ボリビアに来た男


本日で近くのシネコンで『チェ 39歳 別れの手紙』が明日で終わるので、いつものことながらあわてて見に行った。明日がラストなので、すでに一日一回の上映である。時間帯にもよるのだが、『マンマミーヤ』と『ベンジャミン・バトン』を購入する女性客(本日水曜日は1000円で見ることができる)が多いなか、ひとり『チェ39歳』を購入したのだが、しかし、館内にはけっこう人が入っていた。若い女性と年配の男女がほとんどだったが。


それにしても130分くらいの映画なのに、みんなトイレ行きすぎ。数えればよかったのだが、老人と女性がかなりの数、上映中にたぶんトイレ退席。私と同じ列に座っていた女性も、退席したあと、またもどってきた。昔、書店に行くとトイレに行きたくなるという伝説があったが(いまでも伝説なのだろうか)、べつにこの映画を見ると、トイレに行きたくなるということはないと思うのだが。頻尿者がたまたま多かったのか*1


『チェ39歳』のほうは、ボリビアでのゲリラ闘争のなか、最終的に仲間もいなくなり、十数名のゲリラを率いて渓谷で政府軍に追い詰められ負傷して捕虜となるゲバラの、その最後の日々が淡々と描かれるにつれて、映画では、極力そういう提示法をしないようにしているようにみえるのだが、しかし、これはどうしてもそう解釈するしかないということがわかってくる。つまりゲバラは、救世主イエス・キリストなのだ、と。山中を放浪する十数人にゲリラは、イエスとその使徒たちにみえてくる。


ゲバラボリビアでの活動が農民たちに受け入れられなかったという解釈をして、革命は容易なことではない(某大手新聞の記事)とか、ゲバラの戦術に過ちがあったと解釈する観客も多いようだが、それがどうしたというのだろう。農民たちや庶民に嫌われ毛嫌いされ裏切られていたことにかけては、イエス・キリストこそ、その最たる例であろう。農民や庶民にことごとく受け入れられず、あれほど、誰からも嫌われた革命家はいない。ゲバララテンアメリカ世界では愛されていた。そしてボリビアでの不人気が逆にゲバラをイエスに限りなく接近させる。こんなわかりきったことを、指摘している人に私は出会っていない(いないというわけではないだろう。誰もが思いつくことなのだらから)。


たとえばゲバラは足を撃たれて捕まるのだが、その傷は十字架にかけられたイエスと同じ場所にある。またピラトのような現地人指揮官の横にはキューバ人の軍人(たぶんCIA)がいる。その男に、ゲバラは、裏切り者とは口をきかないと言ってのける(そのキューバ人/CIAはまるでユダである)。ゲバラが捕まったとき、付き従っていたゲリラは17名だといわれているようだが、この人数は、まさにイエスとその使徒たちである。


しかしなぜボリビアなのか。この映画にはゲバラのもとで諜報活動をした、タニアという実在したいわゆる「女スパイ」が登場する。映画ではフランカ・ポンティが演じていて、どこかで見たと思いつつも、結局、彼女のことを思い出せず。比較的最近ではフランス映画の『素粒子』にも出ていたのだが、その時も思い出せず。今回、『素粒子』とも結びつけることもできなかった。さらにいえばもっと不覚には、『チェ39歳』には、マット・デイモンが端役で出演しているのだが、マット・デイモンの顔を見ても、なにも思い出せなかったことだ。そうタニアを演ずるフランカ・ポンティこそ、マット・デイモンの〈ボーン・シリーズ〉の1と2に出ていて、1の『ボーン・アイデンティティ』では、ボーンの恋人役だったし、2の『ボーン・スプレマシー』でも最初のほうで殺されていた。マット・デイモンと共演しているのだ。そして彼女こそ、あの『ラン・ローラ・ラン』(ドイツ映画*2)のローラ。もうこうなると病的な記憶喪失といっていい。


で、このタニア、アルゼンチン生まれのドイツ人。そしてマット・デイモンボリビア在住のドイツ人の役で登場する。ゲバラにからむヨーロッパ人としては、この映画ではレジス・ドブレが出てくる。レジス・ドブレはいまでは有名になってしまったが、当時は、キューバそしてゲバラと親密な関係があったことがわかる。そしてタニアというドイツ人。そう、ドイツ人。もともとボリビアにはドイツ人移住者が多かったらしいのだが、そこに第二次大戦後、ナチの残党が入りこんでくる。その最も有名な一人が戦犯のクラウス・バルビーである。


クラウス・バルビーについてはテレビ・ドキュメンタリー『ホテル・テルミニュス 戦犯クラウス・バルビーの生涯』(1988年の米仏合作テレビ映画。かつての巨匠マックス・オフュルス監督の息子が監督)と昨年日本で公開された『敵こそ、我が友――戦犯クラウス・バルビーの3つの人生――』(2008、監督はケヴィン・マクドナルド『ラスト・キング・オブ・スコットランド』の監督である )がある。このドキュメンタリー『敵こそ、我が友――戦犯クラウス・バルビーの三つの人生――』は、もうすぐDVDも発売されると思うが、この『チェ39歳』をみたなら、ともにみておくべき映画である。かつて第二次大戦中の占領下のリヨンで、多くのユダヤ人を収容所に送っただけでなく、レジスタンス活動家を虐殺しつづけたクラウス・バルビーは、戦後、アメリカのCIAに使われ反共活動に従事し、ボリビアに潜入する。いや潜入どころか、時の軍事政権の非合法な反共活動に積極的に協力、指導さえしていた。ボリビアは反共活動の拠点となり、アメリカが積極的に軍事援助し、CIAとナチの残党たちが反共軍事政権を支えたのである。


実際、クラウス・バルビーのドキュメンタリ『敵こそ、我が友』を見ると、第二次世界大戦はいったいなんであったのかと疑問を持たざるを得ない。連合軍はナチス・ドイツを破ったどころか、ナチスは、CIAに入り込むというより、CIAに利用され、世界政治に加担し、まさに世界のナチス化に貢献したのであって、敗れたどころか、勝利したともいえる。ホロコーストを否定した聖職者をめぐるバチカンの対応の悪さが最近話題になっているが、バチカン第二次世界大戦中、ナチスを支持したふしがある。なにしろナチスユダヤ人を殲滅し、共産勢力と戦っていたわけで、目指す目標が同じというか、敵が同じというか、いずれにせよ、運命共同体であった。事実、ナチスの残党を南米に逃したのもバチカンの手引きによるものだったし。そして、その残党がまたCIAによって保護され、利用され、そして南米の軍事独裁政権を強化するようにはたらき、一大抑圧体制を築き上げる。地獄の新地図をつくる。


CIA/アメリカとボリビア軍事政権はともに、ナチス化していた。ゲバラに、このことが見えなかったはずはない。ゲバラの真の目的がナチスと戦うことであったとまではいえなくても、民族解放の目的とともに、このナチスの悪魔との戦いも視野に入っていたにちがいない。その意味でも、ボリビアのおけるゲバラの戦いを、ローカルなレヴェルではなく、グローバルな世界史的なレヴェルにおいても、これから捉える必要があるのではないか。


『チェ39歳』ではゲバラの遺体は現地人おそらくは先住民たちが見守るなか、軍のヘリコプターで運ばれる。それはあたかもゲバラが昇天するかのようである。そしてつぎに、キューバに革命闘争のために船に向かう頃の若きゲバラの姿が映し出され、映画は終わる。成功した革命と失敗した革命。その運命のきわまりを示して映画は終わるのだが、ゲバラの遺体のその後を知りたければ『敵こそ、我が友』をみるべきである。そこではボリビアで一般に公開されたゲバラの死体が大きく映し出される(当時のニュース映像のようだ)。ゲバラの死体は、その後ボリビアに秘匿される前に、確実に公開されていた。永遠の眠りについたゲバラの死体を前に、勝ち誇ったような関係者たちの姿をみるにつけても、ゲバラは、悪魔の巣窟で力尽きて倒れた救世主であったという思いを強くせずにはいられない*3


付記 『敵こそ、我が友−−戦犯クラウス・バルビーの三つの人生』のDVDは1月21日に発売していた。

*1:なお現在、バズ・ラーマン監督の『オーストラリア』の宣伝に、テレビと映画館ともに力が入っているが、日本軍の卑劣な奇襲攻撃によって運命が変わるという内容については触れないようにしている。右翼を刺激しないためかもしれないが(この場合、右翼というのは、右傾化によって洗脳された最近のほとんどの日本人ということだが)、右翼なら、その行為が卑劣な闇討ちだといわれればいわれるほど陶酔すると思うので、そのへんを刺激しないと客が集まらないかもしれないと、勝手に心配している。

*2:監督の最近作は『パフューム』。私としては、あの主役の男が気色悪すぎて受け入れがたい映画だったが、あの主役の俳優、イギリスではハムレット俳優の一人。信じがたい。

*3:『チェ39歳』のエンドクレジットは、途中から無音になって、画面がスクロールする文字だけになる。それが延々と続く。ゲバラのためにしっかり黙祷するような気分が味わえる。