『ジェイン・オースティンの読書会』Deconstructed 1

You know how I know you're gay?

Know why you are gay?

Because you like Asia.

本日、『ジェイン・オースティン・ブッククラブ』The Jane Austen Book Club*1が上映開始。残念ながら、私は、この映画、すでにDVDで見てしまった*2。日本で公開されるとは思わなかったので購入っして見てしまったのだ。最初に語るべきはゲイ問題。


この映画のなかで高いところから落ちて怪我ばかりしているアレグラという名前の若い女性が、別れるときに「さよなら」と日本語でいうので、ちょっと驚いた*3。まあ最近のカリフォルニアの、また若い世代は、時々日本語で「さよなら」というのかと、驚いた。もちろん『サヨナラ』というマーロン・ブランド主演の映画も昔あったのだが。


しかし彼女が「さよなら」というのはそれなりのわけがあることが、すぐにわかる。彼女はレズビアンなのである(映画のなかで彼女は自分のことを「ゲイ」という回数のほうが多くて、「ゲイ」で男女の同性愛すべてを意味するアメリカ的用法には、いまでも違和感を感じざるを得ないのだが)。レズビアン・同性愛者は、日本あるいは、たまたま日本で代表されるようなアジアと、アメリカでは文化的につながる。事実、彼女は、レズビアンのパートナー(アフリカ系アメリカ人の女性)の裏切りにあって別れたあと、怪我をして入院する病院で新しいレズビアンのパートナーをみつける。彼女の担当医は、ドクターYepというアジア系の女性である。そして映画の最後、彼女は、このドクターYepを新しいレズビアンのパートナーとして迎え、ベッドで「お医者さんごっこ*4をして抱き合っているのである。


ドクターYepがアジア系なのはまちがいないのだが、Yepという名前は、アジアのどこの地域の名前なのかわからない。たまたまこのドクターYepを演じている女性はGwendoline Yeoといって、『デスペレートな妻』たちのセカンド、サード・シーズンにも出ているらしいのだが、シンガポール生まれ。Yepという実在するのかどうかわからない名前も東南アジア系として想定されているのだろうか。


冒頭の引用“Know why you are gay? Because you like Asia.”は、『40歳の童貞男The 40 Year Old Virgin (2005)のなかの台詞で、主役のスティーヴ・カレルは、童貞であってもゲイではないのだが、映画のなかでのこの会話は、日本のアニメやフィギュアにはまって40歳になるまで女性経験のない「オタク」の主人公に同性愛者の影がついてまわること、一昔前だったら主人公は同性愛者と設定されることを、ゆくりなくも示しているのである。オタク文化の発祥の地、日本、秋葉原は、同時に、アジアのメタファーともなって、クィア地域のアジアというステレオタイプを立ち上がらせる。オタクの童貞男(あるいは日本人、あるいはアジア人)は、一皮向けば同性愛者なのである。ステレオタイプの世界では。


だから『ジェイン・オースティンの読書会』では、「さよなら」などと言っていた彼女が、レズビアンのパートナーの裏切りにあい、やがて真のパートナーとしてアジア系の女性を迎えるとき、ハッピーエンドが訪れる。と同時にこの映画ではSFオタクの男性が登場するのだが(彼には女性の影がなくて、童貞男の気があるのだが)、彼が危険なアジアの誘惑から逃れることができたとき、女性とむすばれるのである。


『ジェイン・オースティン』にせよ、『40歳の童貞男』にせよ、ハッピーエンディングのロマンスでありコメディなので、アジアと同性愛を同一視するステレオタイプ的結合が登場したからといって、それに目くじらをたてるつもりはない。そうしたステレオタイプを積極的に利用し、時にはそれと戯れるジャンル内での出来事だから。つまりその真実性に対しては、観客は一歩ひいいてみているのだから、そのことを批判するのままちがっていよう。


だが、シリアスなドラマそれも政治的リアリズムのなかで、日本人やアジア人はみんなゲイでありレズビアンである規定するのは許しがたい。ゲイやレズビアンとみられるのが恥ずかしいということではない。ゲイやレズビアンが、日本でもアジアでも迫害され差別されていることを、このステレオタイプはすべて隠蔽してしまうからだ。


そう私の怒りは、映画『カイト・ランナー』(邦題「君のためなら、千回でも」)にも向かっている。タリバンをゲイだとするその有害なステレオタイプは絶対に許せない。千回も、いや一億回だって断罪してやる。私はアフガニスタンのことも、タリバンのこともよく知らないが、宗教的原理主義が、同性愛を許容しないことぐらいはわかる。同性愛者への迫害を逃れて亡命した人間を、その国に送り返そうなどという、それこそ人権無視の処置を考える欧米人には、アジア人を同性愛者とみるステレオタイプに汚染されているとしか考えられない。『カイト・ランナー』の悪辣さは、もっと批判されねばならない。

*1:Dir by Robin Swicord。監督は、あの悪名たかい映画『さゆり』Memoirs of a Geisha Girl(2005)の脚本も手がけている。

*2:ちなみにアメリカのDVDには特典映像として、監督などにインタヴューした解説的映像(メイキングではない)が入っていて、タイトルは“The Book Club: Deconstructed”。「脱構築」というような意味ではなくて、「解読」とか「解説」といった意味でDeconstructedという用語が使われている。文学アカデミズムを連想させるこの語が、こういう使われ方をしていることの――世も末だが――一例である。この項のタイトルも、それを使わせもらった。

*3:ちなみに日本では、別れるときには英語で「バイ、バイ」といいます。昔、イギリスのテレビで、日本の田舎に取材するドキュメンタリー番組(題材というかテーマがなんであったか忘れた)を見たことある。イギリス人女性のレポーターが、田舎の人たちと生活をともにしながら取材するという内容で、けっこうまともな、見ていて違和感の全くないドキュメンタリだったが、レポーターの彼女が最後に村を去るときに、仲良くなった子供たちや老人たちが、彼女にむかってみんな「バイ、バイ」と手を振ったのは、衝撃的だった。いやべつに日本にいたらごくあたりまえのことなのだが、イギリス的視点からみると、日本の片田舎の人間、それも英語とは縁のなさそうな子供や老人ですら英語で別れの挨拶をするのだから、これは驚きといえば驚きである。

*4:お医者さんとするお医者さんごっこには、ちょっと萌え。