弥栄

麻生首相が「弥栄」を「いやさか」ではなく「いやさかえ」と読んだことで、またも漢字の読み間違えかと報道されたが、しかし、「いやさかえ」という読み方もあるということで、新聞記事の報道は誤報だったということがネット上で取りざたされている。


私自身、「弥栄いやさか」という言葉を、人生のなかで一度も使ったことのない無教養な人間なので、この語に対して語感というものが全くないので、何も語る資格はないはずだが、二つの点で語る資格はあるようにも思っている。ひとつは、人生のなかでこの言葉を一度も発したことがないのだが、この言葉というか弥栄という漢字を、私は、人生の中で数限りなく書いてきていること、もうひとつ、私の子供の頃に、読みの間違いを指摘したら、どちらの読みでもよかったということで恥ずかしいというよりも口惜しい思いをしたことがあるから。


人生において数限りなく書いているというのは、「弥栄」というのが日本全国にある地名だからである。私の住んでいる和光市には弥栄という町名はないので、私の住所ではないのであしからず。で、私が書いている「弥栄」という地名は、「やえい」と読むようだが、これは「いやさか」と読むのですかと年寄りから聞かれたこともある。ちなみに「いやさかえ」と読む人はいなかった。私の周囲には、さすがに、これを「いやさかえ」と読むような**はいない。


私は小学生の頃、「礼拝堂」を「れいはいどう」と読んだ友人に、それは「らいはいどう」と読むのだと、偉そうに間違いを指摘したことがあるが、まあこれはどちらでもよいので、間違いではなく、間違いだと指摘した私のほうが間違いだった。ちなみに私のコンピュータは「らいはいどう」では「礼拝堂」と変換してくれない。くそ〜。


同じような例に、新学期には学生に便覧というのを配るのだが、これは「べんらん」と読んでも「びんらん」と読んでもどちらでもいい。私は大学生になった頃、教授陣がみんな「びんらん」と発音していたので、なんとなくそういう読み方に慣れてしまっているが、「べんらん」と発音したら間違いだということにはならない。ちなみに私のコンピュータは「びんらん」でも「べんらん」でもどちらでも「便覧」と変換する。


で、今回の弥栄「いやさか/いやさかえ」は、「べんらん/びんらん」と同じような交換可能な表現ではないだろう。「いやさかえ」でよいという根拠が希薄なのだ。演説用では「いやさかえ」と発音するのだという説――そういうこともあるかもしれないが、同時に、演説とか祝詞の場合だけ発音が異なるというものへんだし。たとえば歴代の首相のうち、「いやさか」と正しく発音した首相もいたと思うだが、その場合、その首相はまちがったことになる。それはおかしくはないだろうか。


あるいは神社などで、「いやさかえ」と読む神社があるということらしいが、その神社に対して、おたくは読み方を間違っていると指摘するのは間違っているし、失礼なことであろう。またその神社の関係者だったら、私のところの神社は「いやさかえ」と読みますと堂々と主張していいのだが、たとえ、そういう読み方の神社とかあるいは地名とかあるいは方言とかあるいは歴史的な表現があったにしても、現代日本語において、このいまや消えかかっている古語に属する「弥栄」は、「いやさか」と読むのが正解であり、どちらでもいいということはないだろう。


だから新聞社としても、「いやさかえ」と読む神社があるとか、あるいは過去の実例があると指摘されても、So what?と答えておけばそれでよかったのである。


産経新聞は記事を削除したらしいが、しかし、削除することはない。漢字が読めなかったり、漢字を読み間違う首相に対して憂慮するのは保守派・右翼としては、正しいことだと思うからだ。しかし、実際に存在しているのは、そうした正しい憂慮ではなく、首相の間違いをとりあげ、揚げ足取りに走るメディアがおかしいという、保守派・右翼の、まあすべてではないにせよ、その一部に蔓延している嘆かわしい主張である。あるいは総選挙が近づいているから、首相のイメージダウンにつながりかねないことは、極力排除しようとする、小沢代表秘書逮捕の検察ファッショ(なつかしい言葉だが、これはいまでも通用するのが嘆かわしい)を促したのと同じ勢力が動いているのだろうか。産経新聞はそのあたりに敏感だったのかもしれない。


しかし漢字が読めない、あるいは読み間違う首相に対しては、右であれ左であり憂慮して当然なのである。誰でも漢字を読むのは苦手だが、その場合、間違えないように自分で調べたり他人に聞いたりする。しかしこの首相は、自分の弱点を全く意識していないか、もしくは自分で調べる労はとらないようだし、周囲に確認したり聞いたりするのは自虐的だと思っているのかもしれない。まさにそうした傲慢極まりない姿勢をつらぬいているのかもしれない。


だが首相という公人の発言は、たとえ自分で原稿をつくっていても、チェックが入るはずだし、他人が原稿をつくっていれば、読みの間違いがないように念には念をいれるはずだが、側近も官僚もなにも注意しない。たとえ「俺は漢字は読める、馬鹿にするな」といわれても、お馬鹿タレント用の台本みたいに、漢字にすべて読み仮名をつけておく官僚がいてもいいではないか。それを許さない風潮が首相の周囲にあるとすれば、結局、不利益を蒙るのは、私たち日本国民なのである。首相の漢字読み取りミスとは、たんなる個人攻撃ではなく、首相の機能不全への憂慮なのであるーー多くの国民が自覚しているように。