面接な日々5 言ったからね


卒論とか修論の面接には、よく卒論なり修論の本体を持ってこない者がときどきいる。学部生に多かったので、必ずもってくるようにと周知徹底したおかげで、今では卒論を持参せずに口頭試問を受けない学生はいなくなった。しかし院生にも修士論文を持参しない者がいて、あきれる。どうしてもってこなかったのか。理由があればいいのだが、たいていは、言われなかったからという理由にもならない理由になる。つまり持ってくるなと言われたなら、持ってこない理由になるが、いわれなかったからというのは理由にならない。……ちょっと待った。「言われなかった」?、いまの言葉プレイバック――


言われなかったというのは、ほかでもない私の指導生の醜いいいわけだった。英文の大学院は、学部もそうだが、アメリカ文学、イギリス文学、英語学の三分野からなる。修士に入学する学生は、すくなくとも自分の分野の授業は一通り履修し、たぶんそれだけでは単位が足らない場合もあって、他分野の授業、さらには学部の授業、他研究科の授業を履修することになる。この場合、ジャンルの壁は乗り越えるしかない。また乗り越えやすいように、授業も、教員どうしバッティングしないようにつくってある。理論的には、院生は一年で、英文の全教員の授業をバッティングせずに履修できるはずである。


そのため小説の専門家であっても詩や演劇の授業も一度はとる。さらに英米の間の壁を乗り越えることもある。残念ながら言語学と文学との壁は、私自身にとってもそうだが、大学院レヴェルとなると乗り越えるのが難しくなるというか、乗り越える学生は皆無になる。これは英文科以外では普通考えられないことかもしれない。同じ学科、研究室に所属していながら、大学院レヴェルとなると、専門分化が起こり、壁ができてしまうということは。また大学によっては、英語学と英米文学を分離しているところもある。


で、なにがいいたいかといえば、私の指導生は、当然のことながら、英文学関係の教員の授業をすべて一度は必ず履修していると思っていた。そうしたら1月にたまたま会った元指導生二人のうち、ひとりは、小説の先生の授業を履修していなかった。もうひとりは、書くのをやめるが、私の授業以外に英文学関係の授業は、ほとんどなにもとっていなかった。ふたりは、たまたま内部進学者ではなく、ちがう学部やちがう大学からの進学者だった。でもどうして。言われなかったからだという。またさらに毎年、履修計画書を提出してもなにも言われなかったからという。


しかし知的好奇心とか専門的関心とは無関係に、英文学の他の教員の授業を履修するのは当然のことで、もし私が、指導生に「履修するな」と命じていたら、履修しなかったことの理由になるが、そんな命令などないにもかかわらず、履修しなかったのはそもそもおかしい。履修計画書も、毎年のそれを保存して見比べていたら、判明していたかもしれないが、毎年のことだから忘れてしまう。たとえば1年目の履修計画書に、私の授業しか履修しないことが記録してあっても、2年目に履修するのだろうと思うし、2年目の履修計画書で私の授業しか履修しないことになっていても、必要な単位を確保するためにも、すでに1年目で他の先生の授業は履修済みだろうと思ってしまう。


いま在学中の院生で私の指導生は、当然ながら、英文学分野のすべての教員の授業を履修していて、まったく問題ないのだが、というかそれがあたりまえのことだが、この過去の二人はいったいなんだったのかと不思議に思う。


他の教員の指導生でも、英文学分野だったら、全員、一度は私の授業を履修する。だから大学院で英文学分野の院生だったら、在学していた全員の名前と顔を知ることにあるが、現在の大学で教えはじめてから、英文学分野で私の授業に一度も出ないまま修了した院生は一人しかいない。ひとりだけである。話したこともないから、理由はわからないが、まあ遠くからみて私のイメージで決めたのだろう――ユダヤ人で、アラブ好きで、理論家で、フェミニズムシンパの、ゲイで左翼という、まあ人間の屑のような私を嫌ったのだろうと推測している*1


しかし、私の指導生のなかに、他の先生の授業を履修しなかった院生がふたりもいたとは。驚きであり、他の先生方には申しわけないし、またなさけない。そもそも、そんな院生だとは夢にも思わなかった私もなさけないし、指導してきた私もばかだったと頭を抱えた。このふたりで終わることを祈るだけである。それにしても、これからは英文学の他の先生の授業を履修するようにと指導を徹底せねばとは思わない。そんなのはあたりまえのことで、なにをわざわざという思いが強いからだし、まあ、ふたりで最初で最後だとも思うのだが。

*1:そうなるとその学生は、いまの理由の反対で「ユダヤ人差別主義者で、ヘテロの右翼のファシスト」ということになるが、そんなアホなと思われるかもしれない。しかし、ユダヤ人差別主義者という点をのぞけば、いまのレッテルは、その元院生にはすべてあてはまったし、その元院生の父親にもそっくりそのままあてはまった。