宇宙で一番


毎年、雑煮を食べるこの時期になると、決まって思い出すことがあって、今年もこの話題を繰り返すことになる。名古屋出身の私にとって、お雑煮に対しては、なんの思い入れもない。なにしろ、名古屋の雑煮は、もちと小松菜(もち菜とも呼んでいたが)を煮るだけのもので、あとは何も入れないからだ。一説によると、これは戦国時代の質実剛健な暮らしぶりを思い出すという徳川家の風習が庶民にも伝わったものなのだが、徳川家では二日目からは豪華な雑煮だったものの、庶民は二日目も三日目も、この質素な雑煮だった。


昔は、雑煮の種類は母親(とその出身地)で決まっていたこともあり、私の母は山口県出身だったものの、母が名古屋に来た頃は、山口県の雑煮で使う丸い餅がなく(いまでは日本中どこでも、季節を問わずスーパーなどで丸餅は買えるのだが、当時はそうではなかったのだ)、名古屋風の雑煮にするしかなったらしい。結局、我が家には名古屋の雑煮が定着した。そして私が一人になっても、その質素な雑煮だけは継承している(まあ作るのは簡単だし)。


大学院時代の指導教官と、その完璧に不肖の弟子である私との、数少ない共通の話題が、この質素な雑煮についてであった。指導教官は三重県出身なのだが、母親が名古屋出身ということで、毎年、まずい雑煮を食べていたとのこと(もっとも昨日「噂のケンミン・ショー」の元旦拡大版見ていたら、中部地方の雑煮は、質素な雑煮のようで、あながち名古屋の雑煮が三重県に持ち込まれたというのではなかったのかもしれないが)。たぶん、それは日本一まずい雑煮だと話は盛り上がり、つまりは、世界一、まずい雑煮ということになるのではと、さらに話はもりあがった。


名古屋の雑煮の話をすると、ついつい「まずい」と言ってしまいうのだが、決してまずいわけではない。具が一品の、もちがどろどろに溶ける寸前の「質素な」雑煮というにすぎない。ただその質素さが「日本一」であることはまちがいない。とはつまり「世界一」である。いや、この話は毎年書いているので、ここでは刷新しておきたい。つまり最近流行の言い方をすると、この「世界一」質素な雑煮は、当然、「宇宙一」質素なのである。