Dead Poets Society

Dead Poets Society

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本日は学内で英文科の年一回の同窓会というか総会があり、土曜日の午後、例年のように二つの講演を聞き、その後、懇親会。懇親会は午後7時30分に終了。その後、多くの参加者は二次会に流れたようだが、私はこのところ体調不良なので、懇親会でもほとんど食べ物には手をつけず、アルコール類ばかり飲んでいたので、逆に酔って気分が悪くなってしまったが、体調不良と酔いが重なり、今回はそのまま帰った。


昨年は、ずっとせきが止まらなくて(声が変わるほどの百日咳のせいで)、のどがつぶれていた(さらに一昨年は胆石の発作が起きて入院、退院していた自宅で食餌療養中だった)。昨年は、人がいないから、懇親会の司会をと、頼まれたのだが、申し訳ないけれど声が出ないと、出ない声で訴えたところ、すぐに了解してもらえた。今年は司会者候補がたくさんいて私の出番はなかった。


なお今回のタイトルは、本日の**英文学会の内容とは関係がない。すぐれた講演をされたおふたりの講演者とその内容とはまったく無関係のことではないので、ここに明記しておきたい。


で懇親会の席上、参加者のうち最年長者に乾杯の発声をお願いするのが例年のならわしだったが、今年は、100歳の方が参加されていて、当然、その方にお願いをした。100歳といってもお元気で驚いた。私が身元引受人だった伯母も100歳近くまで生きたが、最晩年はずっと病院だった。心身ともにあんなに元気ではない。スイフトガリヴァー旅行記ではないが、長生きしても耄碌して病気だったら苦しいだけだが、100歳でもあれほど元気なら長生がしたくなった。というか元気だから長生きができるわけで、私の場合、予想寿命はマツコDXと同じなので、無理だろうが。


それはさておき、もと大学の先生でもあったその方が語れた思い出話には英文学に関係することが2つ出てきた。そういうとき、ふつう私には、わからないことが多いのだが、本日は、嬉しいことに2つとも出典がわかった。


ひとつは昭和6年に英文科に進学したとき、親睦旅行のようなものがあった帰りに、引率の教員がいないことが判明した。その時、いっしょに来ていた外国人教師が、妙に気取った格好で、行方不明の教師について‘O Captain! My Captain’と語ったこと。その時は、英文科に入ったばかりの自分には、その場にいない引率教師について、なぜそう語ったのかわからず、変な表現だと思ったとのこと。そして後日、古書店で、たまたまみかけた英語の詩集に、その詩が入っていてびっくりしたとのこと。その詩が誰の詩であるかは、聴衆には伝えなかった。


もうひとつは、その外人教師が英作文の課題を出したときに、Sweet are the uses of adversityというフレーズを課題として出したこと。これも出典がシェイクスピアだということが、あとになってわかったということ。シェイクスピアのどの作品かは聴衆には伝えられなかった。


こういうとき私はひとつくらいはわかるのだが、ふたつともわかったというのは、なんというラッキーなことだろうか。いや、私は根っからの英文学者で、このくらいのことはわかる。わからない奴は、英文学者をやめてしまえと、まあ、これだけのことで、鬼の首をとったかのような自慢をしたくなる。もうしてしまったが。


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最初のO Captainは、ホイットマンの詩。キャプテンは船長の意味で、リンカーン大統領を指す。リンカーン大統領が暗殺されたとき、その死を嘆いた有名な詩である。


もちろん、これは有名な詩なので知っていて当然といえば当然で、知っていても、偉くもなんともないのだが、また同時に、家に帰って、このブログを書く前に調べたのではないかと勘ぐられるかもしれない。だが、少なくとも数年前に私が、この詩を知っていた証拠はある。それが本日の表題とも関係がある。


私は数年前、駒場東京大学)で英文学入門というような授業をしていて、その時、映画の一部を教材にして、『いまを生きる』(ピーター・ウィア監督*1。いやというほど繰り返されてきた悲劇、憤りと悲しみのために、書いているだけで胸が痛くなる。


ロビン・ウィリアムズ扮する国語教師は、その件で学校を追われるが、しかし生徒たちは、授業中に習ったO Captainの詩でもって、倒れた指導者を称え弔うのである。彼は、それまでもイギリスの学校で問題を起こして追われている(原因はあかされない)。彼は授業でホイットマンの詩を教える。そしてちなみに自殺した生徒が演ずるシェイクスピア劇の役割は、繰り返すと『夏の夜の夢』の妖精パックであった。妖精、フェアリーは、ふつうの英和辞典で確認していただきたい。同性愛者を指す俗語である。


Sic semper tyrannis*2ホイットマンの詩は、凶弾に倒れたリンカーンの死を悼むものだが、自由と解放運度の指導者たるリンカーンを、船の船長にたとえている。しかしそれはまたきわめてゲイ的なメタファーで、海、水、そして船というゲイ的トポスのなかで、男性だけの乗組員のその船長でもあるリンカーンを、ゲイ・コミュニティのリーダーとも位置付けている。それはこの詩の二重の意味からもすけてみえることである。そしてだからこそ、この映画にも使われた。ホイットマンともアメリカで出会っていたオスカー・ワイルドもまた倒れてゆくだろう。アルフレッド・ダグラスの父親クイーンズベリー侯爵に告発されて。O Captain! My Captain: 悲劇は続く。この映画でも、国語教師が追われてゆく。倒れていった人々、それを映画は追悼している。


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なおSweet are the uses of adversityはシェイクスピアの『お気に召すまま』のなかの追放された侯爵の台詞。『お気に召すまま』という芝居は、私の好きな芝居で、このブログでも何度もとりあげている。登場人物の一人、オーランドーという名前にも思い入れがある。だから知っていて当然なのだが、誰でもひとつのシェイクスピア作品のセリフを全部覚えているわけではないので、これでも、まだ疑う人はいるだろう。


しかし、もう証拠はある。以前、20世紀だった頃、日本シェイクスピア全国大会(仙台かどこかで行った時と記憶するが)で、新潟大学の先生が、『お気に召すまま』に関することで研究発表されたことがある。その時、日本シェイクスピア協会とまだ喧嘩していなかった私は、その研究発表の司会をした。これは記録に残っているから、確かめることができる。その時の研究発表のタイトルがUses of adversityだった。

*1:Dead Poets Society, dir. by Peter Weir, 1989)をとりあげた。有名な映画である。ロビン・ウィリアムズ扮する国語教師が、このホイットマンの詩を授業でとりあげていた。しかも、それだけではない。この詩は、作品の主題とも連動してくる。私は、プリントを作成して配布した。この詩の全文を紹介し、そのプリントではオスカー・ワイルドについて、その裁判についてもあわせて説明した。 『いまを生きる』というくだらない日本語のタイトルに騙されている日本人も多いのだが(とはいえこのタイトルがなかった日本でもヒットしなかったかもしれないのだが)、これは学園青春物えはあっても同時に、ゲイあるいはクィア映画の傑作でもある。もしこの映画を熱血教師と自由を求める若者たちの姿を描く青春映画だと思っている人があれば、不明を恥じるべきである。 なぜなら、つぎのことを考えてもいい。ロビン・ウィリアムズ扮する国語教師が、なぜ、教え子の一人が自殺した責任をとって学校を辞めさせられるのか。通常は考えられないことである。べつにその教え子に自殺をそそのかしたわけでもなく、また教え子を自殺に追い込むようなひどいことをしたわけではないのに。自殺の直接の原因は、その生徒の父親にある。 では、なぜその生徒(ロバート・ショーン・レナード、彼はブラナー監督の映画『空騒ぎ』ではクローディオ役でもあった)が、自殺するのか。近くの女子校の演劇部の公演を応援するために、みずから舞台にたった、それが自殺の原因である。しかもその芝居はシェイクスピアの『夏の夜の夢』。文学好きであり演劇好きの彼は妖精パックの役で出演し、クラスメイトたちと教師の応援もあった。 その舞台をみた父親が息子を叱る。演劇にうつつを抜かしていないで、もっと勉強しろくらいのことはどの親でもいうだろう。だがこの親は、舞台をみただけで、息子を、その名門進学校から辞めさせ、陸軍学校に入れるというのだ。学業をさぼって芝居をしたくらいで、なぜ、その学校を辞めなければいけないのか。またいまどき、親に反対されてくらいで死ぬ子供がいるか。しかも、その生徒の自殺が暗示されるとき、彼の部屋の窓際に、彼が舞台で演じた妖精パックの帽子が置いてあるのはなぜか。 彼の自殺の知らせが入ったとき、なぜイーサン・ホーク演ずるルーム・メイトは、雪のなかで、反吐を吐きながら、いくら悲しいといっても、なぜあれほどまでに嘆き悲しみ苦しむのか。 なぜ自殺した生徒の父親は、自らの責任を回避して、国語教師に自殺の原因があるかのように堂々と学校を訴えるのか。 この親はいったい何なのだ。疑問の答えは映画の中に出てくる。それはゲイ問題である。もしあなたが保守的な父親(同性愛者を嫌う軍人としてもいい)で、息子がゲイだとわかったら、どうするか。もしあなたが、ホモフォビアを悪とも差別とも思わない頑迷固陋な犯罪的人間だとしたら、息子がゲイだとわかった瞬間に、断固たる措置をとり、学校を訴え、息子をゲイに誘導した教師(私も駒場の馬鹿学生から、つい最近、ゲイに誘導したと非難されたことがある(この件については、まだブログにアップしていないが))を弾劾し、浄化を実行するだろう。息子を死に追いやったことの責任をオスカー・ワイルドにとらせるのである((ワイルドを告発したクイーンズベリー侯爵(ワイルドの愛人だったアルフレッド・ダグラスの父親)は、現在のボクシングのルール(クイーンズベリー・ルール)を作ったことでも有名だが、数年前の授業では、よく覚えていないが、子供たちから嫌われていたクイーンズベリー侯爵がいかにマッチョな人間だったかと話したような気がするが、嘘を話していた。ボクシングルールに関しては、名前を貸しただけで、ルールの実質的な中身は別の人間がつくっていた。

*2:この有名なラテン語のモットーの意味とリンカーンとの結びつきについては、『ナショナル・トレジャー2』をご覧あれ。