100年の壁


前日、100歳の壁について書いたので、100年の壁について書いてみたい。


私の母方の祖父は、19世紀生まれである。と書いてもさほど驚かないかもしれない。たしかに19世紀生まれの祖父母を持つ人はいておかしくない。私のように50歳代で祖父母が19世紀生まれという人は、珍しいかもしれない。さらに珍しいかもしれないことを言うと、これはきっと驚くと思うのだが、私の母方の祖父は、江戸時代の生まれである。


歴史上のいわゆる安政の大獄の年に、私の祖父は山口県に生まれている。で、その孫(曾孫ではない)が、中高年とはいえ21世紀に生きているというのは、どういうことかと思うかもしれないが、私の母親が、その祖父の60歳代の時の子供(末っ子)だからである。私の母は、子供の頃、自分の父親を「おじいちゃん」と呼んでいたようだが、私の祖父は、実の娘から「おじいちゃん」と呼ばれて、むしろ安堵したという。なぜなら外見上老人にもかかわらず、10歳にも満たない女の子(私の母)が、娘だったとわかったら、さすがに恥ずかしい思いをしたかもしれず、娘を孫に見られて助かったということらしい。


私の祖父は、母が10歳の頃に亡くなったので昭和10年くらいに死んでいる。そして母は20代で私を産んだので、私は、なんとか世紀を飛び越して21世紀に生きることになった。母には100年の壁がたちはだかって、2000年に、21世紀を見ることなく母は死んでいる。


そこで幸か不幸か、私は独身なので、ひょっとしたら孫を22世紀に生かせるかもしれないという夢が生まれてきた。


私が、いまから10年後に子供をつくる。息子でも娘でもどちらでもいい。2020年に生まれたその子には、なんとか頑張って30歳をすぎてから子供をつくってもらう――2050年頃に私の孫が生まれるとする。そうすればその孫が50歳になる頃に22世紀を迎える可能性は高い。うまくいけば、私の子供と孫はともに22世紀を迎えることになるかもしれない。100年の壁を越えるぞ。4代で3世紀の時間旅行である。


とはいえ、これは夢物語である。そもそも私の場合、子供を産んでくれる相手がいないといけない。精子を保存して、それを使えば、100年の壁などいくつもこえることができるかもしれないが(そこのところは詳しくないので、これは無理なのかもしれないが)、私としては孫の顔を見ることができなくても、孫ができる可能性のある子供の顔はみておきたい。で、やはり相手がいるかどうか問題だが、しかし、これは思考実験として、クリアできるものとする――たとえ、この点が最大の難関としても。


でも、相手がいても、だめだろうな。私の母方の祖父は、65歳くらいで子供をつくった。いまでもそのくらいで、結婚したり子供をつくる男性はいる。しかし、昔の農家のことである。たとえば主婦が死ぬと、残された子供たちの世話をし、なおかつ一家を切り盛りするための女性が必要となって、一家の主にとって、再婚はどうしても必要なこととなる。だから、祖父がとくにセックス好きということではない。


しかしにもかかわらず、私もこの年になってみると、それはたいへんなことだと思うようになった。私には艶之進(私の母方の祖父の名です)のまねはできない。もう、この歳で無理です。艶之進、ほんとうに名前からしても精力絶倫の名前じゃないか。私には、その遺伝子は伝わらなかった。おいおい下ネタかよといわれそうだが。