ウルヴァリン

ウルヴァリンといってもXmenの話じゃないし、昨年公開された映画の話でもなくレイモンド・ウィリアムズの話。


正月になってふとDai Smithのレイモンド・ウィリアムズの評判の伝記をまだ買っていても読んでいないことを発見。ぱらぱらとめくっていたら、第2次大戦中にウィリアムズが従軍した時の写真があった。この伝記はA Warrior’s Taleというサブタイルがついているが、ウィリアムズはたんに英国左翼の闘士というだけではなく、戦争中は兵士でありまさにウォリアーでもあった。


対戦車戦術というのはどういうものか全く知らなくて、想像でものをいうしかないのだが、戦車との距離が問題であって、距離ゼロの場合、つまり戦車に肉迫して、車体に昇って砲塔の昇降口をあけて手榴弾を投げ込むこと、さらには接近して火炎瓶を投げるというのが最接近戦闘だろう。接近するぶん危険な行為で、戦争映画には良く出てくるのだが、まあ、自殺攻撃に等しい。もう少し距離をとった戦闘となると、アメリカのバズカー砲に代表されるような携行ロケット対戦車兵器による攻撃があげられる。これもできるだけ接近したほうがよいが、まあ50メートルくらいで撃てる。しかし50メートルである。発見される前にロケット弾を発射できればいいが、その前にこちらがやられる可能性が高い。また外れたら、あとは逃げ回るしかないわけで、危険な戦闘だろう。


戦車砲というのがある。背の低い、車輪突きの大砲で、発射する砲弾も、放物線を描いて目標を撃破するのではなく、低く構えて砲弾が地面に平行に直進するようにして打つ。しかし地球には重力があるから、いくら威力のある砲弾でも、地面に平行に直進するためには目標との距離が開きすぎてはいけないだろう。また初弾を外したら、次の砲弾を装填し発射する前に、戦車によってこちらが攻撃を受ける可能性も高い。


一般に砲兵隊は、最前線よりも後方に位地し、見えない敵に対して放物線を描くように砲弾を発射して味方を支援する。着弾点を確認した観測員から照準の修正がくる。そしてまた発射する。爆撃と同じで敵は見えない。ところが対戦車砲は、戦車を肉眼で目視できるほど接近あるいは待ち伏せして攻撃するのだから、かなり危険な戦闘を余儀なくされる。


戦車砲は車輪がついていても、迅速な移動ができないし、不整地では移動すらままならなくなるから、戦車の車体(シャシー)のうえに砲台を載せたような自走砲が登場する。大きな自走砲はべつにして中クラスの自走砲は、基本的に歩兵支援である。歩兵に随行して、支援攻撃を加えるのだろう。当然、対戦車砲を戦車の車体に乗せたものが登場する。この対戦車自走砲あるいは駆逐戦車が第二次大戦中に登場するが、連合軍では、アメリカがM4シャーマン戦車に対戦車砲を乗せたものを完成させる。これが英軍ではファイアフライと呼ばれた戦車で外見はシャーマン戦車である。しかしこのファイアフライの砲では威力が不十分だったのか、さらに高性能で破壊力も高い自走砲(もしくは駆逐戦車)としてM10が登場する。これもM4シャーマン戦車のシャシーに対戦車砲を乗せたものがだが、砲の威力がまさっていた。


このM10は昔、田宮模型の古いもの、つまり昔なつかしいマブチ・モーターで動くプラモデルを作ったことがある。いまでは絶版。いまM10のプラモデルをつくろうとしたら、田宮の1/35はたぶん絶版だから無理だが、同じ田宮から1/48でM10が出ている。あと台湾のプラモデルメーカーAFVから1/35のモデルがいくつかまだ出ている。私はこれを通販で買うことにした。一応、美國(アメリカ)のM10と英國のM10の両方が販売されている。店頭在庫といったところだが。


昔、なぜモータライズ化されたM10のプラモデルを買ったのかというと、ひとつはシャーマン戦車とまちがえた(もともとシャーマン戦車のシャシーを使ったのだからシルエットはなんとなく似ている)、あるいはたまたまそのM10しかおもちゃ屋になかったからかもしれないが、よく憶えていない。しかしよく憶えていることもある。作っているときに不満だったのだ。砲塔に屋根がないというか覆いがなかったことが。そうM10はオープントップの対戦車駆逐戦車だったのである。


第二次大戦中、ドイツの戦車はどんどん進化して、最強の戦車軍団を形成するようになる。これに正面から太刀打ちできたのは、連合軍側ではソ連の戦車ぐらいで、英米の戦車は、歩兵支援はしてもドイツの戦車とはわたりあえなかった。それでも対戦車戦闘用の、防御兵器として対戦車自走砲が開発され投入される。それがM10である、しかし当時の歩兵支援の多くの自走砲がそうであったように、M10もオープントップであった。だから完全に自走砲扱いなのだが、同時に対戦車戦闘も想定されていたから、オープントップというのは、乗組員にとって、好ましいものではなかった。


オープントップは砲兵が360度見渡せるという利点があったが、しかし直撃をくらったら装甲が弱いので当然破壊されるものの、空中で砲弾が炸裂しただけでも、オープントップでは乗員はひとたまりもない。また混戦になると敵歩兵から手榴弾を投げ込まれやすいし、狙撃兵からも上から狙われやすい。自走砲でも、オープントップは、M10で終わりを告げる。M10の場合、オープントップという危険な状態で、乗員は、泣く子も黙る最強のドイツ戦車軍団とわたりあわねばならなかった。しかも敵戦車を目視してから、それも動く目標を目視してから攻撃するのである。私のような臆病者には、この任務はきつすぎる。危険すぎる。生きた心地がしない。レイモンド・ウィリアムズ、すごい任務についていたものだと驚く。


Dai Smithの伝記にはふたつのM10の写真がある。レイモンド・ウィリアムズが指揮官の将校として仲間の兵士たちとポーズをとっている写真の後ろにはM10がうつっている。このM10と終戦の際に整列している対戦車隊のM10とでは、砲身の先端のかたちがちがう。後者のほうはイギリスで独自に威力の大きな17ポンド対戦車砲をつけたもので、この型のM10はアキリーズと呼ばれたらしいが、対戦車砲に違いはあっても、ニックネームは同じだったという説もある。M10のニックネーム、それはウルヴァリンだった。