L. A. ストーリー

映画『L. A.ストーリー』L.A.Story(dir. by Mick Jackson, 1991)はシェイクスピア映画とのことだったが、見ていなかったので、とにかくDVDで見ることにした。


ティーヴ・マーチンが脚本を書き主演しているラブコメなのだが、この映画、なんていうかワッキーwackyなLAというネタで通していて、まあ、これは面白いのだろうと思うのだが笑えないギャグが多くて困る。


たとえば最初のほうのスティーヴ・マーチンの語りで、LAの紹介があり、シェイクスピアなんかもLAについてこんなふうに書いていると、シェイクスピアから引用する。それはイングランドを褒め称えるジョン・オヴ・ゴーントの有名な台詞(『リチャード二世』)をLA用にアレンジしているのだが、面白いんだろうが笑えない。またLAの郊外にシェイクスピアの墓があったり、その墓地で墓堀人が墓を掘っていて、しゃれこうべを掘り出してくる。『ハムレット』のなかの有名な一場面のもじりだが、笑えない。いや、これがシェイクスピアなのだとわからない人も多いと思うのだが、わからない人には戸惑いだけを残すだろう。また映画の最後のハイウェイ脇の魂をもつ電光掲示板(なんだそれはとあきれないで欲しい)には、この世には哲学では計り知れぬことがあるという、有名な『ハムレット』の台詞が映し出される。これだって『ハムレット』を知らないとわからない人が多いだろう。


問題は、こうしたシェイクスピア・ファン向けの小ネタが少しあるものの、わからない人には、当然面白くもなんともないのだが、その小ネタがわかる人にもとっても、べつにとくに面白いわけではないことだ。またもちろんそれ以外に、私にはわからない、アメリカ人ならわかるであろう小ネタもあって、ああ、これは面白いところなんだろうとか、わかれば面白のだろうと、思いつつも、笑えない。そう、もしこの映画を見ながら、自分で自分の顔を見ることができれば、おそらくテレビのイロモネア(TBS系)の笑わない観客のような顔をしているにちがいない。


あのイロモネアの笑わない観客、みていると、こんなに面白いギャグなのに、どうして笑わないのか、バカか、よほど感性が鈍化しているのではと思ってしまうが、おそらく、これはおかしいギャグなのだとは理解していても、それが笑い顔に転化しないとうことだろう。芸人のコントやギャグをくだらないとバカにしているわけではなく、おかしいと理解できても、爆笑にいたるまでになにか壁があるということか。


この『L.A. ストーリー』も、おかしいのだろうとわかっても、笑えない。なにか壁がある。そしてこの壁をスティーヴ・マーチンの脚本は壊すどころか築いている感が否めない。シェイクスピアの使用も、意味がわからないし。


ただ、この映画、見る価値はないかというと、シェイクスピア関連の映画としては見る価値はなかったのだが、でも、見る価値はある。なんとサラ・ジェシカ・パーカーが出ているのだ。最初出ているのをみて、びっくりする。まだ若い。そしてこの映画が製作された時点つまり1991年に見るよりも、おそらく今見るほうが感銘を受けるにちがいない。つまり今見るほうが、サラ・ジェシカ・パーカーの可愛さに驚くのだ。たしかにサラ・ジェシカ・パーカーは小柄なのだが、今の時点では彼女はとても大きく見える。しかし、この映画ではその小柄さが際立っている。なんだこの子兎のような女は、いえ、この元気のいい子鼠みたいな女はと驚いた。


映画のなかでスティーヴ・マーチンとからむ彼女は、マーティンが最後に結ばれる、ちょっとおっちょこちょいだが落ち着いた魅力を漂わせているイギリス人女性(当時、スティーヴ・マーチンの妻であったヴィクトリア・テナントが演じている)を完全に食ってしまっている。サラ・ジェシカ・パーカーに出会えるだけでも、この映画は見る価値はある。