せいぜいがんばって


鳩との戦いのさなか、『相棒』の再放送をぼんやりみていたら、杉下右京アメリカで写真の勉強をつづけるという姪に対して「せいぜいがんばってください」と言っていた、


杉下右京の口から発せられると、なんだか皮肉めいて聞こえるが、前後関係からこれはあきらかに「せいいっぱい、力の限り、がんばって勉強しなさい」という、れっきとした励ましの言葉である。正しい語法なのだ。ただ、いまの日本語の感覚では、なんとなく皮肉めいた、小ばかにしたような言い方にしか聞こえないのも事実である。


つまり「せいぜい」は「力の及ぶ限り努力するさま、精一杯」という用法のほかに、「たかだか」という意味もあって、「せいぜいがんばって」という正しい語法が、「たかだか」という意味に汚染されてしまうのであろう。「オリンピック種目で、この競技では、せいぜい入賞どまりだろう」という言い方にあるように、「せいぜい」には、「最大限」の「上限」を低く見積もる意味もある。


だから「せいぜいがんばって」という表現が「力の限りがんばって」という意味のほかに、「どんなにがんばっても、たいしたことはできないだろうが、まあ、それで気が済むのならがんばってみなさい」という意味にとられかねない。そう「気が済むならがんばってみたら」という、皮肉な含意が生まれるのである。


福田首相オリンピック選手団に「せいぜいがんばってください」と語ったことが問題なってしまうのも、「せいぜい」のもつ否定的な語感のせいなのだろう。



「消費者がやかましい」という農林水産相の発言に麻生幹事長が「やかましい」は「うるさい、よく知っている」という意味だと、肯定的な含意があることを指摘して、問題発言を擁護するときに、関西以西の人ならわかるだろうと語って、問題がさらに波紋をひろげている。


野田消費者行政担当大臣が、特定の地方の人だけにわかる言葉で語っても意味がないと批判していたが、ひとつだけ特定の地方にしかわからない表現を昨日耳にした。


プロ野球選手の伊良部秀輝がバーで暴れたニュースがあったが、そのとき店員がインタヴューに答えていて、伊良部は、中ジョッキで20杯ビールを飲んでいて、「カードも切れなかった」というのである。ニュースでは「クレジット・カードが使えないことに腹をたてて暴れた」とあったが、「カードを切る」(記憶している限り、そう聞こえたし、字幕も出た)ってどういう意味。「トランプを切る」というのは「トランプをまぜる」という意味だが、それとはちがうだろうから、関西だけの独特の語法があるのだろうか。気になる。というか腹が立つ。暴れちゃうぞ。