ひとりごと1

エイプリル・フールではない。

まあ3月28日の会議のTの強弁には、ほとほとあきれはてた。どういうことかといえば、1日では語りつくせないので、連続で語るしかないが、たとえば、親が子供を叱ったり、まあ子供に注意したとする。そうすると子供が切れて、「いま親がわたしを叱ったことに対して抗議する、ここで抗議しておかないと、自分の弟や妹たちが迷惑する」と語ったら、もしあなたが親だったら、こんバカ・ガキについて、どう思だろうか。最近は、そういう子供が多いようななのであきらめるか。


もし本当の親だったら、そういうバカな子供に育てた自分にも責任があるので、ちょっと暗い気持ちになるかもしれないが、まあ実際には親でもなんでもなく、たまたま親の役割をしなければいけないとしたら、そういうバカなガキを前にしてどう思うか。


とはいえ、順を追って話をしたい。


会議の席上、Tは、大学代表会議を話題にして、大学代表会議が、代表会議への出席資格さえわかっていないかもしれない代表、それも学会員の一部しか代表しない者が集まって50年間にわたって学会を支配してきたことを、どう説明するのかと、噛み付き始めた。


はあ、なにをぼけたことを言っているのか、なにか別にいいたいことでもあるのかと、発言の真意をつかみかねた。事情がわからない人に言っておくと、学会はもう大学代表制度をやめて支部体制にかわることを決めていて、その準備をすすめている。一部はもう前倒しのかたちで組織を変えているので、いまさら、消滅することになっている大学代表制度が間違っていると言われても、時計を巻き戻すようなもので困る。


つまり、たとえば支部体制はまちがっているから、辞めろとか元に戻せという発言なら、それは適正な判断なり意見かどうは別にして、抗議としての意味はある。しかし廃止することになっている大学代表会議について、大学代表会議はまちがっているという意見は、だから廃止するのだけれど、それが何か?としか言いようがない。


これも事情を話しておくと、大学代表会議というのは、博士課程をもっている大学の英文科から代表を出して学会の執行部を決めているのだが、問題点は、英文科に所属していない会員もいて、そうした会員は、形式的にも代表を出すことができない。したがって大学代表会議は寡頭体制というか少数エリート体制であって、民主的ではないのである。そのため文科省からも当然求められている民主的な学会運営のために、支部体制方式をとり、日本を7つの支部に分けて、その支部で民主的に選出された代表が、学会を運営することになった。こうすると会員全員に投票権が生ずるので、民主的なのである。


しかしこれは学会の特殊事情なのだけれども、現在、会員の全員が支部に入っていない。どれくらいの学会会員が支部に入っていないか、算定できないのだけれども、また地区によってもばらつきがあるが、だいたい全体の50パーセントから30パーセントのくらいの会員が、支部に入っていない。そうした会員は支部代表を選ぶことができず、学会全体の運営にも参加できない。


私は冗談で、割れ鍋に割れ蓋といっている。大学代表会議システムは全員に執行部を選ぶ投票権がないので問題のある制度(割れ鍋)なので、辞めることになったのだけれども、では、そうした問題を是正して民主的になるはずの支部体制もまた、支部に入っていない会員が多いので、問題のある制度(割れ蓋)なのである。


いやそれは5年の移行期間を過ぎれば解消すると思うかもしれないが、現在の制度を大きくかえるようなアクションを起こさないと解消する可能性はゼロである。大学代表会議を問題のある制度だと非難するTよ、関東支部だって、関東に在住か、関東に職場のある会員全員を支部会員として組織していないのである。関東支部だって、関東地区の全員を代表してない問題のある組織でしょう。大きな顔をするな、このバカタレが言っておきたい。


関東支部はやましい組織であると語っても、関東支部が行なっている学術活動にやましいところはない。ただ、関東地区に、関東支部に入っていない会員がいて、にもかかわらず本部から、たとえ微々たるものでも援助金をもらっていることである。つまり支部に入っていない会員の学会費を使っているのだ。これがもし全員が関東支部に入っていたら、本部から援助金を出してもらっても、かまわない。しかし現在、微々たるものでも、本部にしか属していない会員の会費が支部に支援金としてまわっている。しかも、そうした本部にしか属してない会員には、投票権がないのである。


大学代表会議が非民主的であることはまちがない。と同時に、関東支部も、他の支部も、支部に入っていない会員がいるかぎり、現時点での支部体制は、非民主的なのであり、やましいのである。投票権をもたない学会会員が多い中で、投票で選ばれた代表といっても、あんまり威張れないのである。


Tのような頭のいい人が、なぜそのことがわからないのか不思議である。というか、わかっているから、強弁にでるのである。そしてそのレトリックはいつもきまっている。つまり1)大学代表会議が非民主的であること、2)支部立ち上げ時の事情と支部の意義の説明、これらを述べるだけで、3)現在の支部体制が、結局、非民主的なままで推移しているとう問題については、まったく口をぬぐっているのである。


大学代表会議がTの言うように、非民主的なエリート組織とは限らないので、そのことは明日述べるが、ただ、この大学代表体制は、文科省や一般会員を納得させることはできないので、たとえ支部体制をやめることになっても、支部体制に対する別の選択肢が、大学代表会議制度への逆戻りである可能性はない。


支部体制を正当化するプロセスで、大学代表会議批判とセットになっているのが支部体制立ち上げの経緯説明である。ほんとうにうんざりする。本部のみの会員が数多くいて、支部に入らない会員が多くて、民主化などほど遠いことを危惧しているとき、そのことについて話し合い、知恵をもらいたいとき、前会長からも、また関西支部の代表からも、聞いたのは、いかにして支部が立ち上げられたのか、支部立ち上げがいかに意義があり有益かについての説明である。そんな話は、わかっている。うるさいとしかいいようがない。問題をどう解決するのか、そこで困っているのに、そんな建国神話を聞いても何の役にもたたない。だが彼らは、それで私を納得させられると思っているのだ。


典型的なのがTが学会のニューズレターに書いたコメントである。それは、関東支部に対する批判があるようだが、関東支部は正当な手続きを経て設立されたものであるという内容のコメントだった。なんの批判にも答えていないではないか。正当な設立であるなら、それですべてが許されるというわけだが、ただただあきれるほかはない。


もちろんTも、さらにコメントするスペースがあったなら、支部設立の意義(若い研究者に発表の場を与える云々)を書いていたことであろう。支部設立の意義については、誰も反対はしない。だからというわけではないだろうが、前会長も、関西支部の前代表も、あるいは関東支部に所属している理事も、その意義を私に説明した。実は、28日の会議の席上でもTは、それを説明した。わかっている。そんなことは。またそれに対しては、反論する者などいないことをいいことにして、そこを付いてくる。もうその話はいいから、次の話をしなければいけないのに、またも蒸し返される。うんざりである。


思い出すのはイスラエルの保守派シオニストがもちだすホロコーストの記憶と建国神話である。イスラエルによるパレスチナ弾圧は目にあまるものがあり、そもそもイスラエルが限りない悪を行っているのに、イスラエルは国際社会の非難に答えることなく、ホロコーストの記憶とイスラエル建国の意義を説いてまわるのだ(なお私は修正主義者ではないので、ホロコーストの存在を否定することはない)。あのイスラエルの姿勢と同じものを、支部の執行部(すべてというわけではないが)にみられる、〈支部設立〉と〈支部の意義〉のふたつの説明への固執ぶりに見出して、恐ろしい気がする。


建国の歴史と建国の意義にこだわるイスラエルの姿勢が、関東支部の代表者の一人Tに伝染したことから、関東支部イスラエル化が起こっているのか、あるいはやましい団体なり集団は、きまってに起源と意義にこだわるのであり、イスラエルもそれを反復しているにすぎないのか、どちらかは定かでないが。


私が恐れるのは、関東支部のTの言動にみられるように、非支部会員が数多くいることについては、まったく見ようとはしていないにしても、本気で危惧しないことである。まさにパレスチナ人を不可視の存在として無視する、あるいは不可視の存在にすべく絶滅せんとしているイスラエル、それと同じでようなものではないか。たとえそのことが関東支部全体についていえなくても、代表者のひとりTについてはいえるのではないか。(つづく)