神になろうとした男 4

Tが、あれほど嘘をついて(まあ詐欺師ではなくて、思いこみ、妄想の類だが、自己尊大化のための虚言癖であることはまちがいないので、嘘は、嘘なのだが)、迷惑をかけていても、もちろんそれによって人望を失っている部分も多いのだが、同時に、友人たちから見捨てられることはなく、新しい崇拝者を呼び寄せているのは、本人のカリスマ性のなせるわざだろう。


あれほど嘘をついても学界から追放されないのは、まさにカリスマ性ゆえだろうし、わたしのように完璧にTを侮蔑している人間も多いのだが、そうした人間が多いのもまた裏返しのカリスマ性によるのだろう。


誰もが騙される。私も例外ではない。


私は現在の大学の専任になる前に二年間、今所属している研究室の非常勤講師をしていた。というか頼まれたのだが。私の前任者(非常勤講師)はTであった。Tが2年間非常勤で教えて、そのあとの非常勤講師が私だった。


結局、私はその非常勤講師を2年間つとめたあと専任に採用されることになったのだが、いつ頃のことだったのか、私は、Tが非常勤講師を2年で辞めたので、私に非常勤講師がまわってきた。そのため最終的に私に専任の口がまわってきた、と、そう思い込んでした。


実は、つい先日まで。


そう思い込んでしまっていたのは、Tが、自分が非常勤を2年で辞めたから、私に非常勤の話がやってきたのだというようなことを、私に語ったからである。


しかし、それはおかしいだろうと最近、同僚に言われた。おかしいことに気付かない、わたしのほうがもっとおかしいとも。


というのも、すでに私が所属するようになった英文科では非常勤は2年と決まっている。まあ、最近は、人探しが面倒にもなって、よい先生なら3年つづけてお願いすることもあるが、昔は、非常勤は、きちんと2年で終わっていた。となると、Tが2年で非常勤をやめてしまい、その後釜に、急きょ私が決まったということはありえない。Tが当時の英文科について、学生について、いろいろ不満があったとしても、なかったとしても、1年で辞めたというのなら話は別だが、2年で辞めたというのは、規定どおりのことであって、問題はない。また当時の英文科は、2年後に辞めるTの後任として、私を選んでいた。つまり私が非常勤に決まったことについて、Tに恩を感じたり、逆に、恨んだりしたりする必要はないということである。


つまりTが先に非常勤に選ばれていた。そのあとで、私が非常勤に選ばれたということであって、Tが辞めたから私が非常勤に選ばれたということではない。


いまでは非常勤ではなくて、専任になったのだから、英文科のシステムについてわかっているわけだから、Tの話が嘘だと認識しない私も馬鹿とえいば、馬鹿である。


またなぜTがそんな嘘をついたかというと、理由のその一として、Tが辞めたから、いまの私があるということになれば、私の経歴はTの影にあることになるからだ。まあ恩に着るにせよ、恨むにせよ、すべてはTの影ということになる――まあTというポパイの影に(ポパイはコミックスのポパイ)。


理由その二として、やはり権威がある(と思われている)大学の学科の非常勤を、2年で蹴ったというのは、反権威として、逆に自己の権威づけになるということだろう。反権威には権威にはないすばらしがさがあると思っている私のようなリベラル派を、反権威的姿勢によって騙すのは簡単なことである。たぶん、Tの嘘はこのふたつだろう。


ちなみに、自分が辞めたから、断ったから、その仕事なりポストが、そちらへ行ったという話は、Tのよくする話らしくて(そのすべてが嘘ではないとしても)――T語録というか、Tのナラトロジーを考察した文書なり本が必要ではないだろうか――、わたしはまんまとそれに引っかかったわけである。なんとか丸出しとはこのことである。


ちなみに、いまの大学の専任になっていたかどうか覚えていないのだが、たぶん今の大学の専任になっていた頃、私はTに対し、半分冗談で、でも半分は本気で、「あなたが非常勤をやめたものだから、私はこんなに目にあわなければならなくなったのですよ」と、まああなたを怨んでいるという含意をもって語ったことがある。


そうしたらTがきょとんというかやや唖然とした顔をしてたのをいまでも覚えている。以下は私の勝手な推測だが、


その表情は、Tが非常勤を辞めたことと、私が非常勤になったことに前後関係はあっても、因果関係はないのだが、Tの嘘を信じて、因果関係があるかのように思いこんでいる私の信じやすさに対する憐れみの表情だったかもしれない。


あるいは、自分が辞めたからというのは、恩に着せるためのものであって、謝るためではない。ところが私は、冗談なのかもしれないが、けっこう本当に、恩に着るどころか、あなたが辞めたから、いまのわたしの不幸があるのだと、本気で言っている。これは予想外だったことかもしれないが、恩に着せられるどころか恨まれているわけだ。


あなたが今の私のポストにいれば、私ももう少し有意義な人生が送れたかもしれないと、そのときはそこまで言ったかどうかわからないが、いまでもそう考えていることは事実である(実際にはTと私の専門か重なってしないから、どちらか一方ということはない)。それはTには意外だったことかもしれない。彼には考えられない思考回路(権威とか権力をへとも思わない思考回路)をもつ私への憐れみだったかもしれない。


Tがいまの私の同僚になっていれば虚言癖がおさまるかというと、その保証はない。おそらく私が昔は尊敬していたTを敵視するようになったのは、もし私に信仰があれば、悪魔に支配させないような神の計らいのなか、私は神の道具になっていると思うことだろう。もちろんその計らいは、私にとっては試練以外のなにものでもなく、悪の流入を防ぐ単なる土嚢のようなもので、名誉職でも栄誉ある運命でもないのだが。


あとここで紹介したようなTの虚言は、べつに犯罪でもなんでもない。そんなことは、毎日、誰かが語っていることだろう。自己尊大化のためのほんのちょっとした嘘。騙される、あるいは勝手に思い込むほうがわるい。だからTは犯罪者でも悪人でもなんでもない。そのカリスマ性によっていまも若い研究者をひきつけているTに、しかし、ひとつだけ言っておきたいのは、おまえのような病的な性格の人間は、教育者だけにはなるな。それだけである。