Significant


日本テレビの「世界一受けたい授業」(19:56-20:54)で紹介されていたトリック写真のひとつに遠くから見るとマリリン・モンローの写真だが、近くでみるとアインシュタインの顔になるというものを紹介していた。原理は簡単で、マリリン・モンローのピントがぼけた写真をつくり、それにコントラストの弱いアインシュタインの顔写真を合成する。近くで見ると、マリリン・モンローの写真がぼやけてわからないのに対してアインシュタインの写真は鮮明にみえる。いっぽう遠くでみるとアインシュタインの写真は背景に溶け込んで見えなくなるのに対して、ピンボケのマリリン・モンローの顔が鮮明にみえてくる。


これはどの二人を選んでもできる写真であると説明されたのだが、そうであっても、なぜマリリン・モンローとアインシュタインなのか。ふたりとも小顔で、顔の輪郭も似ているからなのか。そんなところかもしれないが、このふたりの取り合わせには既視感がある。


そう、アイルランドの劇作家テリー・ジョーンズの劇作品Insignificance(1981)は、ニューヨークのホテルの一室で、アインシュタインとマリリン・モンローの出会いを組織していた。ふたりは気があうでけでなく、マリリン・モンローは天才的な数学能力にを発揮し、アインシュタインと意気投合するのだけでなく、アインシュタインの専門的な話がわかってしまうのである。


正確にいえば、劇作品には、登場人物としては、教授と女優として書かれているだけで、誰であるかは特定できないが、しかし、その教授と女優が、アインシュタインとマリリン・モンローである(もしくはふたりをモデルにしている)ことは、誰にでもわかる仕掛けにになっている。ニコラス・ローグ監督が同じタイトルで、この劇作品を映画化したが、そこでもアインシュタインとマリリン・モンローであった。ローグ監督の妻であったテレサラッセル演ずるマリリン・モンローは、あまりモンローに似ていなかったが、それでもモンローとして特定できる人物だった。


マリリン・モンローには天才がよく似合う。おそらく彼女自身もまた天才的人物であったにちがいない。


マリリン・モンローがジョイスの『ユリシーズ』を読んでいる有名な写真がある。私は彼女が『ユリシーズ』が読めたと信じている。本棚に立てかけたその写真のコピーを、いつも横目でみながら、私は『ユリシーズ』を読んだ。