いつまでも絶えることなく友達でいよう

同窓会


本日朝の9時に突然電話が。


以前にも、あるいは何度もこのブログに書いているように、世界には、二種類の人間しかない。高校生活が楽しく、よい思い出を持っている人間と、高校生活に嫌な思い出しかない人間と。私は後者のほうだが、だからといって前者の人を嫌っているわけではない。なんであれ、良い思い出をもっている人は、それだけでうらやましいと思う。また私にとって嫌な思い出しかなかった高校時代とはいえ、その同じ高校時代を送った人間がみな嫌な思い出をもっているわけでないだろうし、私が嫌だと思っていたからといって、その高校が、そのクラスメイトが、みんな嫌な人間であり嫌な場所であったということではない。これだけは誤解のないように。


まあメールのアドレスを教えたほうが私がバカだったのだが、同窓会の案内のメールが来ていることは知っていたが、返事も出さずにほうっておいた。そうしたら出欠の確認の電話がかかってきたのである。


しかし基本事項として、出欠の返事も出さずに放っておく人間というのは、アクシデントがあってメールが届いていない(という可能性は低いのだが)かメールを読んでいないか、さもなければ出席したくないからである。また本当なら出席したくてしかたがなかったのだが、アクシデントでメールを読むことができなかったという人がいたら、電話で出欠を確認してくれるのは嬉しいだろう。けれども、いくら出席しようとしてもアクシデントで通知がなかった場合、それはそれであきらめるのではないか。そんなに同窓生に会いたいのか。まさか全員に会いたいわけではないだろう。となればどうしても会いたい人とは個別的に会えばいい。


さらにいえば、少数の会であるとき、3人とか5人くらいの会であるとき、一人だけ、出欠通知を出していなければ、心配して、電話をかけてくるこということはあるだろう。しかしこの同窓会通知は、少なくとも二桁以上の人に出している。一人くらい音沙汰がなくても、ほうっていおけばいいではないか。


そもそも同窓生に会いたくもない人間がいることを理解していない。まあ全員が高校時代に良い思い出があると信じているのだろうか。そうでない人もいることもわかって欲しいし、だったらそっとしておいてほしいものだ。


ほんとうに嫌な思いでしかなかったので、あまりに嫌すぎて、何が嫌だったのかも忘れてしまった。喪失の喪失である。具体的になんであったかは、ほんとうに忘れてしまったが、嫌な感じは残っている。もしもう一度、あの高校時代を送らねばならなくなったら、私は躊躇なく自殺する(なお私は小学校と中学校と大学に対して、記憶がなくなるほど嫌すぎる思い出ということはない。同窓会があれば出席する。)


実際のところ、電話をかけてくれた相手は、当然、名前を名乗ったのだが、私には全く相手の記憶がない。どんなに思い出しても、高校時代のクラスメイトの顔が浮かんでこない。むこうは、こちらのことをわかっているようだが、私にとっては、見ず知らずの人間と話しているのと全く同じである。「私は、いま税金対策でマンションを購入する予定はありませんので、他のかたに話をもっていってください」とか、「いえ、NTTさんに直接お願いすることにしますから」と、本気でそう言って電話を切ろうと思った。


まあ、同窓会をしようというくらいだから、高校時代によい思い出がある人たちなのだろう。そうした人たちのなかに、私のような黒い羊が混じっているのは、なんだか、申しわけないという気もしている。せっかくの良い思い出を汚すのではないかと心配するし、ほんとうに申しわけないという気もしている。べつに彼らが悪いわけではないのだから。また彼らにとっては、私などいなくとも問題ないと思うし、同窓会で会っても話すことなどないと思うのだが、ただ、私がいないと、なにかが欠けているように思われているのかもしれない。Wikipediaにも、その高校の出身の代表的人物のひとりに私の名前が載っているくらいだから*1、高校時代は、ほんとうは黒い羊どころか、まったく目立たなかった私も、なにかシンボル的意味をもつようになったのかもしれない――ちょっと自意識過剰だが。あるいは宇宙人のような変な奴が混じっていたということで、それなりに話題になっているのかもしれない。だから、むげに断れない。私は高校の同窓会には出席するつもりはない。今後一切、案内を送ってくるなとは、ちょっと言えないのである。


結局、同窓会はいつだったのか忘れたのだが、聞いてみると、明日15日だという。え、明日? お盆休みの真っ只中で、しかも埼玉県から、突然、明日、駆けつけることなど、よほど暇人でないとできない。葬式ではないのだから。ちょっと唖然とした。


ということは、前日、それも朝の9時、自宅に、電話をかけてくるというのは、私の出席などおそらく期待などされていないのだ。私がどうしているのか探索して、そこでなにか面白いことでもあったら同窓会の席で笑いものにでもしようと思っているのかもしれない――パラノイア過剰かもしれないが。


くそ〜、いずれにせよ、ろくなものではないだろう。次回、案内がきたら、はっきりと、断ろうと思う。出席しませんという欠席の通知を出すのではなく、案内など二度と送ってくるな、バカヤロ〜と案内状を送り返すのである。

*1:ちなみに、そのリスト、私のすぐ上に掲載されているのがノーベル賞受賞者。そのすぐ下に無名の私が載っているのは、なんとかしてほしい。せめて離して掲載してくれ〜!