面接な日々2 コードブルー3

本日の面接(口頭試問)では、年配の受験生が独りいて、教員スタッフの誰よりも歳が上で、おまけに理科系のもと大学教授という、ある意味やっかいな人物が受験していた。文学が専門ではないため、参考論文が提出されたが、それを読むと、よく書けている。英語もりっぱなものだし、内容も興味深い。そういう意味で好印象をもった。


論文は詩人のキーツが、いつから自分が結核という不治の病に犯されていることを認識し、その死の認識が、彼の詩作にどのような影響を与えたかを探るものだった。病あるいは詩の認識と詩作との関係というのは、けっこうやっかいな問題だが、力点はその部分ではなく、結核の進行具合とか程度、そして当時の結核治療(その告知方法)の研究が論文の大半を占め、詩作との関係は後半あるいは残り三分の一程度だったが、結核の部分が、きわめて興味深く、大いに教えられたすぐれた論文ともなっていた。


で、これ以上のことは書けないので、あとは、この優れた論文から私が考えたことを少し。


しかも、私にとって好印象だったのは、文学研究の外部にいた人間が、文学研究を志すときに、いきなり文学研究プロパーを試み、知ったかぶりをするのではなく、まず自分の専門であった領域の知を駆使し、それにもとづいた研究リサーチをしながら、文学研究とのインターフェイスをさぐるという、それ自体、謙虚な姿勢でもあるということで感動もしたのだが、実際にふたをあけてみると、結核が専門どころか、医学が専門でもなく、医学関係の専門でもなく、まあ、医学とは無関係な専門分野の人間だった。


となると知ったかぶりも二重になる。つまり結核や医学についての知ったかぶりと、文学研究についての知ったかぶりとなって、謙虚な姿勢と思われていたのは、一転、傲慢きわまりない姿勢となって、文学部をバカにしているのかということにもなる。とはいえ、だからといって、その人の論文における結核結核治療の記述が、いい加減なものとはとても思えないので、その論文の価値は、いささかなりとも減ずることはないのだが、こうなると問題になるのは、キーツが自分の死期を自覚していたかどうかというか、死の自覚の問題となる。


外国人教員からやや雑談的に提出された疑問は、最近のキーツの伝記によると、ローマでの転地療法をつづけていたキーツは、適度な運動を欠かさず、本人としては元気になってイギリスに帰国するつもりだった。回顧的に考えると、キーツはローマで死にそこで埋葬されるのだから、詩の直前、深い憂愁にあるいは絶望と恐怖に直面していたかのように思えてしまう。しかし実際には、詩が間近に迫っていることを知らなかったのではないか。だからキーツの死の意識が詩作に影響を及ぼすことはなかったのでは、と。


これには一理ある。死んでいく人間は、自分が死ぬとは最後の瞬間まで思わないのではないか。私の父親は病院で死んだのだが(若い頃の結核が再発した。結核とは縁がある)、その時私は東京にいて、死には立ち会えなかったのだが、私の母が死んだときは、間近にいた。いまも鮮明に覚えているのだが、母親は、死ぬ3日前には点滴はしていたが、立って部屋の中を歩いていたし、意識もしっかりしていて、ふつうに会話ができた。そして三日後に死んだ。急に、意識が混濁しはじめて、言葉を発することもできなくなった頃、安静にしようとしない母親を叱責したことを反省し、怒ったことをあやまり、そしてもう死が近づいているのではないかと予感した私は、ありがとうと耳元でささやいたら、母は、そんなことを言ってくれるな、まるでこれから死んでいくようじゃないかと絶え絶えの息をとおして語りかけてきた。まあ、死に行く病人に、お礼をいう私もバカだったが、同時に、母親も死を覚悟しての冗談だったかもしれないが、しかし、母は自分が死ぬのはまだ先と考えていた可能性も高い。すぐに死ぬとは思わず、何度も訪れる病状の悪化のひとつと捉えていたふしがある。それをのりきれば、また小康状態がつづく、と。


そう、病人はどんなに死期が迫っていても、自分が死ぬとは思わず、また周囲も、死んで欲しくないと願っているせいか、病人の死は、病死でも、事故死という思いが強い。あっというまに急変して死んでゆくのだから。そのためキーツがどれほど自分の死を覚悟していたかは、たしかに疑わしいのである。


しかしまた同時にキーツは例外的に自分の死を明確に意識していたという、その論文にも一理ある。なぜなら詩人のキーツは医者でもあって、結核で肉親をなくし、また結核治療にもたずさわってきたのだから、結核患者がどのように死んでゆくかを明確に意識していたから、自分の病状についても、死期についても、通常の患者とは違う明敏さでもって把握していた可能性はきわめて高い。


たしかに一理ある。そう、その面接の前日、私はフジテレビの月曜9時のドラマ『コード・ブルー2』を見ていて(昨年木曜日の夜に放送されていた頃の『コード・ブルー』についてもこのブログでコメントしたのだが)、そこでは難病におかされた医師が、死ぬ場面があって、血液中の酸素濃度からその医師は、自分の死を明確に把握したのである。救急チームのナースのフィアンセの死という設定で、私も見ながら、思わず涙ぐんでしまったが、


となるとやはりキーツは、医者でもあったのだから、自分の死を明確に意識し、助からないと思っていたのではないか。だから、いつ結核であると知ったかは、特定するのにはいろいろ面倒な手続きが必要だとしても(当時も、いまと同じで、患者には、告知しなかったり、病気を別名にしていたこともあり、病人自身が実際とは異なる病気をわずらっていると思いこんでいる場合もあるということもその論文から教えてもらったのだが)、最終的にキーツには専門家として結核であることがわかったし、迫り来る死を覚悟したキーツの意識が、その詩作に影響をあたえたといえるだろう。


しかし、同時に、たとえば宝くじのことを考えてもいい。私が購入した宝くじが、一等になって億という金を私が手にする確率は、限りなくゼロに近いというか、ゼロそのものだろう。にもかかわらず、当選番号発表日の前日まで、私は、この宝くじが一等になることを夢見ずにはいられない、というか夢見ている。私は冷静沈着な判断ができる人間であり、私の宝くじが当たる確率よりも、宇宙人が地球に降り立つ確率のほうが、まだ高いと信じているのだが、にもかかわらず、宝くじが当たる夢をみつづける。これと同じで、確実な死が迫っていることは理屈と経験でわかっても、それでもなにか奇跡が生まれ、あるいは新たなあるいは有効な治療法によって、延命できるのではと、患者は夢見続けるだろうし、それは医師が患者となった場合でも同じだろう。患者あるいは患者の家族は、たとえ特定の治療法が無駄もしくは手遅れとわかっても、それでも、その治療法が有効となる夢をみる。まさにその夢が生きがいであり、その夢が患者を生かす。


だからキーツがいつ自分の結核ならびにその結核が末期であることを知ったのかという興味深い問題はまた、キーツが、知らなかった、あるいは意識したはずはないというかたちで反論できるというよりも、むしろ知っていても、死ぬとは思わなかったというのが正確なところではなかったか。


つまりキーツが死を自覚したか自覚しなかったかは、実は関係ない。死が確実だとわかっていても、死なないと思うものだし、完治せずとも病状が軽くなるために、治療に専念することが生きる喜びになったはずなので。その高齢者受験者と外国人教員の言い分は、どちらも一理あるというところに決着するしかない。おそらくそれはキーツ問題に限らず、私たちの死の瞬間にもかかわってくる問題だと思う。


私たちは自分の死を自覚しないまま死んでゆく。まだだいじょうぶと思いつつ、死んでゆく。私は死んでゆくと思いつつ、死んでゆく人はいなくて、生きている、だいじょうぶと思って死んでゆくのである。いっぽう、死のプロセスについて専門的知識と目撃体験を積んでいる医師は自分の死をどうやってむかえるのだろうか。まさに私は死んでゆくと思いつつ死んでゆくというのは、いかなる恐怖体験なのだろうか。あるいはそこには自分を突き放してみることで恐怖は消えてなくなるのだろうか。死んでみないと分からない問題だという冗談めいたことしかいえないのだが。