陰謀理論


最近、タクシー運転手を狙った強盗事件が頻発しているので、こういう話題はKY(漢字読めない)かもしれないが、どうせ私は漢字読めないし、漢字も書けないので、まあKYでKKでいいかなと思ってしまう。


男のお一人様はお先真っ暗で、大晦日も正月もないので、年をまたいで翻訳をしていたら、「陰謀理論」という言葉が目に入った。べつに陰謀理論に関する本を翻訳していたわけではない。たまたまその言葉があったということなのだが。そしてタクシー強盗。当然の流れとして私が思い出したのが、ほかでもない映画『陰謀のセオリー』(リチャード・ドナー監督、メル・ギブソン主演、1997*1)である。


映画の冒頭、音楽だけで台詞は聞こえないのだが、ニューヨークのタクシー・ドライヴァーに扮するメル・ギブソンが、彼のタクシーを利用する乗客すべてに「陰謀理論」(と、あとでわかるのだが)を伝授する。映画は、乗客たちの嘲笑したり驚いたり困惑したりする反応を、断片的に次々と映し出しながら、タイトルを入れてくる。あの場面が……。


たとえば昨年の映画『おくりびと』(滝田洋二郎監督)は、物語を可能な限り遺漏なく伝えるという欲望に貫かれているのか、謎を可能な限り排除する。たとえば主人公は、生き別れとなった父親に最後に会えるのだが(峰岸徹に合掌)、その再会を通して断片的な記憶のなかの映像すべてが意味を付与されるし、さらにいえば、本編中、断片的に示される納棺の儀式も、最後のエンドクレジットで、中断なくすべてを見せるのであって、そこまでしなくとも、あるいはどこまで律儀なのかと、圧倒された覚えがあるが、それに対して「陰謀理論」という、虚偽と真実との境界領域的話題(信じるか信じないかはあなた次第)を扱う『陰謀のセオリー』は、さまざまな要素や謎を放ったらかしにする。


だから冒頭のタクシーの場面について、あるいはそもそもなぜ主人公がタクシードライバーなのかも含めて、とくに説明などないのだが、そこに馴染みの謎なり陰謀理論があるかもしれないものの、とにかくタクシードラバーと陰謀理論とはよく似合う。なぜなら私も、これまで陰謀理論を、タクシーの運転手から聞いたことがあるからだ。それも一度のみならず、二度、三度と。


東京で乗ったタクシーでは「場所柄、政治家とか役人を乗せることが多くて」と前置きした運転手が、べつに頼みもしないのに陰謀理論を語ってくれたし、政治家とか役人とは無縁の場所である埼玉県の田舎、つまり自宅近所で乗ったときにもタクシーの運転手から陰謀理論を聞かされた。あげくのはては、「お客さんも何かそんな話を知りませんか」と、陰謀理論を求められたこともある。『陰謀のセオリー』の冒頭でパラノイアメル・ギブソンに陰謀の理論を聞かされ困惑顔の乗客たち、あの乗客たちこそ、私そのものだ。映画の冒頭は、まさに鏡像だった。


タクシードライバー陰謀理論が最も浸透しているのだろうか。あるいは偶然なのだろうか。陰謀理論はメディアなどでよく目にするが、個人的なかたちでは、私はこれまでタクシードライバー以外から陰謀理論を聞いたことはない。

*1:Conspiracy Theory, dir. by Richard Donner, starring Mel Gibson, Julia Roberts, Patric Stuart etc, 1997.