State of Play 番外編:翻訳権


陰謀か、誤解か、犯罪か、狂気か、はっきりしないのだが、へたをするとこちらが被害者になる可能性があるので、ここに報告する。ただし事実関係がはっきりしない部分があり、推測で語っている部分があるので、関係者にこちらが迷惑をかけないためにも、すべての固有名詞(人名、会社名、作品名)をべつのものに置き換える。そのため関係者以外には、何のことか絶対にわからない。


この件が、私の杞憂に終わったり、あるいは自然消滅することを願っているが、もしこの件で、こちらに害が及ぶようなことになれば、自己防衛のために、仮名の部分をすべて実名にもどし、さらに追加の事実を報告する。ただしこちらに害が及ばなければ、なにもしない。この件は、忘れ去られることを願うのみである。


1
数年前、日本の出版社、彼岸社からカズコ・イシモリの小説『わたしが臓器だったころ』を翻訳しないかという依頼を受けた*1。カズコ・イシモリは現在のイギリスの著作者で、作品は難解だが人気は高い。『わたしが臓器だったころ』は難物だが、これを翻訳できればすばらしいので、共訳ならなんとかできると翻訳を引き受けた。


2
彼岸社は、イギリスのストラットフォード社と交渉し、カズコ・イシモリの『わたしが臓器だったころ』の翻訳権を獲得した。


3
ところが最近、このカズコ・イシモリの『わたしが臓器だったころ』を翻訳したという人物Xが現れた。実際には、もっと前に、『わたしが臓器だったころ』の翻訳は完成していたらしいのだが、XはYという人物に騙されたのか、そのYの口車に乗ったのか、翻訳原稿を完成したらしい。背後にYがいる。だがこのYはXの原稿を保留しているだけで印刷にまわしていない。Xはせっかっく翻訳を完成したのに、印刷してもらえないと周囲に愚痴をこぼしていたようだ。


4
驚いたのは、私である。『わたしが臓器だったころ』は、私たちが翻訳している作品である。どうして私たちと無関係の者が翻訳しているのか。これだったら、私たちがせっかく翻訳を完成しても、無関係の誰かの翻訳原稿が使われてしまうのか。


とにかく驚いた私は、彼岸社の編集者に連絡をとり、事情を説明し、翻訳権の確認をしてもらった。これによって、私たちが翻訳を任せられていることをあらためて確認した。翻訳権については、きちんと契約をしている。私たちが翻訳することに間違いないという返事をもらった。


もちろん悪い可能性としては、イギリスのストラットフォード社が、誤って二重契約をして、日本の他の出版社から翻訳が出るかもしれない。これは困ったことだが、しかし、Xが他の出版社から翻訳を出版しても、私たちは、自分たちの翻訳原稿が出版されるので、問題はないし、また、私たちの翻訳グループはベストメンバーなので、Xの翻訳に負ける気がしない。


ただ、負ける気はしなくても、二重契約で、先に別の出版社が翻訳を完成して出してしまうと、こちらの翻訳が出せなくなるかもしれない。しかしそれはストラットフォード社の責任であり、またその場合も、こちらの翻訳も出せる可能性は高い。


5
だが、気がかりなことがある。おそらくXはYに騙されてか、口車に乗せられてか、版権もとっておらず、出版社も決まっていない段階で、翻訳を依頼されて翻訳を完成したのである。二重契約ではない。それならどうして不安になるのか。Xに無責任なかたちで翻訳させたYは、どうやら彼岸社から、その翻訳を出版しようとしているらしいことがわかった。


実はYは彼岸社から、同じカズコ・イシモリの『充たされないわたし』を翻訳して出版する予定らしい。これはまちがいないのだが、その勢いで、翻訳権もとらないうちに、配下のXに翻訳をやらせ、そのあとで、無理やり、翻訳を出版しようとしたのかもしれない(これは全くの推測であり、事実ではないことについては自信がある)。あるいはYが、『充たされないわたし』を翻訳しているだけでなく、『わたしたちが臓器だったころ』もまた、翻訳を依頼されたのだと勘違いして、その勘違いのままXに翻訳を依頼してしまったのかもしれない――まあ、これも先ほどの推測と同じようなものだが。


いすれにせよ、Yが、自分の不手際の帳尻をあわせようと、彼岸社に圧力をかけてくる可能性はある。まあ出版社は、そんな圧力に屈することはないと思うのだが、なにがあるかわからない。もしYが不当な圧力をかけてくるような暴挙に出るようだったら、私は、ここに書いた固有名詞をすべて実名化する。実名化したら、このおちゃらけたタイトルの作品の本当の名前、彼岸社のほんとうの名前、XとYのほんとうの名前が明らかになる。そのときは、天地はひっくり返らないとは思うが、学会はひっくりかえる可能性がある。まあ、そんなことにならないことを、これは本気で祈っているのだが。

*1:ここでは関係者に迷惑をかけないために、この世に存在しない作家と作品を仮名として使っている。もちろんカズオ・イシグロを連想させるようなものになっているが、カズオ・イシグロとは全く何の関係もないので、誤解のないように。