Demolition

本日は、9.11の日なのだが、あれは自作自演であることはまちがいない。いや、そういう本とか、そういうサイトがいくつもあるのだが、たしかにそれらは、とんでも本、とんでもサイトとしかいいようのないものも多いのだが――もちろん、私も、詳しい事情などわかるわけがないが――、ひとつだけ否定できない事実がある。それがワールド・トレード・センターの崩壊を自作自演としか考えられないものにしている。


WTCが垂直に崩壊して、グラウンド・ゼロのところに瓦礫と化したことである。よく古くなった建物を解体するとき、とくにそれが高層建築であるような場合に、周囲に迷惑をかけないように垂直に崩壊する。それは内部に爆薬を仕掛けてタイミングをはかり下から爆発してゆく。まさにそれと同じような壊れた方をしているのである。内部に爆薬を仕掛けて崩壊させたことは、まちがいないだろう。大型旅客機がぶつかったくらいで、あんなふうにこなごなには崩壊しない。


たしかにいまも9.11について、アメリカのテロと戦いを批判した側は別にして、それをテロとの戦いの口実にしたがる勢力ですら、いまや言及を避けているところがある。一時期あれほどうるさかった、9.11をめぐる発言、あるいは数多く作られた映画や演劇や小説などが、いまや創造性を失い、また9.11をタブーであるかのように、文化がそれに触れなくなったのは、なにも流行が去ったということではなく、ひそかにあれは、自作自演の悪辣な茶番であることが、雰囲気としても蔓延してきているからではないか(先月触れた『ヴァンテージ・ポイント』のような映画。ただプロットが面白いだけの、いまという時代とは連動しないような娯楽映画が、実は、時代の雰囲気を敏感に嗅ぎ取っていたともいえるである)。


自作自演をした連中は、それこそ天罰が下るだろう。あれをテロとの戦いの契機といきまいた連中は恥を知れ、おのが愚かさに臍を噛め。9.11の狂騒を批判しそこねた人、あるいは体制側を怒らせるような失言をした人、なにも発言しなくて逆に批判された人、そうした人たちは、いま、復活していいのではないだろうか。もちろん最初から、テロとの戦いを批判していた人びとが、もっとも賞賛されるべきなのだが。