南極物語

ケイト・ベッキンセールを映画館でみるのは何年ぶりだろうか。というよりも11月9日の記述がまちがっていた。彼女はマイケル・シーンと夫婦ではない。彼女の夫は、彼女が主演した『アンダーグラウンド』の監督レン・ワイズマン。これは有名な話なので、何を勘違いしたのかと自分でも不思議に思う。そもそも私が見たサイトが誤情報だったのだが、いま、それをみると、その記述がなかった。私の幻想だったのか。ただし彼女は、マイケル・シーンとの間に一女をもうけている。実際に結婚はしなかったが子供はいたとということで、そこで結婚と解釈したサイトがあった、もしくは私が勝手に思いこんだということかもしれない。


ケイト・ベッキンセールはシェイクスピア関係者にはなじみの俳優で、ケネス・ブラナー監督の『空騒ぎ』に出演していたし、シェイクスピア映画ではないが、シェイクスピアの『ハムレット』のもとになった伝承を映画化した『プリンス・オヴ・ユトランド』(あの『バベットの晩餐』のガブリエル・アクセルが監督したもの)にも、いわゆるオフィーリア役で出演していた。その後、文芸映画にも出演していたのだが、最近は『モーテル』といったB級映画にしか出ていない(この映画は、見ていないし見ることもないだろう映画だが)。


調べたら『もしも明日が選べたら』(2006)で、アダム・サンドラーの奥さん役だったことを思い出した。あれが映画館でみた最後か。あのアダム・サンドラーの人生では、主人公がどんどんメタボになって、50代くらいで大病をして、またもとにもどるというのは、私と同じだと思った。残念ながら、私は、あの主人公ほど大病ではなかったので、完全にもどっていはいないのだが。あと『アンダーグランド』シリーズは、レンタルで。『ヴァンヘルシング』は見ていない。


ちなみに彼女の父親は有名な俳優で31歳か32歳で死んだのだが、そのことはピーター・オトゥールが老俳優を演じた『ヴィーナス』という映画のなかでも言及されていた。あれがケイト・ベッキンセールのお父さんのなのだと私はそこで始めて知って驚いた。


ちなみに彼女が出演した映画のなかで最悪な映画は『レタッチ』。絵画を修復する美術館の職員であり、舞台はスペインのバロセロナ(だったか)、またゲイがらみの犯人といい、面白いサスペンスドラマになる要素はいっぱいあったのに、最悪の映画で、しかも、その映画で彼女は派手に裸になっていた。それ以後、彼女は脱がなくなかった。今回も脱いでいない。下着どまりである。


さて今回の『ホワイトアウトWhiteout(2008)。う〜ん、どうなんだろうか。南極という異世界での殺人事件を扱いながら、なんの変哲もない映画としかいえない。それなりに見ごたえのある風景が展開するかと思ったのだが、たしかに夏にみた堺正人主演の『南極料理人』の世界が牧歌的にみえるほどの厳しく危険な自然の様相がこれでもかと展開するのだが、そのCGの世界も『南極料理人』ほどの南極らしさもない――南極に行ったことのない人間が、そういうのもへんな話だが、まあリアリティ効果が希薄ということだ。


原作がグラフィックノヴェルとのこと――そんなものを原作にしているから、ろくでもないものになるのかもしれない。『南極料理人』は、原作はマンガではないのだが、映画そのものは、まるで四コマ漫画で、実際、その作り方は、四コマ漫画が原作の『自虐の詩』よりも、もっと四コマ漫画していて興味深かった。四コマ漫画のように、オチのある短いエピソードの連続、それが『南極料理人』だったからだ。


それに反して『ホワイトアウト』の原作のグラフィックノベルは見たことがないが、風景描写ということになると、通常の映画の表現は、CGであれ実写であれ、グラフィック・ノヴェルの絵の比ではないほど、解像度が高い。そもそもグラフィック・ノヴェルの醍醐味は、演劇的なものであって、人物の顔と顔とがぶつかりあう、濃厚な演劇空間の現出を特異とするわけで、グラフィックノヴェルは、皮肉なことに、図像としての風景は苦手なのだ。グラフィック・ノヴェルの風景は、日本の漫画の風景とは異なり、むしろ絵の貧弱さを際立たせるだけで、グラフィック・ノヴェルの魅力を半減させる。したがって南極というサブライムな風景の描出にはグラフィック・ノヴェルは向いていない。それはそれでいいとして映画でこそ、サブライムな風景は現出可能であるが、それがこの映画では出来ていない。嵐の場面などの激しい自然の猛威も、絵の作りが、あろうことか貧弱で単調かつ凡庸で感激しないのである。


そうなると役者の演技でみせるしかないのだが、南極における女性の保安官という役のケイト・ベッキンセールの頑張りぶりはわかっても、彼女の魅力をカメラがじゅうぶんに引き出しているとはいいいがたい。オックスフォード大学も出ているけっこうインテリでもある彼女は、知力と体力と格闘力を兼ね備えた女性という役柄にはぴったりなのかもしれないが、なにかぴんと来ない。


彼女に協力するFBI捜査官をガブリエル・マクトが演じている。一見善良そうだが、何か危険ないかがわしさを漂わせている人物を上手く演じていると思うのだが、『ママの残したラブソング』(この映画に出てくるトラボルタ扮する英文学教授は、私よりもはるかに頭が良くていろいろな詩人の作品をそらんじていてびっくりしたが)あるいは主演した『スピリッツ』(これもグラフィック系だ)などに比べると陰が薄い。あとトム・スケリットが出演していて、私などにはなつかしい。彼は基本的にテレビの人のイメージが強すぎて(そう子供の頃から、私は日本のテレビでスケリットを見続けてきた)、そんぶん、映画が安っぽく見える――本人の責任ではないのだが。


また死体などでてきて、かなりグロいシーンもあるのだが、南極という設定なので、すべてが冷凍保存状態となり、ある種の生々しさが消えてしまう。なんといったらいいか、希薄な無菌状態、透明な無機的な雰囲気が漂い、それもまた映画の特長というよりも映画の迫力のなさに貢献している。どうしてこんな映画になったのか、そこが知りない。なにが面白くて、こんな映画をとっているのだろうか。日本で公開するほうもするほうだと、だんだん怒りモードになってきたので、やめる。


ケイトベッキンセールは、映画のなかで指を二本失う役柄なのだが、それでも警察官を辞めずに続けることができた。私個人的には、それはよいニュースで、この映画の美点であると思った。


付記 飛行機ファンとしては、四発のアントノフ輸送機(CGだが)が登場して面白かった。あれはたぶんアントノフ12(An12)だと思う。一瞬、アメリカのC139ハーキュリーズかと見誤ったし(外形は後ろから見ると似ている)、50年前の飛行機だと映画のなかで言われていたので(An12の運用は50年代終わり頃)ちなみに、このとき、私はアントノフの輸送機にもう一度、スクリーンで出会うとは予想していなかった。