クレーマー

土曜日の午後、郵便局に郵便物を出しに行った。私が差し出した郵便物の処理を待っている間、老人がやってきて、「これは誤配で、うちに入ってきたのだけれど、どうしたらいいのか」と、窓口で文句を言っている。


郵便局の係員がそれを受け取って調べたあと、おもむろに、「ああ、これはうちで配ったものではありません」と返してきた。私もちらっとそれを見たが、たしかに、郵便物ではなく、宅配された何かのカタログのようなもので、郵便局の消印などどこにも押していない。宅配便とかメール便とか呼ばれているものだろう。表に問い合わせ先が印刷してあって、「こちらに連絡されてはどうですか」と係の者が説明している。


しかしそのバカ老人は、納得しないらしく、「これはお宅が配ったものでしょう。お宅以外にどこが配るのか。だったら、これは勝手に処理にしていいのですね」と、食い下がっている。「勝手に処理するもなにも、これはうちで配ったものではないので」と、係員も困ったようすだった。これって理不尽なことをいう、バカ・クレーマーかと、興味があったが、急いでいたので、私は、その場を去った。


しかし、いま考えてみると、不思議なことが多い。


その老人は、郵便受けに、物を入れるのは、郵便局員しかないと思い込んでいるところがある。実際には、郵便受けには、郵便局員が郵便物を入れる以外にも、こうした宅配便・メール便を入れる宅配業者がいるし、宣伝用のチラシを入れる業者もいる。近所の人が伝言メモを入れるかもしれない。と、まあ、郵便受けに入っていたら、郵便物でしかないと思う老人は、ボケているのか頭が悪いとしかいいようがない。


しかし、もしその老人が、郵便受けにあったものは、郵便局が入れたもので、それが郵便局の誤配だと思い込んでいたらな、それをポストに投函すればいい。私もそれを見たが、ポストに入らないサイズではないのだ。それをなぜわざわざ郵便局の窓口までもってきたのか。


郵便局に向かってクレームをつけたい、ただのバカ老人か。クレームをつけて、相手があやまるのをみて、喜びたいのだろうか。


あいにく、それは郵便物ではなかったので、クレームをつけられても郵便局も困る。もしその老人が一人暮らしでなかったら、家族の誰かが、おじいさん、これは郵便物ではありませんよと、注意するはずだが、そうした家族の言葉に聞く耳をもたないのか。


ただし、郵便の誤配なら、ポスト入れるか、近くの郵便局へ持っていけばすむが、こうした宅配便の誤配は、処理に困る。営業所に連絡してとりにきてもらうしかないのかもしれないが、けっこう面倒である。むしろこの老人、こうしたことこそ、訴えるべきである。宅配便が誤配があったときの処理方法がはっきりしない。また簡単でもない。こうしたことを、明確に訴えれば、少しは社会のお役にたてるのに、郵便局に文句をいいにきてもしょうがないだろう。悪いのは、宅配便業者のほうである。誤配したときの処置を考えていないのだから。だが郵便局を民営化することを正しいと思っているあほ国民にふさわしい、このバカ老人にとっては、悪いのは機械的に郵便局と思えてくるのだろう。


あるいは郵便物ではないと最初から知っていたのか(そうは思えなかったのだが)。だとしたら、荷物や文書を送る仕事をしているところに文句をつけてきたのかもしれない。郵便物であろうが宅配便であろうが、なかろうが、宅配・送付事業をしているところに文句をつけにきた。しかし、それは、たとえば地下鉄が遅れたからといって、同じ鉄道だからといって、JRに文句をつけるようなもので、そもそもおかしい。特定の県の教育委員会がおかしなことをしたからといって、関係のない、とくに問題も起こしていない県の教育委員会に文句をつけるのはまちがっている。しかし関係なくても、同じカテゴリと思われてクレームをつけられているところは案外多いのかもしれない。代表方法の問題である。どこまでを同じものとするかは、案外むつかしいのかもしれないが、同時に、けじめもつけて欲しい。こんなバカ老人が和光市にいたからといって、和光市の住民全員がバカと思われても困るからである。


ちなみに郵便局から外に出たら、自販機の前で、購入した清涼飲料水を飲んでは路上に吐き出している中年男がいた。気分でも悪いのかと心配したが、近づいてみると、その男、炭酸入りの清涼飲料水を口に含んでは、うがいをしている。清涼飲料水で、うがい。こんな路上で。路肩の排水口にうがいをして吐き出している。バカか。和光市の住民、頭がおかしいやつばっかりだ。