森鴎外と日清・日露戦争

本日の日曜版の読書欄に、末延芳晴著『森鴎外と日清・日露戦争』(平凡社)がとりあげられていた。残念ながらこの本は読んでいないし持ってもいないので、この本の評価はできない。この本を書評した評者の文章に疑問を感じたのである。


森鴎外と日清・日露戦争といえば、当然のことのように浮かび上がってくる話題がある。それが評者によって全く触れられていないのだ。原本でも触れられていない可能性はある。まさかとは思うが、本を持っていないのでなんとも言えない。いくらよく知られている話とはいえ、やなりふれるべきだろう。実は、この著者もこの評者の、ひょっとして知らないのではないか。そうとしたらその無知は犯罪的であり、徹底的な糾弾に値するのだが、本がないのでなんともいえないのが残念だ。まあたぶん触れていると思う……。ここでは、その有名な話を確認しておきたい。


脚気(かっけ)というと、今でこそ少なくなったが、昔は死にいたる恐ろしい病であった。脚気の原因は栄養の不良、とりわけビタミンB1欠乏が原因とされているが、昔は、原因がわからなかったものの、脚気の栄養起源説が日清・日露戦争以前にも浮上し、それをとりいれた海軍では白米一辺倒の食事をやめることで、脚気による死者の劇的減少を実現したが、日本の陸軍と東京帝国大学医学部(ドイツ系)は、かたくなに、脚気の病原菌起源説に固執し、白米は最高の栄養食であると主張し、その結果、多くの陸軍兵士を脚気による死へと追いやった。責任は、日本の陸軍と東京帝国大学医学部にある。そして、この両者に関係していたのが、当時、大日本帝国陸軍軍医総監であった森林太郎すなわち森鴎外なのである。


日清・日露戦争において陸軍兵士のうち25万人の脚気患者を出し、そのうち3万人が脚気で死亡したといわれている(数字は諸説あり)。ちなみに海軍におけるこの時期における脚気による志望者は二桁にすぎないことを思うと、陸軍軍医総監であった森鴎外の罪は重い。もちろん森鴎外だけではなく、コッホの細菌学説を日本に移入し、ドイツ系医学の牙城ともなった東京帝国大学医学部もまた、脚気には、それを引き起こす病原菌があると固執しつづけたことによって、有効な対策を阻害した責任を負うべきだろう。なかには脚気の病原菌を発見したとまで主張する学者もいたという。


いかなるロシア人将軍よりも、多くの日本の陸軍兵士を殺したといわれている森鴎外だが、森鴎外をはじめとして、関係者は、誰一人責任をとっていない。責任どころか、みんな、なにごともなく出世して、大往生をとげる。脚気で死んだ多くの自軍の兵士の累々たる屍の山のうえで、あぐらをかいていたのだ。繰り返すが、治療法、対処法は、すでにあった。たとえば麦飯である。しかし自説に固執するというよろは、面子にこだわってか、白米しか支給せず、脚気が蔓延した。戦死者よりも脚気で死んだ兵士が多いとも言われる。だとすれば、日本陸軍にとって恥さらしもいいところである。許しがたいことである。


文学的あるいは小説的関心からすると、日清・日露で脚気問題で失敗した森鴎外は、その失敗にも関わらず処罰されなかったという点が面白い。内心、罪の意識に苦しめられていたのではないか。あるいはまったくの厚顔無恥で、死ぬまで脚気病原菌説に固執し、みずからを真実からむりやり遠ざけられた被害者として、犯罪者にもかかわらず、被害者として義憤のうちに死んでいったかもしれない。どのような場合でも、この汚辱にまみれた森鴎外は小説になりそうである。


まあ森鴎外の犯罪性を問うような小説など日本の文壇に期待してもはじまらないが、もし『森鴎外と日清・日露戦争』の著者が、この脚気問題に触れていないのなら、そんな本は書く価値も読む価値もないだろう(まさか、そのようなことはないと思うが)。また本で触れられていても、まったく知らないふりをしている評者は、ある意味、許しがたい犯罪者である。


なお江戸時代末期には、徳川家定徳川家茂和宮親子内親王脚気で死んでる。まさに『篤姫』の世界の裏側には、脚気の脅威的な死があったのだ。