ドクター・マンハッタン


これは4月2日に書いているのだけれども、4月に入ってからは怒りオヤジになっているので、こちらに書く。


本日、午後、ちょっと原稿で煮詰まってしまったので、近所のシネコンで夕方まで過ごすことにした。午後2時過ぎの回の映画『ウォッチメンWatchmen(2009)。まあ予告編などを含めると3時間の映画なので(最近、ラックスのコマーシャル映画(5分)が予告編の前に入るのだけれども、あれは今週2回めで、もうちょっとうんざりだし、長い映画のときはやめてほしいぞ)午後机に向かっていても意識を失って眠るだけかもしれないので、時間の有効利用だと思う。


まったく何の予備知識もなく見たものの、ふつうにエンターテイメントとして十分に楽しめたし、3時間(正確には164分)を長いとも思わなかった。ビリー・クルーダップ・ファン(クラダップじゃないよ、クルーダップ、とはいえファンがいるかどうかわからないが)には、良いニュースと悪いニュースがあります。


ちなみにネット上にはこんな感想があった。

始まってから気づいた(遅)私の苦手な映画だ!
苦手ポイント
1.映像が暗くて誰なのかよく解らない
2.誰が敵で誰が味方かもよく解らない
3.キャラの名前が多くて覚えられない
4.有名な俳優なのか知らないけど、
私の知らない俳優ばかりで誰一人印象的な俳優が見当たらない
5.意味不明なブルーマンがいきなり何者なのか気になっちゃった
6.残酷さとエロティックの混在
7.長すぎ
こんな感じ…映像はすごかったね。
「300」のザック・スナイダー監督ですからね。
ホテル?マンション?の部屋番号が「300」で
嬉しかった。そんくらいかな?
開始10分で私の思考は停止、あとはひたすらつまんなかった〜。
こんなにつまんない映画は初めてかも!
ジャンルは違えど「恋空」のがまだマシ。
アメコミ好きには面白いのかな??
謎!!!

「名物編集長」というペンネームの匿名のレヴュー。ジェンダーは不明。まあ女性かな。これだけ整理して書けるので、この人、頭いいのだけれども、しかし、好き嫌いは別にしてこの映画が理解できないのは頭悪すぎ。そもそもR15の映画だから、残酷さとエロティックの混在なんてあたりまえのことでしょう。いや最初から見に行かなければいいのだから、頭悪すぎといいたいところだけれども、まあ編集者のようだから、評判の映画を見ておかねばという義務感から行ったのかもしれず、そこをバカとは責められないが。


しかし、繰り返すと、何の予備知識もなくて見ても、面白い映画だったので、理解できない観客がいるのがおかしい。上記のレヴューはまだまともなほうで、もっとひどい、バカかと思うレヴューが多い。あの〜、難しい映画では全然ありません。もちろん説明不足のところはある。ロールシャッハの顔の模様が変化するのはどうしてか、いまもわからない。けれどもそれで物語がわからなくなるとか、ロールシャッハのかっこよさが損なわれるかということは全くない。


以下上記のコメントに対して対抗コメントを:


1.映像が暗くて誰なのかよく解らない→狭い試写室かどこかで見たのだろうか。シネコンの大画面で見ていて、映像が暗いという印象は受けない。CGが多いわけだが、『300』でみせた映像感覚は健在。


2.誰が敵で誰が味方かもよく解らない→これは頭悪すぎるわい。アメコミのヒーローは、最初はスーパーマン(宇宙人もしくは超能力者型。Xメン・タイプ)であれバットマン(頭脳、筋力、格闘力抜群だが、超能力者ではない普通人)であれ、最初は単体だが、やがて企画物ではないがグループを組んで登場するようになる。Xメン(こちらはマーヴェルコミックだが)がそうでしょう。あるいは最初は単独で活躍していても、ヒーローのグループに組み込まれたり、あるいは単体でもグループでも両方で活躍するヒーローもある。あるいは日本風にいうと時代劇の必殺仕事人のようなものといったらわかりやすいか。


ちなみに日本でも放送されている『ヒーローズ』。あれは超能力者の集まりだが、こちらは基本的にバットマン・タイプ。またヴィジュアル・ノベルを基にしている『ウォッチメン』は、テレビドラマ版の『ヒーローズ』とは趣が異なる。『ウォチメン』のほうは基本的にコミックである。


で、この映画の設定では「ウォッチメン」という「自警団グループ」が戦前から存在したということ。覆面をかぶって悪事を働く犯罪者に対抗して、彼らも覆面をかぶったり変装して身分をわからなくして、活動している。以下、オープンニングのクレジットが流れるときに紹介される前史をまとめると。


ウォッチメンというヒーロー・グループは、犯罪者を摘発し市民を悪から守る活動してきたのだが、同時に、そのコスチュームはエロティックで、たとえば女性ヒーローであるシルク・スペクターは、B29の胴体に描かれるほど、当時のセックスシンボルであったことがわかる(絵コンテでは、このB29、原爆を落としているのだけれども、映画では原爆は落としていない)。しかしヒーローたちも人間(全員、超能力者ではない。つまりXメンタイプではなく、必殺仕事人タイプ)であり、犯罪者に殺されてしまったり、薬物中毒で収監されたり、みるからにレズビアンであった女性ヒーロー(ヒロインというべきか)は、女性とのセックス中にレズビアンとして殺されたりする。こうして初代のウォチメングループがたぶん解散したあと、たぶんオジマンディアスを中心に、二代目の「ウォッチメングループ」が結成される(そのなかには超能力者が一人加わる。またシルク・スペクターは母親の後を継いで二代目のシルク・スペクターになる)。


しかし、この二代目のウォッチメンたちが活躍する頃には、アメリカン・ヒーローたちも冬の時代を迎え始める。ヒーローたちはアメリカ政府に協力させられるのだが、アメリカ政府は悪いことをいっぱいしているわけで、その共犯者になる。ブルーマンは、かつてケネディ大統領と握手しているくらいで、国のエネルギー政策に協力しているのだが、そのブルーマンベトナムに派遣され、強力な超能力でアメリカに勝利をもたらし、そのためニクソン大統領再選を引き起こすことになる。パラレルワールドの話である。「ウォッチメン」のなかにはタカ派ハト派がいて、タカ派の「コメディアン」と称されるヒーローは、ケネディを暗殺し、中南米共産主義政権を倒す活動に従事して、ハト派のオジマンディアスからはファシストと呼ばれる。


またアメリカが対外政策で勝利しても国内の腐敗は圧しとどめることができず、ヒーローたちの活動も、非合法な警察活動であるとして、ヒーロー活動を禁止する条例ができる。そのため、たとえばオジマンディアスはみずからの正体を明かして、いまでは世界的富豪として経済界に君臨するのだが、その他のヒーローたちは、引退するかヒーロー活動を停止しつつも、ほそぼそと活動している、というのが映画の物語が始まるまでの前史。このことは映画のオープニングあるいは映画のなかで説明されるので、じゅうぶんに理解できる。


またさらに付け加えると、初代「ウォッチメン」のヒーローたちも、人間的弱点をさらけ出して自滅あるいは破滅することが多かったのだが、二代目の「ウォッチメン」たちも、たんに正義感だけでヒーロー活動をしていたのではなく、ファンシーなコスチュームに身を包んで悪人を退治するとき、その暴力の快感に酔いしれているのである。相手が悪人だか、どんなに残酷な殺し方をしても平気なのである。逆に、殺すことで、性的な快感すら得るのである。


で、条例によって活動を禁止され、いまでは引退しているヒーローたちのひとり、「コメディアン」が冒頭で、何者かによって、しかもヒーローを倒せるくらいの超人的な謎の殺し屋によって殺される。どうもかつての「ウォッチメン」のメンバーたちを殺そうという「ヒーロー狩り」を行なう謎の超人あるいは謎の組織があるようだ。それは誰で、何か、なぜそういうことをするのか、この謎が後半で解き明かされてゆく。


どうですか。どこにもむつかしいことはない。編集者ならこれくらいのことはわかるはず。ありがちな設定だし。ヒーローに、良くも悪くも人間性を与えるというのはバットマンシリーズでやっていることでしょう。なにがわからないというのだろうか。「恋空」のような携帯小説の映画化ばかりみていると、ほんとうに頭悪くなる。普通人よりは頭の良い編集者が完全にバカになっているのだから。


あと付け加えると、『ウォッチメン』の敵とは、基本的にアメリカ国内の犯罪者一般である。彼らには、たとえばジョーカーとか、ペンギンとか、キャットウーマンといった個性はなくて、犯罪者一般である。コスチュームに身を包んでいるのはウォチメンだけである。ここまでは敵と味方が区別されている。


ただし、海外においてウォチメンとりわけブルーマンとコメディアンにとっては、ベトコンが敵であり、さらに中南米ではコメディアンにとって、共産主義政権が敵となる。こうなってくるとアメリカの国策によって敵がつくられるわけで、敵の存在が微妙になってくる。でも、それで難解とか、わからないということはないでしょう。


3.キャラの名前が多くて覚えられない→う〜ん、ほんとうですか。あなたは「必殺仕事人」の全員の名前をいえますか。仮にいえなくても、誰がメンバーであるかは見ればわかるでしょう。そして名前を覚えていなくても、十分に楽しめるでしょう。


この「ウォッチメン」のヒーローたちは、5人です。たったの5人。それも、3時間の映画ですから、ずっと見ているわけで、覚えないほうがおかしい。


「オジマンディアス」(正体を明かして、いまや大富豪)。
「ナイト・オウル二世」(銀行家の息子で父親の遺産を使って武器なり装備品を開発、「ふくろう」であり、みずからもバットマンに似たヒーローになった。現在は引退)。
ロールシャッハ」(英語では「ロールシャック」と発音する。顔がロールシャッハ・テストの模様。ナレーターでもあり、ハードボイルド探偵といった役どころ。条例違反のヒーロー・探偵活動を続けている)。
「シルク・スペクター二世」(女性。母親の後を継いで二代目。名称の意味は不明。現在は引退。ドクター・マンハッタンの恋人になっている)。
「ドクター・マンハッタン」(原子力エネルギー開発にたずさわっているからこの名前に?時空間を往復できる、神の如き超能力者)。
「コメディアン」(最初は道化の格好をしていたのでこう呼ばれたのだが、二代目グループになる頃には、マッチョな戦闘強化服に身を固めている。引退しているが、時々、活動しているらしい。タカ派ファシスト。冒頭で殺される)。


私はこれを資料を見ずに書いている。まちがっているところもあるかもしれないが、これくらいのことはわかりますよ。映画をみていれば。これすらもわからないというのなら、映画会社、映画監督、誰に向けて映画をつくったらいいのだろう。


というか、難解な映画で、私だけがわかった、あるいはわかったつもりになっているのなら、ちょっと気分がいいが、ほんとうに難解な映画じゃないので、全然、気分もよくない。わからないほうが、頭おかしい。


4.有名な俳優なのか知らないけど、私の知らない俳優ばかりで誰一人印象的な俳優が見当たらない。→これはけっこう痛いところを突いている。もちろんパトリック・ウィルソン(ナイト・オウル)、ジャッキー・アール・ヘイリーロールシャッハ)は知っていますよ。カーラ・グギーノ(初代シルク・スペクター)も知っていますよ。ただこうした人たちが、日本で、トム・クルーズ並みの知名度があるかどうかはわからない。しかし有名俳優が出ていなからといって、それが面白くないというのはおかしい。


しかし一理あるといえるのは冒頭。「コメディアン」と称するヒーローが殺されるわけだけれども、演じているのはジェフリー・ディーン・モーガン(実年齢は43歳くらいなのだが映画のなかでは60歳代)。いかにもベテラン俳優らしい、恰幅のよさと威厳を備えた顔つきをしていて、さぞや有名な俳優なのだろうという印象を与える。でも、誰だかわからない。これはつらい。みんな知っていて当たり前の俳優なのに、自分だけ知らないのは、なんだか排除されたような気がする。実は私もわからなかったので、そうした思いを味わった。


『グレイズ・アナトミー』(2006-2009)で有名になった俳優らしい。でも私はアメリカのテレビドラマは基本的に見ないので、わからない。まあこんどアン・リー監督の映画Taking Woodstock(2009)でゲイの役をやるようだから、覚えておこう。


あと知っていてわからなかったのは、マリン・アッカーマン(シルク・スペクター二代目)。『ライラにお手あげ』The Heartbreak Kid(2008)とか『幸せになるための27のドレス27 Dresses(2008)といったラブコメに出ているのだが、もともと金髪の彼女が、この映画では黒い髪になっていて、そこで印象ががらりと変わった。既視感はあっても思い出せなかった。


同じく知っていたのに既視感すらなかったのはオジマンディアス/エイドリアン訳のマシュー・グード。これは資料を調べて、え、と驚いた。たとえばウッディ・アレン監督ジェフリー・マイヤーズ主演の『マッチポイント』という映画、あのなかで貴族だか富豪の、ちょっと高慢な息子を演じていたのが彼で、スーパーヒーローにはまったくみえない。あるいはハイパー・ペラーヴォとリーナ・ヘディ(『300』に出ていた)のレズビアン映画『四角い恋愛関係』Imagine Me & Youのなかで、ふられる男性役だった彼は、典型的な善人面で、影のあるヒーローにはまったくみえない――イメージからして銃弾を手づかみできる運動神経がありそうにも思えないのだ。そういう意味で、オジマンディアスはカッコよかったけれども、マシュー・グードだったとはまったく気づかなかった(映画では金髪に変えているとうことも、わからなくなった要因だが。ただそれにしてもImagine Me & YouのDVDのジャケットの写真を、いま引っ張り出して、みているのだけれども、いまでも信じられない。なお彼は『情熱と友情』という映画にも出ているのだが未見。Brideshead Revisitedの映画版。ジェレミー・アイアンズ主演のテレビ版を抜けるかどうか?)。


初代シルク・スペクターのカーラ・グギーノは、私よりも年が下なのに、62歳というは驚愕の設定である。娘役のマリン・アッカーマンとは7歳くらいしか違わないのだ。まあメーキャップでは、若く見せるよりも年寄りに見せるほうが簡単のようだが、それにしても、そんな老け役をしなくてもいいかと思うだが。彼女は、私の姪が大好きな『スパイキッズ』シリーズでは、バンデラスと組んでかっこいいお母さん役をしている。


で、やはりパトリック・ウィルソン(ナイト・オウル二世)とジャーキー・アール・ヘイリー(ロールシャッハ)。最後はこの二人が組んで活動するのだけれど、この二人をみていると、どうしても映画『リトル・チルドレンLittle Children(2006)]を思い出さずにはいられない。


あのジェニファー・コノリー扮するやり手の奥さんのもとで尻に敷かれ、司法試験だかなんだかに行っても不合格で、研修などをサボり、近所の奥さん(ケイト・ウィンスレット)と浮気をし、アメリカン・フットボールとかで男どうし汗を流すのが大好きで、しかもスケボーで遊んでいる街の若者たちを見ているのが好きという、愛すべき隠れゲイのだめ男を演じていたパトリック・ウィルソン。そしてジャッキー・アール・ヘイリー――幼児を対象とした性犯罪の前歴があって、コミュニティのなかで毛嫌いされ、彼が公営のプールで、水中にもぐると、恐れおののいた親たちが子供たちをつぎからつぎへとプールから引き上げさせ、ひとりプールで、その昆虫のような裸体をさらけだして泳ぐしかないというのが、なんとも印象的だった、映画『リトル・チルドレン』。この映画が頭に浮かんできて困った。とにかく『リトル・チルドレン』では、ジャッキー・アール・ヘイリーは、不気味さと恐怖と危険とを混在させて驚愕の存在として、観客の心に刻まれたのだが、その彼が、今回はロールシャッハという実にかっこいい役で登場する。素顔をあばかれてもなお、かっこいいのだ。


そしてブルーマン、いやドクター・マンハッタン。これは最後にまわそう。


5.意味不明なブルーマンがいきなり何者なのか気になっちゃった→これもあとまわし。


6.残酷さとエロティックの混在と、7.長すぎ→しかし、まあ、こういう映画が嫌いなのだろう。それにしても、最初、これを見たときは、この人は、自分の嫌いなジャンルの映画を3時間見なければいけなくなって、まあどういう悲惨な巡り会わせだろと思い、私がもしこの人の立場だったら、嫌いなジャンルの映画(たとえば携帯小説を原作にした若者向けexploitation映画)などを3時間見せられたら発狂するぞ、ほんとうにかわいそうだと同情を禁じえなかったが、よく考えたら、というかよく考えなくても、最初から見に来なければいい。R15の映画だから、残酷さとエロチックの混在(「混在」という表現に、なんとの差別的な意味合いをこめている)というのは、当然じゃないか。残酷でエロチックだからR15になるのでしょう。


最初からR15にしたのだから、残酷でエロイ映画は嫌いなら来なくていいのだ。わざわざR15指定にした意味がない。残酷でエロイ映画は嫌いだという人は多いだろう。そういう人のために警告を出した。警告を出したのは、こういう映画は嫌いだと言われないためである。嫌いな人に来てもらいたくないために警告を出したのに、警告を無視して、あるいは商売だからと無理やりやってきて、よくわからない、嫌いだと、まるで自分が被害者のように語り、映画を悪く言う。こういうバカが、映画文化をだめにするのだ。最近、4月1日から怒りオヤジになっているのだけれども、映画の話では怒らないつもりが、だんだん怒りが沸いてきた。


まあ、バカは無視しましょう。警告。少しでも残酷な映画、少しでもエロイ映画が嫌いな人は見に行ってはいけません。とはいえ残酷さや暴力とエロさは映画につき物だから、そうした映画が嫌いな人は、そもそも映画を見てはいけません。あるいは15歳以下の人がみるような映画でもみなさい。


さらにいうと、この人、編集者らしいのだが、私の知っている編集者はこの人よりは、数倍頭がいい。いや、比べる相手がバカすぎるか。意味不明なブルーマンとか言っているが、これは「ドクター・マンハッタン」と呼ばれ、もと科学者なのだが、原子力エネルギー開発中に事故で分解されてしまうのだが、数日後、時空を移動できるような超能力を身につけて蘇えり、神にも似た存在になった超人である。姿を大きくしたり小さくできるし、分身もつくりだせる。そして過去と未来を見渡せる。人の心も読める。そうした存在で、事故によって超能力が身につくといいうのは、たしかファンタスティック・フォーなんかの設定と同じ。で、それがなにかとしかいいようがない。


このドクター・マンハッタン(ブルーマンなんて言うな)を演じているのがビリー・クルーダップ(映画会社はまだ「クルダップ」という間違った表記をしている)。私の唯一の予備知識はクルーダップが出ているということ、そしてどんな役だか全然知らずに映画をみた。


今月の初め柴田元幸氏による翻訳『ジーザス・サン』が出版されたが、あの『ジーザス・サン』は20世紀の終わりに映画化されていて、その主役がビリー・クルーダップだったのですよ(この記事は、3月はじめにアップ予定がまだはたせていない)。あの頃『あの頃ペニー・レインとAlmost Famous(2000)といった映画に出ていたクルーダップはとってもかっこよかったのだが、最近は、オーラのない役が多くて、そのきわめつけが、『M:i:3』(2006)−−私はこの映画を始めて映画館で見たとき、このオヤジ誰としか思えなかったが、それほどオーラがなかった。


そこでクルーダップがどんな役で出ているかと期待していたのだが、オーラ? う〜ん。オーラありました。ただありすぎ。てゆーか、もうエネルギー体みたいで、全体がCGになちゃって、人間としての面影ありません。オーラのかたまり。これはあきまへんわい。


ビリー・クルーダップ・ファンにとってよいニュースは、もちろん、この映画のなかで重要な役割をはたしている。ジーザス・サンどころか、ジーザスそのものともいえる存在で、大きい役割(物理的にも知的にも精神的にも)である。彼ならではの重要な役割であるのはいいのだが、悪いニュースとしては、ほんどCGで体毛をなくしてずるっぱげで、チンポコ丸出しの、エネルギー体というか、CGであり、超人になる前の科学者時代の回想場面で、少しだけ人間としての姿が垣間見えるのだが、それ以外は、ただのオーラの塊である。もうほんと、仕事選んだほうがいいぞい。ビリー・クルーダップのドクター・マンハッタンが私には一番衝撃的だったというか、痛かった。


簡単に感想を。スーパーヒーローの存在と、アメリカの裏面史、アメリカ社会の崩壊などとのからまりから、冷戦時代の1985年というパラレルワールドの暗黒をみせてくれる前半のほうが、謎が解かれてゆく後半よりも面白かった。


アクション・シーンというかバトル・シーンは、香港映画の『かちこみ』(2007)みたいなところがあるのだが、あれはどちらかが影響を受けている。あるいはどちらもが影響を受けている淵源的存在があるのだろうか。


前に紹介した映画『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(1月の書き込み参照)の結末では、原理原則を守るカント的な倫理か、幸福を追求するアリストテレス的倫理か、その対立が生じて、主人公はカント的な倫理を選ぶものの、しかし、それでよかったのか疑念が生ずるかたちになっていたが、今回の映画ではその逆で、原理原則や真実をねじまげても、幸福であることを至上とすることで、世界の平和が達成されるのだが、最後に、この疑わしい、納得しがたい幸福が、もう一度、くつがえることが明確に暗示されて終わるのである。このもう一度くつがえるという紛れもない暗示を、映画のネット上のレヴューアーの多くが見落としているのは、驚きである。この映画は、やはりDCコミックの世界であって、コミックとしての節度があって、映画の偏差値は高くない。となるとこの映画を見る人間の頭が悪すぎるとしかいいようがない。


なおアリストテレスは否定されているわけではない。誰がウォッチメンをウォッチするのかという、この映画の中で使われるスローガンはアリストテレスのもじりである。


付記 映画のなかでナイトオウル/パトリック・ウイルソンとシルク・スペクターII/マリン・アッカーマンが、路地裏でギャングに襲われるシーンがある。ギャングは、なんとちょんまげをしていて、革ジャンパーの背中はには大きく漢字で「侍」と書かれている。お、侍ギャング。ちょんまげかっこ悪る〜(戦国武将とか浪人のちょんまげではなく、きちんとした同心とか老中のような正式のちょんまげだから、なおへん)それに不気味。でもこの侍ギャングたち、ふたりに、ぼこぼこにされて全滅。侍ジャパンは優勝したのだけれど、この侍ギャングたち、予選敗退でした。