あなたに不利な証拠として

*あなたの不利な証拠として


昨日、ミステリーの評価にはいい加減なものが多いと書いたが、もちろん、それは一般論ではなく、たまたま気づいた本が一冊あったということだ。ローリー・ドラモンド『あなたの不利な証拠として』駒月雅子訳(ハヤカワ文庫)は、その帯に、2007年版『このミステリーがすごい』2006年『週刊文春』ミステリーベストで第一位とうたっている。そして池上冬樹(文芸評論家)絶賛とあり

素晴らしい! 素晴らしい! もうこれほど素晴らしい小説を読んだのは、いつ以来だろう(本書解説より)

とある。


これだけ読むと、読者は、誰もがすばらしいとうなるような作品だろうと予想するだろう。もし自分の好みにあわなかったとしても、これを素晴らしいと判断する人がいることはじゅうぶんうなづけるという、そんな風に思うにちがいない。たいていは。


まずことわらなねばならないのは、この短編集が駄作だとは夢にも思わないし、すぐれた短編集だと思う。それは誰しもが認めることだろう。だが「素晴らしい! 素晴らしい! もうこれほど素晴らしい小説を読んだのは、いつ以来だろう」という吐く知的な褒め言葉で絶賛されるほどの作品では決していない。この絶賛は、形式・内容ともに、よほど吐く血である。


短編集と聞いて、えっと思う読者もいるだろう。そう、短編集が、その年度のベストワンに入ることなどありえない。よほどのことがなければ。さらに不利な証拠。これは作者の最初の作品である。最初の作品。そして短編集。通常の予想では、ベストワンに入るのは、長編作品で、また新人であるはずはない。これだけでももう十分に不利な証拠である。読まなくても。


しかもこれだけでも不利となるのが不十分なら、この作者は、この最初の作品にして最初の短編集といのを12年にわたって書き続けてきたのである。12年にわたって書き溜めた大長編というのではなくて、12年にわたって書かれてきた短編集であり、基本的に素人なのである。しかも内容たるや、地味なものばかりだ。しぶいのである。そしてそのしぶい小説が、「素晴らしい! 素晴らしい! もうこれほど素晴らしい小説を読んだのは、いつ以来だろう」という吐く知的な感嘆の言葉にふさわしいのだろうか。


たとえば見栄えもよくないいかにも素人然とした中年のおばさんが、天使の歌声で、全世界を魅了し、日本の紅白歌合戦にも招かれ、紹介役のキムタクが英語で話しかけたら(べつにへんな英語ではなく、りっぱな英語だったのだが)、通訳がその英語を英語に直すという馬鹿馬鹿しいやりとりがあったものの、とにかく美声を披露するというのなら、それに類することならわかる。しかし素人が、なにか基本的な能力は備えているようだが、歌を歌わせると、きちんと音程もはずさずに、しっかり歌えるのだが、なんといっても歌う題材が地味で、声も、低く小さく、まるでボサノバを聞いているような、そんなパーフォーマンスであった場合、その歌手の実力を認めても、スタンディング・オベイションまではしないだろう。


池上のバカは「作素晴らしい! 素晴らしい! もうこれほど素晴らしい小説を読んだのは、いつ以来だろう」とひとりスタンディング・オベイションをしたのである。まあ個人的に褒めたければ褒めればいいのだが、どうも、みずからの孤立したスタンディング・オベイションをそれだけで終らせずに、周囲をむりやりさそって絶賛の大合唱の音頭をとったようなのだ。そのことは文庫版の解説にも書いてある。小説のすばらしさと、自分がこの小説を絶賛したので、評価が高まり確定したというようなことをとうとうと書いている。うれしいのだろうな。こういうバカにとっては。


ジョイスの作品のなかで、『ダブリナーズ』という短編集がある。すぐれた短編集で、私自身、いまでも時々読み直すことがある(学生時代に授業で読んだときに買わされたペンギン版の黄ばんだ紙がいまでも私にとっては宝である)。しかしジョイスの、それこそ20世紀ベストテンに入っておかしくない『ユリシーズ』を差し置いて、『ダブリナーズ』という短編集を、「素晴らしい! 素晴らしい! もうこれほど素晴らしい小説を読んだのは、いつ以来だろう」などと絶賛したら、私はバカだろう。『あなたに不利な証拠として』も『ダブリナーズ』も文学的価値は高い地味な短編集である。決して、絶賛の対象とはなりえない。不快なのは、対象と、絶賛行為のあきらかなずれをとおして、みずからの言説力を誇示するという傲慢さなのである。誰もが面白さ、優れた点は認めても、絶賛するにはいたらない対象を絶賛することで、絶賛の渦を組織すること。面白いだろうな。池上にとっては。


だがこういう池上のようなバカが、たとえば「新年あけましておめでとう」は日本語としておかしいというバカなことを得々として語り、日本語を破壊したように、ミステリーの評価実践を大きく損なったのであろう。


とにかく池上の解説を読んで唖然として欲しい。そして池上が絶賛するところの(素晴らしい! 素晴らしい! もうこれほど素晴らしい小説を読んだのは、いつ以来だろう)、この小説『あなたに不利な証拠として』を読んで欲しい。そのときこの小説そのものが、池上にとってほんとうに不利な証拠となるさまを実感できるだろう。