パニック


本日2時から会議があって、渋谷を目指さねばならない。すこし遅れ気味だったので、副都心線はやめて東上線とJRを乗り継ぐ予定だった。すると池袋でJR山手線が、他の駅での人身事故で止まっている。ここで判断を誤ったところがあって、すぐに副都心線に乗ればよかったのだが、副都心線では遅いからとJRに切り替えたので、躊躇があった。


しかしこの分だと、私以外にも会議に遅れそうな人がいるだろうから、とにかく渋谷まで行くしかないと副都心線に乗った。幸い、急行がきた。急行に乗ると、池袋の次が新宿三丁目、その次が渋谷と、渋谷まで2駅なのである。少し助かった気がした。会議に間に合うかもしれないという希望が生まれた。


ただなかなか発車しない。ドアを10回くらい開けたり閉めたりしている。その間に、乗客が入りこんできて満員状態になった。空気もよどんでいる。こうなってくると私のパニック症候群の引き金がひかれそうになる。



昔、イギリスにいた頃『GBH』という評判のテレビドラマをやっていた。とはいえ私が見始めたのは終わりの回の方だったので、最終的にビデオ化されたときに、改めてまとめて見た。


政治ドラマであり、当時、野党だった労働党の関係者たちのドラマである。日本では考えられないドラマだと思った。


ドラマは、カリスマ的人気を誇る労働党の市長が、みずからの人気を誇示し、最終的に中央政界に打って出るためにと、保守党の政権批判もこめて全市ゼネストに突入を決める、ところから始まる。


ところがこうした市長のやり方に反対する小学校の校長がいる。マイケル・ペイリン(もとモンティ・パイソン)扮するこの校長は、全市ゼネストにもかかわらず小学校で授業をするとように職員や教員に命ずる。この校長は、ただの保守派ではなく、熱心な労働党員なのである。


ストに入っていないことをかぎつけた新聞記者が、その校長に会いに行く。マイケル・ペイリンは、その新聞記者たちに対し、「あなたがた右翼保守系の新聞は、パルプ資源の無駄遣いだ」と語る――私はこの言い方を頭のなかでメモした。この新聞記者は、そのあと市長に情報を伝え、市長の命令に反して開いている小学校があると伝える。怒った市長は、若い党員(あきらかにミリタントも含まれるので、ならず者に近い)を率いて、小学校に押しかける。


実はその小学校は、知的障害の子供たちを教育する特別な小学校で、ミリタントの労働党員たちが、小学校の校舎の外で威嚇すると、子供たちはパニックに陥り、正常な授業ができなくなる。


結局、いたみわけとなる。授業ができなくなったので、校長は生徒を家に帰すしかなくなるが、同時に、全市ゼネスト構想も、それを無視した労働党員がいたことで破綻する。そのカリスマ的に人気を誇る市長は、校長に覚えていろいい、校長も、あなたのやり方は絶対に許せないと市長を批判する。


これが第一回。あまりの迫力に、おしっこをちびりそうになった。


このとき、私は、このマイケル・ペイリン扮する校長の姿が、いまの自分の姿と重なるとは夢にも思わなかったのだが。


それはともかく、ものすごく期待させるこのドラマ『GBH』だったが……。ちなみにGBHとはGrievous Bodily Harm「重障害、重体」の略。難しい単語だが、しかしイギリスで刑事物のテレビ・ドラマをみていると、刑事たちが「ジービーアイチ」と話す声をよく耳にする。


で、この『GBH』、初回は期待をふくらませてくれたが、すぐに中だるみがやってきて、つまらなくなった。最後に、カリスマ的に人気を誇る市長の不正や腐敗が暴かれ、市長は破滅し、一方苦しい立場に追い込まれていた校長も元の地位に戻る。まあ、いまとなってはよく覚えていないのだが。ただ最後は覚えている。最後は地方の労働党員の集会所で、その校長が、社会主義とはなにか、労働党の本来のあり方とは何かを諄々と説く感動的な説教だった。


で、この良心的な校長にも持病のようなものがあって、閉所恐怖症とか、高所恐怖症とか、なにかフォビアのようなものがあって、時々おかしくなる。たとえば車で橋を渡れない(思い出した、その車には、スト破りと落書きされるのだった)。なぜかといえば橋が落下するような恐怖に襲われるからである。


当時、このドラマを見ながら、これは校長の弱点というよりもドラマの設定の弱点だと思った。いくら校長をスーパーヒーローにしないといっても、こんなへんな神経症だか恐怖症だか、わけのわからない心の病気をもたせないでくれといいたかった。


実はこの校長の病気、当時、私にはわからなくて、名前を知らなかった、いまではわかる。いわゆるパニック症候群なのである。トラウマなどと違って、明確な理由はわからないけれども、時々おかしくなる。自分が死ぬのではないかと怖くなり、パニックになる。イギリスでその番組を見ながら、そんなヘンな奴がいるのかと思っていたが、日本に帰ってみて、そのヘンな奴がひとりいた。


私である。


満員電車などに乗って車内の空気がよどんでくると、息ができなくなる。過呼吸になる。自分が息をしても酸素が肺に入っていかなくて、空気が窒素か二酸化炭素ばかりで、そこに酸素がない感じなのである。窒息して死ぬのではないかと思えてくる。昔はそんなことはなかったのだが、イギリスから帰ってきたらおかしくなった。


実際、今でこそ、ものすごい満員電車はなくなったし、いまや乗り降りする駅に、東上線有楽町線副都心線と三路線の列車が止まるので、満員電車に乗らねばならない状況はなくなってきたのだが、昔は、満員電車に乗れなかった。乗っても各駅。なぜなら息ができなくなっても次の駅で降りればよかったので。急行だと長く乗っていなければいけないので、それだけで窒息しそうになる。



渋谷行きの副都心線の急行は、ようやく出発した。あとは新宿三丁目である。満員になった車内で、私は自分が過呼吸になりそうなのを必死でこらえた。どんなに息をしても、肺に酸素が到達しない、そんな感じになりはじめているのだ。


もし、ほんとうに我慢できなくなったら、すみません息ができないので、その窓をあけてもらえませんかと回りに頼むか、自分で窓を開ける。でも、それまで呼吸はもつのだろうか。新宿までの辛抱とはいえ、それまでどれだけの駅を通過するのか、つまりどれだけかかるのかわらない。たぶん苦しくなって床に倒れてのたうちまわるのではないという恐怖が襲ってくる。


もちろん周囲を見れば、苦しそうな人、体調の悪そうな人はいない。ただよどんだ空気のなかで次の駅まで満員電車のなかで我慢しているだけである。落ち着かねばと私は目を閉じた。そして自分は空気を吸っている。酸素は着実に肺に届いている。たとえ次の駅まで1時間かかりそうでも、実際にはもうすぐ到着するのだと、言い聞かせる。


『GBH』のなかでマイケル・ペイリンが医者から進められる対処法というのは、確か右手で左手首をつかんで‘Be calm’と呪文のように唱えることだった。とにかく平静になることが必要なのである。


しかし、ああ、甘き死よ、来たれ。パニック症候群になりかかると、どういうわけか平静にして余計なことを考えないようにするのではなく、ついついとりかえしのつかないパニックに陥る自分を想像し、そんな状態に近づきたくなってしまう。


息ができなくなって、喉をかきむしり、あえいでのた打ち回る自分を想像し、それに一歩一歩近づいてみたくなる、そんなふうにパニックになることを望んでしまうのだ。


パニックになるのは嫌だし怖い。しかしパニック症候群になると、パニックになって苦しみ取り乱す自分になりたくなってしまう。そこに拳銃があれば、それで自殺してみたくなる、そんな衝動に駆られるのだ。パニックから逃れるのではなく、パニックに近づいていく自分がいる。


いっぽうで何も考えずに、静かにこの状態が通り過ぎるのを待つか、あるいはパニックに飛び込んでみるのか、葛藤が始まったところで、新宿三丁目に着いた。ほとんどの乗客が降り、渋谷まで行く乗客は少なかった。車内に静かさと、きれいな空気がもどってきた。


なお会議にはぎりぎり間に合ったが、JR事故で遅刻する参加者が続出したので、会議は遅れて始まった。