ジャッジII


久しぶりに妹に会った。実は、銀行のキャッシュカードを紛失したみたいで、銀行に届けて、いまカードが届くのを待っているところだと妹に話した。現金を引き出してから、どこへカードをしまったのかわからなくなった。もう年だから、物忘れがひどくなったと語ると……


すると妹は、それは歳のせいではなく、昔からそうだったというではないか。


いや違う、昔からそうではなかった。というか、一時期そう思い込んでいたことはあった。小学校の頃である。


小学校何年生だったか忘れたが、教科書をなくしたことがある。どこにいったかわからなくなった。当時は教科書は無償配布ではなかったので、買えばいいのだが、問題は、教科書が特殊な販路で売られるので、町の書店には置いていないことだ。簡単に買えないのである。またいまならコピー機があって、新しい教科書が届くまでコピーで間に合わせることもできるのだが、半世紀近く前のことである。コピー機などない。とにかく一刻を争うということで、学校から教えてもらった書店に、母親といっしょに買いに行ったことを覚えている(千種の正文館。いまでも覚えている)。


在庫があったかどうか、記憶にないが、とりあえず学校にあった予備の教科書を使わせてもらったか、予備がなくて、親が教科書の一部を書き写したとういような記憶もかすかにある。とにかくたいへんであった。親からも、しっかりとっちめられた。妹はそれを見ていたのである。


ところが、また教科書を紛失した。教科書をなくしたら親だけでなく、学校にも報告しなければならない。予備の教科書を貸してもらい、また指定の書店に買いに行った。今度は二回目なので段取りなどわかっていたから、スムーズに行ったのだが、問題、それではない。またも教科書をなくしたということの恥ずかしさ、なさけなさがあった。親からは、どうしようもない子だと、うっかり者の烙印をしっかり押された。


しかし小学生が、そう簡単に教科書をなくすとは思えない。家に忘れるとか、教室に忘れることはあっても、べつに途中で喫茶店で勉強して、つい忘れてしまったというようなことはありえない。教科書には自分の名前と所属クラス、そして自宅の住所がしっかり書いある。仮に通学途中とか学校内で忘れたり、なくしても、本人のところにもどってくる確率は高い。


息子のぼんやりにぶりにあきれつつも、親も、そのへんを不審に思ったふしがある。そう、それはいじめだったのだ。


誰が「犯人」だったかもわかっている。ただ、どうしてその同じクラスの男子小学生が犯人だったとわかったのか、いまではよくわからない。たとえば、私と親と先生しか知らないことを、その子が知っていたとか、教科書紛失について、なんとなくさぐりをいれてきたとか。あるいは、同様の手口で、教科書を盗んで捨てて、ほかの生徒を困らせていたことが発覚して、私の場合も、それにあてはまるとわかったのか。


おそらく親と学校側で、私の知らないうちに話がもたれ、真相が告げられ、事を表立てないことに決まったのかもしれない。親としても、このままそっとしていれば、いじめが止むのなら、逆に相手を刺激して、いじめがまた始まるよりもよいと考えたのだろう。その後、親から私は、あれはいじめだったのだと聞かされた。


問題はなぜ、私がねらわれたかである。その犯人は、クラスの人気者で、成績は私よりはよい。こちらは成績も中クラスで、ごく少数の仲間とつきあうだけで、地味な、おとなしい生徒だった――性格は、いまでも変わらないが。しかもその犯人とは、ろくに話したこともなく、たとえば私が不用意な発言などによって相手を傷つけたというようなことはありえない。とにかく話すことなどなかったのだから。むこうは人気者である。私など無視されていた。恨みを買うような覚えはまったくないのである。


唯一考えられるのは、私の存在そのものが、うっとうしかったのだろう。存在自体が憎悪の対象となった。そして私が、いじめられても、人を恨んだり、抵抗したり、報復しそうにない、お人よしに見えたということだろう。


ただ、このお人よしのせいで、教科書がなくなって苦しんでいても、それをいじめと認識せずに、自分のせいだ、自分が悪かったのだと自分を責めてしまっているので、いじめる方は安心だけれども、いじめがないがないことになる。それで二回で終わったのかもしれない。


その犯人とは、同じ地元の公立中学校に進んだけれども、クラスが同じになることはなかった。


やがて彼はは、有名新学校のA高校に進学したが、私はM高校に進学したので、もう会うこともなかった。ただ、それでも、時々、たとえばバス停でバスを待っていると、載ろうとしているバスから、相手が降りてきてばったり出会うというようなことがあった。そんな時には、むこうから親しげに声をかけてきた。


そもそも二人の間には、表立っては何もない。こちらも相手を、これまで責めたことは一度もないから、険悪な仲でもなんでもない。ただ、その声のかけかたは、親しげといえばそうだが、同じ年齢なのに、親が子供にするような声のかけかたなのだ。馬鹿にしていたのだろう。


その後、彼は、高校在学中に自殺した。


【今回のタイトルは、私にしかわからない自己満足によるものなので、意味は詮索しないでいただきたい。】