MWWWW

本日、映画館で一瞬パニックになった。原因は私にあるのだが、それがわからないまま、どうしてこんなへまをしたのだろうか。思わず席を立とうとしたが、落ち着けと自分に言い聞かせたら、事態が、これも一瞬にしてのみこめた。この5分くらいの違和感に満ちた出来事が次々と思い出されて、それがすべてつながった……。


ことのはじまりは、本日、渋谷での用件が終わったので映画をみることにした。渋谷は映画館の町でもある。しかし携帯で調べても、観たい映画はどれも時間があわない。しかたなく、近所のシネコンに行くことにして地下鉄に乗った。


アレックス・プロヤスの『ノウイング』である。プロヤス映画は、全部観ていないが、『ダークシティ』以後は、全部見ている。まあ暗いSFというのは好きなので、とりあえずみておきたい。かなり前に映画館に到着したが、一枚チケットを買った。それから不思議なことが起こる。


『ノウイング』上映10分前になって劇場へ。電光掲示板にも開場のサインが出る。入り口でチケットを見せると、係員がお客様のスクリーンは12番ですから、あちらですと言われる。このシネコンは、スクリーンが12あるのだが、スクリーン11と12は一つ上のフロアーにある。このふたつは座席数が少なく、まあ上映期間がそろそろ終わりかかっていて、あまり客が入らない作品を上映している。『ノウイング』は昨日か、本日が初日なのに、もうスクリーン12なのかといぶかったが、まあ上映作品が多くて、こういうこともあるのだろうと思い、またどのスクリーンか確かめなかった自分のうかつさを恥じた。


さてスクリーン12の入り口に行くと、ロープが張ってあって、チケットを切ってくれる係員がいない。正確にいうと入り口はあるのだが、係員がいない。もうすぐ始まるので、とりあえず中に入ってみることにした。こちらは切符を買っているのだから、なにかいわれたらそれをみせればいいので。しかし中に入ってみると係員が掃除をしていて、まだ清掃中なので中に入らないでくれといわれる。すごすごとまた入り口にもどって、清掃が終わった係員が出てくるのを待つ。


それにしても電光掲示板には開場と出ているのに、まだ清掃中というのはおかしい。連絡不足ではないか。抗議でもしようかと思ったが、まあそんなことでと、ことを荒立ててもしかたがないと待っていると、係員が出てきてチケット切り始めた。それにしてもカップルで来ていた男女は、係員が出てくるまでおとなしく待っているのだが、私だけがせっかちに中まで入ったことになる。たんなるせっかちか。しかしもうすぐ映画が始まるのだから、あせらないほうがおかしい。指定席なので所定の位置に座り、上映前に携帯をオフにするとき、時間は上映2分くらい前だった。


すぐ後ろの列のバカ男子大学生二人が、くだらないことを大きな声でしゃべっていて、うるさいのだが、あれはなんとかしたほうがいい。予告編が始まっても、しゃべっていて、私のように同じ予告編を見飽きている観客はいいとしても、そうでない始めて予告編を見る観客には、うるさいのではないかと思う。ただし彼らは本編が始まると黙った。


いよいよ本編が始まったとき、画面に手塚治虫だったか手塚真だったのかの名前がみえる。え、手塚真は、『ノウイング』の制作にも携わるか、協力しているのか、すごいものだと感心していたが、どうも様子が違う。日本映画の予告編かと思ったらそうでなくて、本編がはじまっている。私は『ノウイング』を見に来たのに、いまスクリーン上ではじまろうとしてるのは、なんと、なとと『MWムウ』だったのだ。いやだい。見たくない。


私はスクリーンをまちがえたのかと思った。いままでそんなことはないのだが、ちがった上映スクリーンの部屋に入ってしまうというのは、そんなことがなければいいのにと常々思っている悪夢である。とうとうとうその悪夢が現実化した。そうだ、ここは全席指定だ。ということは、私の指定席は、別のスクリーンでの指定席で、こことはちがう。となると正規のチケットをもっている人には迷惑をかけているかもしれない。だったら一刻も早くこの部屋を出たほうがいい。だが、席は全部埋まっているわけではないというか、空いている席も多いのだから、私の席のチケットをもっている人は、あきらめるか、憮然として、空いている席に座ったのか……、と、私は、ふと思った。この違和感の連続はなんだ。そしてすぐに理由がわかった。ここまでの出来事を振り返る。


私はチケット売り場で「ノウイング、一般1枚」と言ったはずだ。残念ながら私のアーティキュレーションは、まったくなっていなくて、自分でも日本語が通じないことがよくある。係員はそれを「ムウ」一般1枚と聞き間違えたのだ。責任はもちろん私にある。


つぎに係員は、スクリーン12の座席表を見せて空いている席について情報をくれた。私は『ノウイング』が何番スクリーンだったか確認していない。そのためいわれるままにスクリーン12のチケットを購入。


以後、私は二重人格者の行動を取る。私は、『ノウイング』をみるつもりでいる。だから電光掲示板で『ノウイング』のスクリーンが開場になっていることを確かめて、ゲートを通ったら、係員から、スクリーン12だと言われた。しかし私は自分で気づいていないのだが、持っているチケットは『ムウ』のものである。だから『ムウ』だったら、スクリーン12へ行くのは当然である。


私は『ノウイング』をみるつもりでる。だから上映間近だから、とにかくスクリーン12のなかに入りたくてあせっている。そのため清掃中の部屋に入ってしまい、追い出される。私は『ノウイング』は開場という電光掲示板をみているから、その齟齬に若干腹を立てる。しかし『ムウ』の上演は『ノウイング』よりも5分遅い。そのため実際には『ムウ』はまだ開場の掲示が出ていない。開場の表示が出ていないところに、私はのこのこ入っていったことになる――どれだけせっかち?ということになる。


こう考えると、すべてわかった。私は『ノウイング』を観るための行動をしていて、その行動は正しい。しかし持っているチケットは『ムウ』のもので、『ムウ』しか観ることができないため、私の行動は、ちぐはぐになり、自分でもわからないまま、へまを繰り返した。


ただ、それにしてもと、大きなスクリーンに展開する『ムウ』の映画をみながら、モーティベーションがない映画をみるのは、こんなにもつらいものなのかと、かなりめげた。とはいえ、映画は、べつに箸にも棒にもかからない、どうしようもない映画ということではないので、苦行あるいは拷問ということではなかったが。


そもそも手塚治虫の『MW』は、残酷な描写だの猟奇的な描写だのといわれているが、要はクィアな内容ということなのだ。そのクィア性は映画からまったく消えていた。そんな映画、誰がみたいものか。しかも2時間を少し越える映画で長い。自業自得とはいえ、金返せといいたくなった。そして観終わった後、エンド・ロールが英語というかローマ字。これってなにか意味があるのか。洋画を見ようとしてまちがえた私への嫌がらせか。洋画じゃないのだから、ローマ字のエンドロールはないだろう。見逃した『ノウイング』、ものすごく観たい映画ではなかったが、ものすごく観たくなった。時間を返せといいたくなった――自業自得ではあるが。(つづく)