Run, Noriko, Run


酒井法子に逮捕状が出た。そういうことだったのかと、ようやく納得できた部分がある。プロサーファーの夫(とはいえプロサーファーでなかったことが判明したので、この言い方は8月7日の時点ではメディアから消えていたが)が覚せい剤所持で捕まったことを受けて失踪、捜索願が出たことが今週火曜日のワイドショーをにぎわせた。


しかし、覚醒剤所持を許すつもりなどないが、犯罪には重い軽いことがあるのも事実で、大麻を所持していただけで、それで何か人に怪我を負わせたり、殺人を犯したりしたわけではない以上、刑は軽い。事件でメディアに登場させられるのを嫌って逃げるにしても、関係者には居所を通知して雲隠れすればいい。とにかく、本人ではなく夫が所持していたからといって、なにも失踪することはないと思っていたし、捜索願が出るタイミングも早かった。悲劇の妻としての酒井法子の扱いに、なにか違和感を持っていた私は、本人にも覚醒剤所持の疑いがあり、逮捕状が出たというので納得した。テレビでの夫の逮捕時の目撃者証言にしても、酒井本人を被害者なり犠牲者的に扱う目撃証言は消えた。メディアの事件の方向付けも狂ったことになる。


もちろん現時点で酒井法子は逃亡中*1で、なにか事件に巻き込まれて本人が加害者あるいは被害者になる可能性も大きいので、なんともいえないのことも多いのだが、今回の事件には何か裏が、あるいは闇がありそうだ。


実際、酒井法子は、当初、10歳の息子と失踪中と伝えられた。テレビで紹介されていた捜索関係の書類にも10歳の子供を連れていると明記されていた。しかし酒井法子は子供を知人に預けていたため、一人で行動している。この知人も曲者で、世間で騒がれているにもかかわらず警察に息子のことを通報していない(新聞報道によれば、この知人は、酒井の友人であるとともに酒井の夫の愛人とのこと)。そのため完全に捜索は攪乱されていて、子供づれの女を探しても、当然のことながら、目撃情報がない。この知人も酒井法子の逃亡を手助けをしている。闇がある。


サンミュージックの社長だってあやしい。記者会見では、最初、酒井の10歳の息子が都内で確保されたと話していた。誘拐されたり、行方不明になった子供がみつかって警察に確保されたというような口調だったが、たんに酒井の知人で酒井の夫の愛人のところに、あずけられていた、かくまわれていただけである。確保というのはおかしいだろう。


最初、所属タレントの身を案ずる善意の社長というイメージから、覚せい剤関係者ではないとしても、情報やイメージ操作をする悪辣な策士の面が顔を出した。まあ、化けの皮が剥がれてよかった。


また誤情報によって、本人の逃亡が容易になっているあいだ、たとえば悲劇の妻という、違和感のある解釈が支配的だったため、たとえば事務所の先輩の森田千葉県知事が、母親としての自覚をもってしっかり生きていほしいというメッセージを出したのも、いまとなってはばかげているし、県知事にとっても、いい迷惑としかいいようがない。


広島での集中講義中、毎朝テレビのニュースをにぎわせていたのは、押尾学容疑者のニュース(それにしても、押尾は人を殺した凶悪犯だったかもしれないがのだが、酒井事件(覚せい剤所持という、殺人に比べれば軽い犯罪)によって、影が薄くなって、うまいことをしている)、酒井法子のニュース(夫逮捕と失踪)と、そして裁判員裁判のニュースであって、これららは、先週から今週前半までの私の集中講義期間中の通奏低音になっているのだが、もちろん世間的にいえば、私の集中講義のほうが、ほとんどききとれない通奏低音なのだが。


しかし言わせてもらえば酒井法子、やったね。裁判員裁判制度と、酒井法子は、裁判員裁判を宣伝するヴィデオ映像『審理』に主役として登場していたことによってつながった。これで裁判員制度は顔に泥を塗られたのだ。ざまみろ。あんな裁判員裁判という茶番に天罰が下ったとして思えない。草なぎ剛事件の時は、泥酔したうえでの本人の奇行は、ほめられたものではなく、イメージ低下にはなったかもしれないが、地デジ制度の根幹にかかわる問題ではなかった。ところが今回の場合は、犯罪者が裁判員制度の宣伝をしていることで、本質が見えてきた。裁判員制度を宣伝しているのは犯罪者だと。


裁判員制度については、たんに市民感覚で事件を裁くというの、まったくのナンセンスにまどわされなければ、いろいろなことがみえてくる(裁判員制度で裁かれるのは、殺人事件など重犯罪であるが、万引きとか空き巣狙いとか喧嘩などは、市民が日常的に接している犯罪だが、日本の社会は暗黒社会ではないし、テロや殺人が日常茶飯事化しているイラクではないので、殺人事件に市民が日常的に接しているわけではない。裁判員は、日常の市民感覚どころか、非日常的な抽象的理念によって、判断を下すように求められるのだ)。たとえば元検察官で公安部長という弁護士が裁判員制度の宣伝のためにテレビに出ているのだが、こいつはいったい何なんだ。結局、裁判員制度というのは検察とか公安にとって都合のいい制度なのだろう。裁判員制度が、平成の徴兵制だといわれていることをじっくり考えたほうがい。


とはいえ今回の裁判員祭裁判については、検察側が真実を捜査したおそれがある。犯人は、犯行を認めているが、被害者によって挑発されたと語っている(殺せるなら、殺してみろと)。また被害者の息子も事件直後の警察の調書のなかで、母は性格がきついと述べている。ところが法廷での証言では、そのことについて触れていない。裁判員が質問した唯一の有意義な質問は、調書と法廷証言での食い違いの理由を質問したものだったが、被害者の息子の男性は、事件当初、何を言ったのか記憶がないと述べている。私が裁判員だったら、ふざけるのもいい加減にせよ、警察や検察になんかいわれたのかバカ野郎と暴言を吐いて、私は退廷させられるかもしれないのだが、裁判長と裁判員が何度も休憩して打ち合わせしたりして、いい加減な裁判である。これも酒井事件で、検証がふっとんだ。最高裁酒井法子に感謝すべきだ。


ともかく、なにがあったかのかわからないものの、酒井法子が本人のイメージ低下の道連れに裁判員制度を選んだのは、やはり拍手するしかない。たとえ裁判員制度の茶番がみえなくなったとしても、とにかく、逃げて、逃げて、逃げまくれ、そして裁判員制度のイメージを下げまくれ。その間、裁判員制度の馬鹿さ加減と悪辣さに少しでも多くの国民が気づくかどうかわからないにしても、イメージの低下はつづくだろう。ざまあみろと言ってやりたい。酒井法子に対して? いえ、裁判員制度の推進者の馬鹿どもに対して。

*1:8月8日の夜、酒井法子は警察に出頭した。