英文学会新体制案7

支部体制の虚妄


もちろん、この1週間書いてきたことは、実現する見込みは、いまのところない。こうしたことがどこかで議論されているということもない。そのためファンタジーととらえていただければいいのだが、しかし、支部体制を推進している連中が、もしこうしたことにも聞く耳をもたず、反省もしないのなら、やはり、こちらとしても、ファンタジーであるのは、あくまでも発表の形式であって、具体案としては、たとえ100パーセントこのことを実現しなくてもいいし、100パーセントの実現可能性はないかもしれないが、こうした方向に多少なりとも軌道修正しないと、英文学会を崩壊させるかもしれないと、強く主張するしかない。


また本来、このファンタジーは、支部体制を徹底して批判するためのものであった。すでに書いているように、支部そのものの活動に文句はないが、支部体制は問題があるとして、批判を展開するとき、代案(あるいはそれらしきもの)がないと、批判のための批判としか受け止められない。そこで支部を維持しながら、支部体制を変える案を提出したのである。


とはいえ、あるいは、と同時に、強力な提言に必要なのは、批判の部分であろう。また、支部体制の問題を批判しても、支部そのものは批判しないと言ったが、時には問題のある支部もあって、それに対する批判も必要となってくるだろう。


一番の批判の対象は関東支部である。実は、関東支部は、後発の支部というか、あとから作られた支部で、その体制は、おそらく(あくまでも具体的に調査検討したわけではないから、おそらくということだが、まあほぼまちがいなく)、もっとも整備されている。民主的な選挙システムも確立し、まあ、そこまで無理しなくてもと思えるくらいに、熱心に活動している。直球全力勝負というところがあり、これでは体力がもたないだろうと思われるくらいに熱心な活動をしていて、英文学会のなかで、もっとも優良な支部である。それはまちがない。そしてまた英文学会のなかで、もっとも憎まれている支部でもある。


優秀な人間は、尊敬もされるけれども憎まれるというようなことではない。優等生は崇拝と羨望の眼差しの対象となるが、同時に憎悪と軽蔑と嘲笑の対象ともなるということではない。関東支部への反発は、構造的というか構成的に、そうなってしまっているのだ。それは一部の人間が、勝手に暴走して学会を恣意的に運営せんとしているというイメージ(だけならいいが)が、できてしまっているからである。投票権を持っていない会員と、投票権をもっている関東支部の会員がいて、それで関東支部会員は平気であるようにみえる。実際には憂慮しているかもしれないが、まあ私の知る限りの関東支部会員は、誰も憂慮していない。そんな格差のうえに胡坐をかいて、なんとも思わないのか、てめ〜ら、いつからそんなにえらくなったのだ、何様、……、あっ、興奮してしまって、お詫びします。


ここで責任を追及するのではなくて、また、たがいに政府・与党の責任を追及する野党というような立場でもないので、あくまでも、協力しあって、よりよい体制をつくるというのが本来のあり方だろう。たまたま責任追及の言葉があっても、それは事態の解明のプロセスのなかで、わかりやすく整理するために責任の所在を指摘しているだけで、本気で、責任追及をするつもりもないし、そんな暇もない。


で、問題は、関東支部ではなく、そうした体制をつくった前執行部である。前執行部は、それを現執行部に継承させている。結局、前執行部が関東支部を作っておきながら、関東支部に迷惑をかけていることはまちがない。関東支部が熱心に活動をすればするほど、関東支部に反発が強まるというこのシステムを作ったのはすばらしい。私は悪知恵が大好きな人間だが、そこまで悪知恵は働かない。前執行部の関東支部に対する嫌がらせには、私のような生半可な悪人には思いも及ばない強烈なものだ。


しかも、前執行部のいい加減さと悪知恵はこれにとどまらない。


そもそも全国を7つの支部に分けるということ自体、嘘なのである。


まず特定の地域に職場がある会員が、本来的に、その地域の支部会員となるということはまったく嘘なのである。どういうことか。それは特定の会員の職場がどこなのかは、学会では把握していなからである。


以前、関西支部の方が、関西支部支部会員組織率を調べるために、『英語年鑑』に掲載されている人で、職場が関西地区にある人を全部ピックアップして、本来、関西支部に入る英文学会員が何人か数えたという話を聞いて、ちょっと驚いたことがある。そんな手作業のようなことをしなくても、学会のコンピュータで会員名簿を調べれば、すぐにわかると思ったからである。


だが、実際には、学会は、会員の職場まで把握していない。そのため、たとえば関東圏に暮らしていて、職場が関西の大学であるという人がいても、それはわからないのである。それこそ研究社の『英語年鑑』で調べるしかない。また学生会員となると、どこの学生なのかどうか、完全に把握しているかどうかもよくわからない。


いや、関東に家があり、職場が関西というような会員もいておかしくないのだが、数は少ないだろう。誤差はあってしかるべきということになる。


しかし、それだけではない。関東で暮らし、関東に職場があっても、関西支部に加入してもいいのである。さらにいえば、関東支部と関西支部、両方の支部に入ってもいいのである。となると組織率は意図的に計算できないようにしているとしか言えない。現在、関東支部の会員は500を越えたらしい。しかし、それで関東地区の会員のどれだけを組織したのかまったく不明。なぜなら関東支部に所属すべき人間が何人だか数えられないからである。


そしてまた、関東に住んでいても、他の地方の支部に所属している人もいると考えれば、関東支部の組織率は100パーセントともいえるし、英語年鑑で調べると50パーセントくらいともいえて、もうなんともいえないのである。しかも、関東支部には、他の地区から関東支部に入っている会員もいておかしくない(関東支部の熱心な活動は、他の地方にとっては魅力的でもあるから)。


となると支部に入らなくてもいいという会員を認めると同時に、複数の支部に入ることも認めているというのは、支部を選挙の母体として考えていないということである。支部が任意団体なら、それでもいい。となると全執行部の考えた支部というのは、すでに「任意団体」である。と同時に、その「任意団体」の集合体に、全体の管理運営をまかせ、いっぽう「任意団体」に入らない人間から投票権を奪う。


いくら英文学会の会員が、のんびりしているからといって、まがりなりにも大学の教員と大学院生(基本的に)が会員なのである。こういう矛盾には誰だって気づく。おそらく前執行部は、そのことを知っていたから、情報をきちんと繰り返し丁寧に伝えるようなことをせず、強引にことをすすめようとしたのではないか。


関東支部も、みずからが置かれている矛盾に満ちた立場(多くの会員の反発の原因となったもの)をもうすこし反省すべきである。せっかくの熱心な活動が、熱心であればあるほど、それは一部の暴走にすぎないとして反発を招いてしまうからである。関東支部こそ、支部体制反対の声をまっ先に上げるべきである。