Brokedown Palace

中国から日本に麻薬を持ち出そうとして逮捕された日本人が中国で死刑になった。その理由については解せない日本人がたくさんいてもおかしくないだろう。中国にはアヘン戦争の歴史があるからと説明もされているのだが、そんなあほらしい理由はあるのか。中国に麻薬を持ち込もうとした日本人を逮捕して死刑にするのなら、中国社会を麻薬から守るということで、理由はわからないでもない。しかし中国から麻薬を持ち出そうとした日本人を処刑するというのは、どういう理由なのか。日本社会を麻薬汚染から守るためにという理由だとしたら、余計なお世話であり(こんな屁理屈が通るなら、中国にある麻薬を減らすのにその日本人は貢献しようとしたわけだから、中国は感謝すべきだという理屈も成り立つことになるが、いいのか)、日本に麻薬を持ち込もうとした日本人の処罰は日本に任せるべきである。ただ、この問題は中国や東南アジアの麻薬汚染問題というよりも、死刑を乱発し、死刑によって現状維持を図ろうとする社会政策の行き詰まりを露呈するものとしてみることができる。


死刑に、みせしめ効果があるのかというと、軽犯罪に対しては効果があるといわれている。たとえば万引きshopliftingを死刑にすると決めた場合、たぶん万引き犯は激減すると考えられている。万引きごときで捕まって死刑になったら、たまったものじゃないからだ。そうした軽犯罪には効果があっても、しかし、殺人といった重犯罪にはみせしめ・予防効果はないといわれている。そもそも計画的に殺人を犯す者は、じっさいには自分は決して捕まらないという前提のもとに犯行を計画し実行するのであって、そうした犯人に対して死刑は効果がない。いっぽう、計画的ではなく、事故で、あるいはやむをえず殺人を犯したという場合、これは事故であり突発的な事故は防ぎようがない。したがって死刑は、殺人というような重罪の発生数には影響しない。


万引きを罰する場合、面白半分で万引きする場合と、やむにやまれぬ事情があって万引きをするのと二種類の理由があって、面白半分の場合は、重い罪を、やむにやまれぬ場合には、情状酌量を考慮してもいいのだが、もし万引きを死刑にすると、これは極刑なわけで、細かな罪状の区分など消し飛んでしまって、一様に画一的に死刑ということになる。理由など関係なくなってしまう。計画殺人というような忌まわしい重罪に対するものであるならまだしも、万引きという軽犯罪に対して、もし、いかなる理由であっても死刑にするということになると、死刑そのものに対する疑問を、そして死刑を定めた司法体系にも疑問を投げかかることになろう。死刑というのは差異をなしくずしにする暴力以外のなにものでもない。またひとつの軽犯罪を死刑にするなら、ほかにも同様の軽犯罪に対しても死刑を科すことになり、結局、個々の犯罪内部の区分をなし崩しにするだけでなく、犯罪間の差異、すなわち重罪か軽犯罪かの区別すらなくしてしまうために、社会の犯罪を均質化し画一化する無差別攻撃にほかならなくなってしまう。つまりテロである。死刑というのは重罪もしくは特殊な犯罪に限定しないと、社会を破壊しかねない。無実の人間も罰してしまう可能性がある。つまり大掛かりな死刑は無差別殺人となり、テロとかわらなくなる。


軽犯罪に科せられる死刑もしくは厳罰は、効果があるといわれるのだが、しかし、中国の麻薬取り締まりに関しては、効果があるかどうかわからない。というよりも全く効果がない。重罪にすることにより、麻薬撲滅の効果はあったのか。全くないのではないか。死刑にする暇があったら、もっと効果的に取り締まるべきであり、死刑という非人道的テロリズム的処置にすべてを任すという非能率的官僚と政府こそ、死刑にすべきである。


そもそも人間の歴史をみるかぎり、どんな厳罰を科しても、なくならない犯罪というものはある。かつて不倫は重罪であったが、それでもなくなることはなく、むしろふえつづけるいっぽうで最終的には罪を問われなくなった。同じく麻薬がらみの犯罪は、利益が大きいためになくなる気配はない。麻薬は受容と供給の関係が重要だから、どちらかいっぽうを叩いても意味がなく、両方を叩く、撲滅するか、それが不可能だとしたら(実際不可能だと思うが)、麻薬を合法化するか(合法化は危険すぎる、社会の崩壊を招くと考える人は多いだろうから、たぶん実現しないだろうが)、あるいは安全な麻薬、もしくは麻薬の代替となるものを発明することである。しかしそれまでは麻薬がらみの犯罪はなくならないだろう。中国に麻薬を持ち込み、中国から麻薬を持ち出す犯罪は、死刑をもってしてもなくならないだろう。それどころか中国の国際的イメージを悪くするばかりで、国内以外の不満をかきたて、最終的に中国の自壊を招くことにもなりかねない。


くりかすが、見せしめの死刑あるいは乱発される死刑というのは、非常手段であって、法体系そのものをくずすことになる。たとえば税金を考えてみると、収入に応じて税率が定められているのだが、もしそこに財産没収、全収入強制供出というような項目(税制における死刑の等価物)が入っていると、一見、税制の内部の規定であるかにみえて、実は税制外部の極限的規定であって、そういえるのは財産没収というのは、収入に応じて税率を定めるという税制の根幹の原理そのものを全否定するからである*1。死刑を強力な選択肢にいれる裁判は、まじめに審理などしない。死刑を選択肢に入れない、あるいは入れても最終的な例外的事態として選択肢にいれる、そうした場合には、きめこまかな慎重な審理というのが可能になる。したがって死刑という制度は、無辜の民を巻き込む、テロと同じように、なしくずし的、画一的、区別なしの極限的行為なのである。


今回の事件で不幸にも死刑になった日本人は、基本的に運び屋であって、麻薬をとりしきっている黒幕ではないだろう。金に困って運び屋をやらされたとしか考えられない。実際、今回、支援者や知人はいるようだが、家族がいるのかどうか、報道では定かでない。もし家族がいないのなら、そうした身寄りのない、金に困っている人間を、暴力団が運び屋として使ったという可能性が大きい。当然、中国では麻薬所持なり麻薬の密輸入などは死刑になりかねない重罪であるということなど知らされていはいないだろう。末端の使いぱしりを死刑にしても意味がない。麻薬犯罪組織にとってはいたくもかゆくもないはずである。


またそうしただまされた運び屋は、罪がないとはいえないが、軽犯罪であって、それにみあった軽い刑罰こそがふさわしいのであり、死刑には値しない。軽犯罪も重犯罪も、関係なく死刑に処することは、結局、無辜の人間をまきこむテロとなんらかわりないどころか、犯罪の解明にもなんら供するものではない。むしろ運び屋になった日本人から詳しい事情を聞き、日本と中国の警察が協力して麻薬組織の解明と撲滅につとめるべきであって、死刑からは何も生まれないどころか、さまざまなものを悪化させ、最終的には中国を自壊させることにつながることを中国側も理解すべきである。ましてや今回の死刑が、日本人を対象にするということで中国の屑ナショナリストの心情をくすぐり、日本の屑ナショナリストを激怒ささせるようなことになれば、日中関係が良くなることは永遠に望めないではないか。それがもっとも残念なことである。

*1:こんな例はありえないというなかれ。イスラエル政府はパレスチナ人に全く同じこと、つまり財産没収をしてきた。