卒論

今年もまた卒業論文提出日がやってきた。


将棋に指導対局というものがある。アマチュアとプロ棋士による対局で、「多面指し」ともいうらしいが、プロ一人に対してアマチュア数名が複数の将棋盤を用いて同時に対局するもの。卒論指導もこれと同じで、毎年、複数の学生を相手に、同時に対局しなければいけない。とはいえ、べつに学生と勝負しているわけではないのだが、次々とメールで送られてくるファイルを点検して、時には添削、また時には詳細なアドヴァイスを付して送り返す作業を、毎年、正月に入ってから提出日まで、毎日行っている。


昨年は10人くらい指導学生がいたので、たいへんだった。中には提出日当日の朝にファイルを送ってくる学生がいたので、もう見ない。いまから直しても手遅れだ。提出が遅れたらもともこもないから、早く提出するようにと即刻メールで返事をしたが、あわただしさは提出日当日まで続いた。


それに比べて今年は指導生が二人しかいない。昨年の10人に比べたら激減なので、今年度は楽だと思ったら、そうでもない。それどころか、昨年以上に、あわただしい感じである。むしろ昨年のほうが楽だった気もしないではない。


それは昨年の学生がみんな優秀だったからだ。いまから思うと、昨年の指導生は、まれに見る優秀な学生だったとわかる。最初に卒論指導を、将棋の指導対局になぞらえたが、実は、今年の大変さを、学生と勝負しているような大変さと勘違いしたためで、学生と勝負しているわけではないから、卒論指導は、美術室で学生が作成中のデッサンを見て回るようなものと言ったほうが正確だろう。


デッサンが上手い学生ばかりだと、この調子で頑張ってと励ましていればよいし、多少、こちらからも、こうしたらどうかと手を加えると、ただでさえりっぱなデッサンが、ますますよいものに変貌するので、指導していも楽しいのである。昨年の指導生たちは、まさにこれだった。


とはいえ誤解のないようにいえば、今年の二人の指導生がバカだったということではない。二人が二人とも示し合わせてはいないのに、遅れ気味で、土壇場になると、出せる力も出せなくなるし、また予想も付かないしかたで火事場のバカ力が出るので、途中の作成過程が不規則になり、そんななかで時間との戦いにもなったなりして、指導していてかなり疲れたのである。最終的に二人とも立派な卒論に仕上がったのでよかったのだが。