人見知り教師



本日から英文科の主任の仕事が入る。このブログも、主任日記にしようかとも思ったのだが、主任といってもローテーションでまわってくるものであり、また書くことといったら、愚痴と失敗談ばかりで、愚痴は書いていると面白いが読んでいても面白くないし、失敗談は読むほうは面白いかもしれないが、書いているほはつらいことなので、一切、書かないことにする。下手をすると秘密事項を書いてしまいそうな気もするので。


渋谷に用件があったたので、ついでにBunkamuraのル・シネマで映画『モリエール』を見ることにする。まだ見ていなかったのだが2007年の映画をなぜいま頃上映するのかよくわからない。リヴァイヴァル上映みたいなものだが、すこし早く来過ぎたため、同じBunkamuraのザ・ミュージアムの『レンピッカ展』で暇つぶしをすることにした。当日券を買うと1400円。けっこう高い。ザ・ミュージアムはそんなに広いところではないので、どんなにゆっくり見ても1時間はかからない。実際に30分くらいで見終わってしまった図で録を購入したが、帰宅して図録を見ると、見ていなかった絵が1枚ある。すべて見たはずなのだが、どうしても思い出せない。ただ展示品目録によると、今回、都合によって公開できなかった作品とある。見逃していたわけではないかった。と、そのくらいしっかり記憶に焼きつけてみても30分くらいで終った。けっこう高い。当日券は買うものではない。



レンピッカというと、私たちの世代では、かつてPARCO出版からでいてた『肖像神話―迷宮の画家タマラ・ド・レンピッカ (PARCO VIEW 10)』が印象深い。1980年の出版で、当時相当高額な本で、私は購入しなかったが(今では古書で、高価な値がついている)、その本、あるいはその本の発売を契機として盛んに使われるようになったレンピッカの絵をモチーフとしたポスターなどで、強烈な印象が残っていて、今回の展覧会は、なにか懐かしい感じすらする。


展示そのものは、バイセクシュルアルでもあったレンピッカのクィア性をもっと全面に出して欲しいとも思った。またいまでは右傾化の日本においてロシア革命というとナチスファシズム以上に悪魔化されているので、1931年の『難民』と題されたレンピッカの絵ですら、ロシア内戦による難民のイメージという解説がされているので*1ポーランド貴族なんて、百回殺されてもおかしくない人間の屑だということを右傾化に抗して強調しておきたい。あとどうみてもカラヴァッジオ風の静物画もあって興味深かった。カラヴァッジオは有名な画家だから模倣されておかしくないのだが、レンピッカの場合、マルタ騎士団つながりかもしれない。前日見た映画『カラヴァッジオ』から考えると。



モリエール』のほうは、同じく劇作家を扱った『恋に落ちたシェイクスピア』と同様、劇作家になるまでの前史を物語化したもの−−劇作家誕生物語である。もちろんフィクション。しかしシェイクスピアが『ロミオとジュリエット』を書くまでを描く『恋に落ちたシェイクスピア』の場合、映画の物語そのものは――それが『ロミ・ジュリ』の基盤になるという趣向なのだが――、『ロミ・ジュリ』の強度には達していない。いっぽう『モリエール』のほうは、若き日のモリエールが田舎の富豪で貴族になろうとしているジュールダン氏の家で、タルチェフの名前で働く物語で、これがいうまでもなくモリエールに『町人貴族』と『タルチェフ』の材料を提供することになったという趣向なのだが、映画の物語の部分が、モリエールの喜劇同様、けっこう面白いというかおかしい。映画館でも笑い声が絶えなかったので、その点、よく出来ている。


主演のモリエール役のロマン・デュリスも、『パイレーツ・オヴ・カリビアン』のジョニー・デップという感じて、二枚目なんだけれども、三枚目的におかしく、彼が、『デュパン』の主役であり、また『真夜中のピアニスト』(しかし、なんちゅうタイトルじゃい)の主役とは全く気づかなかった。そしてスタンダールの『赤と黒』とか『パルムの僧院』のように、若い男と年上の貴婦人との面白おかしく、最後にはほろっとさせる恋物語にもなっていて、脚本としては『恋に落ちたシェイクスピア』よりもすぐれている。ただし映画的にどうかというと、話がおもしろおかしいいエンターテインメントである分、映画的な魅力については、さして注意を喚起しないというところがある。


なお余談だが、ロマン・デュリス主演の『真夜中のピアニスト』(なんちゅう意味のわからないタイトルじゃい)は、アメリカ映画、ジェイムズ・トバック監督、ハーヴェイ・カイテル主演の『マッド・フィンガーズ』のリメイクなのだが、もとのトバックの映画のほうはDVD化されていないのは残念である。ちなみに現在、公開中のヘルツォーク監督の『バッド・ルーテナント』(2009)もアベルフェラーラ監督『 バッド・ルーテナント 刑事とドラッグとキリスト』(1994)のリメイクなのだが、もとのフェラーラ監督版はハーヴェイ・カイテル主演だが、DVD化されていない。ハーヴェイ・カイテルの映画はどうしてDVD化されなないのだと疑問を呈しておこう*2



帰宅後、ぼんやりテレビの『アメトーク3時間スペシャル』をみていたが、やはり「人見知り芸人」のコーナーが、思い当たるふしが多く、いちばん共感できた。基本的に人見知りは、子供のときなら、まだしも、大人になったらはずかしいだけだが、なかなかなおらない。人見知り芸人たちは、まだ若いのだが、しかしもっと歳をとれば治るかというと、そういうことはない。私のように、50歳を超えても、同じである。


子供の頃は、母親に連れられて外出すると、可愛いお坊ちゃんと声をかけられても、母親に抱きついたり、母親の影に隠れたりして、決してよその人と口をきいたりしなかったのだが、そういう子供が50歳をすぎるとどうなるかというと、マンションのエレベーターで、途中階から乗って降りる時、誰かエレベーターホールで待っている人がいると、すぐに階段を利用するし、降りてきたエレベーターに人が乗っているときも、すぐに階段を利用する。また上がるときも、エレベーター・ホールで待っていて、そこにべつの人がくると、用件を思い出したふりをして、ホールから出る。ホールに誰もいないと、エレベーターに乗れないのである。まあ、バカだけれど。


しかし、こうした性癖は、学生にも見抜かれていて、とくに親しくない学生が私に話しかけてくることはない。敬遠されている。親しい学生とか指導学生とかはべつだが。もちろん同僚にも教員にも見抜かれている。実際、前の大学で、私が授業中に学生に対して話をしているということを聞いて、驚いた教員がいるくらいだ。つまり講義の授業で、講義の話をしていると聞いて、あの人見知りで寡黙な私が、教室で口を開いていること自体が驚異だったらしいのだ。しかし大学の先生が、講義の時間、教室で黙っているわけはないでしょう。黙っていたら、それこそ首になる。話が上手い講師、あるいは話が下手は講師はいるだろうが、口数の少ない講師というのは、ありえない。まあ、それほどまでに人見知りと思われていたのだが。


で、教訓。こういう人見知り教師を主任にしていはいけません。これから英文研究室はどうなるのだろうか。



なお本日は、スーパーで売れ残っていた、ほやの二個入りパックがあるので、買ってきた。ぱんぱんにふくれている。これは包丁を入れたら、絶対になかから液体が飛び出てくると思い丁寧に扱ったが、やはり液体が顔にかかった。この中の液体で中身を洗うのがよいらしいのだが、水であらった。それでも味にかわりはない。そのまま食べても、この磯臭い味は、ほんとうに絶品である(嫌いな人はこの磯臭さに悶絶するらしいが)。

*1:周辺諸国を巻き込んだ内戦は難民を生んだろうが、1922年に終っている。レンピッカのその絵は、1930年以降の政治的激動の犠牲者たち一般の象徴であろう。

*2:アメリカ版のDVDはあることがあとでわかった。