生徒諸君


1月15日に中央大学理工学部の教授が殺害された。事件は謎のままで、捜査を待つしかないが、学生からは、先生も気をつけてくださいと言われている。私は、よほど人に恨まれていると思われているのか(べつに高窪教授が恨まれていたとかいう証拠はないが)。まあ敵が多いことも事実なので、学生が心配しているということか。いや、死ねばいいのにと思われているふしがある。


それはともかく、テレビでの報道をみていると、中央大学の学生や、大学関係者のなかで、大学生のことを「生徒」と呼ぶ人間がいて、おやおやと思う。なにも中央大学に限ったことではない。私の大学でも学生が自分たちのことを「生徒」と呼ぶことは、よくある。でもこれっておかしいでしょう。大学生は「生徒」ではなく「学生」。その証拠に、大学生は生徒手帳を持っていません。生徒手帳を持っているのが生徒。もっていなければ学生です。



高校生のことを、学生とか、高校生時代を学生時代と呼ぶのは、生徒手帳をもっている彼らは学生ではないのだから、おかしいのかもしれないが、これには歴史的経緯もあって、それなりに意味があることだろうと思う。また歴史的経緯を無視しても、上位にある名称が、下位にある名称に浸透ゆくということは、よくあるし、それはそれでいいのかもしれない。関西で言う「大将」なんて言い方もそれだろう。東京では客引きが、通行人の男性を「社長」と呼ぶようなものか。まあみんな偉くなるわけだし。しかし下位の名称が上位に浸透してゆくのはなにか感じが悪い。


大学生を生徒って呼ぶな。