State of Play(映画編2)

5月29日のつづき


映画について話を戻すと、意外性を求めるため、結局のところ、ありがちなる結末で終わってしまったシナリオとは別に、俳優の演技をみるには、たぶん、現在、上映中のハリウッド映画のなかでは随一のものだろう。


ラッセル・クロウは、まありドリー・スコット監督の『アメリカン・ギャングスター』(07)と『ワールド・オブ・ライズ』(08)の二つの役を足して割ったような役どころで、はまっているのではないか。ラッセル・クロウの『ワールド・オブ・ライズ』のぶよぶよの体も、食事が不規則で運動不足の記者にもそのまま流用されている。


ベン・アフリックの上院議員もまあ、決まっていた。なにしろベン・アフリックの前作は『ハリウッドランド』(06)と『スモーキン・エース』(06)。『ハリウッド・ランド』は興味深い映画だが、「おれのチンポコの形、パンツの外から見えないだろうな」という内容のセリフが印象的だった(なんちゅう映画かと思うかもしれない人は、映画を見てほしい)。『スモーキン・エース』のほうでは早々と殺されてしまうのだが、同じく途中あっけなく殺されてしまう『バーン・アフター・リーディング』のブラッド・ピットのほうがまだましな扱いをされていて、『スモーキン…』の扱いは、あれはひどい。というか、あそこまでされるのをベン・アフレックはけっこう喜んでいるのかもしれず、相当なマゾじゃ。まあベン・アフレックが監督した映画『ゴーン・ベイビー・ゴーン』がよかったので、映画出演のほうがぱっとしなくても気にしなかったのだが、今回は、よかったのでは。


実際、この映画は最初はブラッド・ピットエドワード・ノートンの『ファイト・クラブ』コンビで撮ろうとしたらしいが、ブラッド・ピットの新聞記者は、あまりぱっとしないし、エドワード・ノートンは『25時』で骨太の役が可能なことも証明したのだが、上院議員の役となるとベン・アフリックのほうがはまっているのでは?


レイチェル・マクアダムズ『ミーン・ガールズ』(04)の頃から見ていて、え、あんな映画までみているのかとあきれられそうだが、当時のアイドルのリンゼー・ローハンが主演で、マクアダムズのほうは敵役だったと記憶する。敵役で、バスかなにかにはねられて大けがをする役で、かなりみっともない役だったような。彼女がライアン・ゴズリングと共演した『君に読む物語』(04)は、『ミーン・ガール』からかなり後の作品かと思っていたら、同年に公開されていて驚くのだが、悪役のイメージを引きずっている。ウェズ・グレイヴン監督『レッド・アイ』(05)で彼女は主演だったけれど、早すぎる主演に思えたが、今回の映画では、かなり好ましい女性を演じていた。というか、これまでの印象がかなり異なるのは、彼女が歳をとったせいかと思ったが、最初気付かなかったものの、実は彼女は、もともとブロンド。それが今回は髪を黒く染めているので、かなり印象が変わった。実は、こちらのほうが、よいと思う観客は多いのでは。


プライヴェトでは、彼女は、共演したライアン・ゴズリングと婚約していたのだが、その後別れたり、またくっついたりしているようだ。まあ、彼女もゴズリングもふたりとも蠍座なので、気が合うのかもしれない。あるいは逆に反発しあうのか。ちなみに私もライアン・ゴズリングと誕生日が同じ。どうでもいい無駄情報であるが。


この映画では女優が魅力的に撮られていて、ヘレン・ミレンはいいとしても、ロビン・ライト・ペン――何と言っても前作がゼメキス監督の『ベオウルフ』だったから、この作品で救われたところがある。


『ベオウルフ』は全編CGの映画で、登場人物は、実在の俳優をCG化したもの(俳優は声だけの出演ではない)。ただし人間、CG化されると、全体的な魅力がワンランク下がるというか、映像的にリダクションが起こる。そのため実際に『ベオウルフ』に出ているCG化されたロビン・ライト・ペンは、ほんとうに貧相で、もっとヴィジュアル系の女優を選んでCG化すべきではと思っていた。ロビン・ライト・ペンであるとは知らずに。


『ベオウルフ』では、もうひとり出てくる若い女性、まったく誰だかわからなかったが、アリソン・ローマンだとわかり驚いた。『マッチスティック・メン』とか『ビッグフィッシュ』それにアトム・エゴヤン監督のWhere Truth Lies(日本公開時タイトルは忘れた)などでみているのだが、『ベオウルフ』ではまったくわからなかった。CG化されるとまったく貧相な人形のようになる。


いっぽう、もともと顔が濃い俳優は、CG化されると人間味が増す。ジョン・マルコヴィッチがそれでCG化されると、えぐみがとれて口当たりがよくなるが、道化的にもなって凄味が消える。そしてもうひとり誰もが驚くのはCG化されても、インパクトが少しも減らない女性がいた。そう、アンジェリーナ・ジョリー。CG化されても彼女は、まったく違和感もリダクション感もなく、妖艶な魅力が漂っている。つまりそれほどまでに現実の彼女は顔が濃すぎるということだ。このCGを見たあと、現実の彼女をみると、なにか現実の姿のほうがCGでグロテスクに変形したモンスターにみえるから不思議だ。


なお『ベオウルフ』では見る影もなかったロビン・ライト・ペンは、この映画では美しく復活している。それは『シーズ・ソー・ラヴリー』の頃の彼女でも、『メッセージ・イン・ア・ボトル』の頃の彼女ではなく、いやそもそも彼女自身ではなく『ライラにお手上げ』のマリン・アッカーマンに似ているのだけれど。