Rico’s Back 1

スターシップ・トゥルーパーズ3』


ポール・ヴァーホーベンPaul Verhoeven監督の『スターシップ・トゥルーパーズStarship Troopers(1997)は、往年のアメリカSFの巨匠ハインラインの右翼的作品『宇宙の戦士』(日本語訳題)の映画化で、原作どおりの新兵物になっているのだが、日本のアニメのガンダムモビルスーツの原型にもなった強化装甲スーツといったSF的ガジェットには力が入っておらず、そのかわりに全体的に風刺的戯画的要素が強かった。


『スターシップ・トゥルーパー』は、宇宙の彼方で昆虫型宇宙生物と戦っている地球軍に、入隊と支援を呼びかける戦意高揚宣伝活動としての映像を最初に映し出す。そして、そこからおもむろに物語が始まる。物語は、徴兵に応募した若者3人が、基礎訓練を終えて、それぞれ独自の分野で苦難を経て一人前の軍人に成長してゆくかたちで展開するが、これがどうやら戦意高揚コマーシャルの延長線上というか、その内部というか、あるいはそれと同類の戦意高揚映画にみえてくる。


つまり軍事体制下にある全体主義的統制国家における、吐き気のするような戦意高揚映画という設定によって、国家統制への強烈な批判的眼差しを顕在化していたのである。それはまた、戦時中ナチス・ドイツ支配下のオランダで辛酸を舐めたヴァーホーベン監督の反ファシズムへのメッセージでもあった。


ハインラインの『宇宙の戦士』において戦争のモデルのとなったのは、朝鮮戦争である。事実、大量に押し寄せる昆虫型宇宙生物は、共産軍の人海戦術を髣髴とさせずにはいられない。というか朝鮮戦争におけるアメリカの文化表象は、もっぱら人海戦術であり、多大の犠牲をものともせず、着実に前進して、アメリカ軍(正式には国連軍なのだが)を圧倒する不気味なロボット的あるいは昆虫的集団こそ、共産軍の集約的イメージとなった。『スターシップ・トゥルーパーズ』でも雲霞のごとく押し寄せる凶暴な昆虫型(カマキリ型が主だが)は、まさに人海戦術で押し寄せる共産軍そのものでもある。


西部開拓時代に「死んだインディアンだけが、よいインディアン」というスローガンが掲げられたことは良く知られているが、ジョン・ダワーの『容赦なき戦争』を読むと、第二次世界大戦中に、「死んだ日本人だけが、よい日本人」という言い方があったことがわかる。そして『スターシップ・トゥルーパーズ』でも「死んだバクだけが、よいバク」というテレビ・コマーシャルが登場することから、この映画では太平洋戦争もモデルとして含まれているのだろう。共産軍と日本軍、戦い方もイデオロギーも異なるのだが、アメリカ人の目からみれば、どちらも同じ不気味な集団なのであり、死んだアジア人だけが、よいアジア人なのである。


ただし、それが戦意高揚映画のパロディならば、それでいい。しかし、これは最初から批判が出ていたところだが、戦意高揚映画というかたちで形容するかぎり生ずるところの映画の内容との距離が、このようなエンターテインメント映画では、監督の意図がどうであれ、なくなってしまうのではないかということだった。そうなると、この映画は、パロディなど関係のない、たんなる娯楽作品としての未来戦争SFであり、批判性(つまり戦時国家体制というファシズムへの批判性)が消滅することである。なるほど戦意高揚のためのプロモーション・クリップのようなもの(「死んだバグだけが、いいバク」)が入るが、これも、戦争状態を示す説明的道具もしくは装飾的なものにすぎず、未来SFの諸設定のひとつとしてみなされるだけである。


スターシップ・トゥルーパーズ』は評判(悪評も含む)となって続編(2005)が作られ、テレビシリーズ化した。意図的にB級SF映画を目指したヴァーホーベンの前作と比べ、監督もかわった続編は、オリジナル・ヴィデオ映画で、これは最初からB級映画以上のものになれない作品であり、スケールも小さい。設定は同じでも、登場人物は前作とは関係なかった*1


それから三年後、昨年作られた第三作Starship Troopers 3: Marauder(2008)では、第1作に登場した主人公ジョニー・リコ/カスパー・ヴァン・ディーンが返り咲いた。それも大佐という基地司令的な存在に出世して。リコが帰ってきた*2。とはいえ第1作の登場人物で返り咲いたのは彼だけだったし、監督もかわったが(監督Edward Neumeir, 本来、脚本家である)、それでも、なつかしい感じがした。また嬉しいのは、第1作の戦時戦意高揚コマーシャルが、第一作にもまして強烈なパロディ性をともなうようになったからだ。なにしろ宇宙軍の最高司令官ともいえる空軍元帥Sky Marshalが、戦意高揚ソングを歌って踊るのである。若いアイドルではない。中年のおじさんなのだが。この馬鹿馬鹿しさは強烈だったが、結局、このスカイ・マーシャルがバグの巨大脳に精神を操られている裏切り者だったという、ありがちな、そしてあまり意味のない展開になっていたし、また途中で信仰の問題もでてくるが、これも宗教へのパロディだとしても、パロディとして成立していない。


つまりパロディが批判性を喪失してコミックリリーフにすぎなくなるという、第一作から危惧されていたことが、いよいよここにいたって実現したということになる。第一作の意図的なB級SF戦争映画から、意図的の部分をみないと、それは、ただのB級SFにすぎなくなったのだが、ここ第3作にいたって、かんぺきなB級SF映画になった。パロディ部分もコミックリリーフもしくは装飾的なブラックユーモアと化した。しかしそうなった原因が、たんなる製作陣の力不足とか意識の低さというのではなく、9.11以後の、いまやようやく下火になりつつある戦意高揚プロモーションのせいで、通常ならまぎれもないパロディとしてうつるものが、アメリカの戦時体制下で、パロディとしての違和感を喪失したことの不気味さであろう。


いいかたをかえれば、SF戦争映画の殺戮とアクションを楽しみつつも、心のどこかで、これは戦時体制のパロディなのだと醒めてみることのできた第1作の観客に比べ、ありえない不条理な戦時体制が、現実のものとなった9.11以後の観客たちは、映画の内容に対する距離感が消え、B級映画であり、娯楽映画ではあっても、同時に、これは反米勢力と戦うアメリカの真摯な寓意として心のどかかで認めてしまうのである。不条理を笑う映画が、真摯な寓意へと変貌する、というか、そのように受容されていく変質過程のなかに、いまや戦時体制へと入った〈帝国〉の恐るべき現実があるというべきか。


なお映画的見る場合、第1作において、緊張関係とともにあったもの、それはアニメあるいはCGと実写との関係であった。CGが多用され、現実と見紛うばかりの映像が作られる昨今と比べ、第1作の時代は、両者が緊張関係にあった。たとえばアニメの人物が、実写の人物とからむという映画はいまでも作られているが、それはアニメの人物を、現実世界のなかに生かせてみたいというピグマリオン的願望とともに、現実の人物をアニメの世界に取り込みたい、アニメの世界で遊びたいという、ある意味、ともに不可能な夢を実現する、あるいは不可能さを再確認する独自のジャンルである。第1作もこれに属していた。そしてCGで作られた兇悪なバグと、実写の人間との戦いは、アニメキャラクター対実写人物との遭遇を実現するものだった――見事に、そして文字通り痛ましく。


かたやCGでできがバグの大軍、かたや実写版人間たち。それだけなら、意味がない。むしろ両者の遭遇と触れあいがなければならない。それが第1作では実現する。巨大カマキリのようなバグの鋼鉄のような鎌に、兵士たちの肉体が引き裂かれ、切り刻まれ、刺し貫かれ、肉片と化してゆくとき、そこにCGと実写との遭遇と触れあいが生まれる。現実に存在しないCG存在に、肉体が引き裂かれるときこそ、ありえない遭遇が実現したときである。そしてこの稀有の遭遇は、つまりCGと現実との出会いは、どちらか一方の死をもたらす闘争的で致死的な悲劇性を内包している。出会った瞬間に解消される出会い。この不可能性、の悲劇性を第1作は実現していた。CGバグに切り裂かれる実写人間。


だが第3作の、時代とテクノロジーの進歩に取り残されたようなちゃちなCGゆえに、それはまるでアメリカのテレビ版『トランスフォーマー』シリーズ(日本でも放映されていた)みたいなCGで迫力にかける。そしてそのぶん、第一作にあったようなCGと実写との遭遇と離反とを組織しえていない。美的問題ではない。それはまた他者といかに向き合うか、他者との遭遇の困難と悲劇性へお省察へと、私たちを駆り立てた第一作ではあった契機が消滅したことを意味している*3

*1:第1作では、たとえばリコの訓練キャンプでの戦友の女性ダイアナ・メイヤーは、Johnny Mnemonic(1995)はキアヌ・リーヴィスとか北野武と共演していただけだが、その後テレビシリーズのBirds of Preyゴードン署長の娘を演じていた。バットガールである。とはいえ初期のテレビシリーズのバットガールとは異なり、こちらはかなりシリアスなドラマだようだが。またリコの恋人役デニス・リチャーズは、その後の活躍のなかで『ワールド・イズ・ノット・イナッフ』でボンドガール役を果たしている。第2作以降にスターはいない。

*2:いわゆるモビル・スーツの原型となったパワード・スーツが本編ではいよいよ「マローダー」として登場するが、リコ搭乗のそのマシンには、「リコ」の名前が書かれている。

*3:なお第3作で登場する、惑星全体を破壊する強力な爆弾・ミサイルというのは、広島・長崎に投下された原爆のメタファーだろう。問題である。