍と少女たちは、頑強な抵抗に出会い、次々と戦いに負け、敗走し、完膚なきまでに打ちのめされるというもの。小説の終わりは、ダーガーの最晩年にではなく、それ以前に書き上げられたらしいのだが、二つの結末は興味深い。長い戦いのあとの勝利と和解。円熟と清澄な境地。だがそれに冷水を浴びせるようなカタストロフの光景。虚無、疲労、憤怒、そして絶望。後者はまぎれもなく晩年のスタイルである。


だが、このようなカタストロフ的結末をもたなくとも、ダーガーその人が晩年のスタイルを生き抜いていた。

ずっと子供のままでいたかった。
今私は、年をとった、不自由な老人だ。なんてことだ。
ダーガーThe History of My Life
(映画パンフレットより)

成熟、成人たることを拒む人生を送ってきたこの老人は、成熟や円熟とも無縁な子供じみた存在である。年老いた子供としてのダーガー。それはまたダーガーが、その小説や挿絵を描き始めた頃から、晩年をはじめていたことも意味している。子供時代を経ても、成熟を拒否すれば、次に来るのは肉体的衰えから生ずる晩年の老人なのである。ダーガーの小説や絵画は、最初から晩年のスタイルであった。


そうなるとわたしたちはここで、晩年のスタイルについて新たな知見を得るのではないだろうか。晩年のスタイルとは、少年や少女が、成熟することなく、そのまま老人(肉体的に)になった時に生ずるのだと。だからこの老人になった少女や少年たちは、成熟も成就も円熟も和解もなにも知らない。ただなりたくもなかった大人ににあり、気づくと肉体的な衰えのなかで死を待つばかりというわが身を嘆くことしかできない。しかし、また心は少年や少女であるので、ただひたすら思いのままに行動するしかないが、迫りくる死から目を背けることもできず、あるのはメランコリックな嘆きなのである。


あるいはサイード的晩年のスタイルは、エグザイルの別の相なのである以上、こうもいえる。晩年のスタイルとは、少年や少女でありながら、老年のなかに投げ込まれたエグザイルの生きざまである、と。先ほどのダーガーの嘆きは、まさに「不自由な老人」の身体に追放されたエグザイルの少年のそれであった。そして物語は、エグザイルのそれにふさわしくカタストロフで終わり、廃墟を残すのである。

*1:In the Realms of the Unreal: The Mystery of Henry Darger, dir. by Jessica YU, 2004.それにしてもこの小説には王様は登場しないので、『非現実の領域』もしくはそれに似た意味内容のタイトルにすべきである。

*2:映画のなかでは、一生、女性との性交渉がなかったダーガーは、女の子の裸体が描けずにチンポコを描いたのではないかと語られていたが、この語りの無意味さは、説明するまでもないだろう。ただし、物語のなかで女の子がペニスをつけているというのなら、あくまでも話はべつで、それはペニスではなく、ラカン的なファロスなのだということになって、ふたたび面白さが回帰するのだが。

*3:ともに、日本のファシスト政府(そのファシストの精髄たる法務省)の嫌がらせ、によって来日をはたせなかったネグリの用語だが。